こだわり抜いた素材でシンプルに作る
たくさんの人でにぎわう吉祥寺駅を背にして、五日市街道へ。西荻方面へ向かう途中、小道を左折すると住宅街に入り込む。駅前の混雑ぶりが嘘のように静かになるタイミングで『リールオパン』が見えてくる。
カウンターの奥にいるのは店主の島岡令央奈さん。フランス育ちの島岡さんが作るフランス式のデイリーなパンを楽しめるのが『リールオパン』の特徴。
こだわりは? と聞くと短く答えが返ってくる。「素材を厳選して、シンプルに作ること!」。仕込みから販売まで、すべてを一人で手掛けているのだ。
フランスで愛される等身大のパンたち
“フランス仕込み”なんて聞くと、ちょっと敷居が高そうに思えてくる。でも島岡さんの作るパンはどれも素朴なものばかり。
フランスでは日常的によく食べるというパン ヴィエノワは、もっちりとした食感で、バターのコクがたっぷり楽しめる。砂糖と卵、牛乳が入るリッチな生地はしっとりと心地よい甘さ。なんだか気持ちがほぐれていく。寒い日の朝、アツアツのコーヒーと合わせたらいい感じの朝食になるだろう。
レーズン&アプリコット デニッシュもいい感じ。ぐるぐると平たく巻いたクロワッサン生地にカスタードクリームが塗られ、ドライフルーツをトッピング。まんべんなく散らされた2種のフルーツと、親しみやすいカスタード、サックリとした生地は相性抜群。見た目が凝っているので、どれほど甘いのだろうかと想像したが、するりと食べられる程よい甘さ。これはきっと、週末のおやつタイムにもってこいだ。
続いてはブリオッシュ みかんの登場。日仏が合体したパンの名前からもわかるように、島岡さんは自由で、型にはまらない新しいパンも生み出していく。ちょっと笑いながら「オレンジピールの代わりに、家にあったみかんで試してみたら案外おいしくて」と話す様子に、こちらもつられて笑顔になる。
パン大国・フランス育ちだから知っている小麦の本来のおいしさ
『リールオパン』のパンをいくつか手にとって気づく。どれも少し重たい感じがする。
「1歳からずっとフランスにいて、24歳のころ日本へ帰ってきました。初めて日本のパンを食べたときはショックでしたね。フランスのパンと全然違う! ……ってね」。
フランスのパンに慣れていた島岡さんは日本で広く親しまれるソフトであっさりしたパンに物足りなさを感じていた。だから島岡さんの作るパンはどれも密度が高い。ちょっとした重さを感じるほどに小麦粉がギュギュッと詰まっている。
どこの国にもきっとある、パンと人と暮らしの光景
「フランスのパンが恋しくて、はじめは自分のためだけに作っていたのですが、パンはどうしても少量を作るのが難しくて」。このお店は島岡さんがおすそ分けをするために開いた個人的な空間ともいえる。
甘いパンをはじめ、食パン、ツナサンド、カンパーニュや雑穀パン、クロック ムッシュにフロマージュ……。一人で作れる分だけを作り、売切れたらその日は終わり。まだ太陽が昇っていようとお店は閉まる。
取材をしていると、ぽつりぽつりと、でも途絶えることなくお客さんがやってくる。小さな通りの小さなパン屋で交わされる言葉は、まるでご近所さんの立ち話みたい。いや、フランスでは知らない人同士でも気軽に声を掛け合うというし、そんな感じなのかもしれない。
島岡さんが暮らしていたのはパリ郊外にあるジョアンヴィル=ル=ポンという地域。比較的のんびりとしたところで、マルヌ川のほとりをよく犬と一緒に散歩をしていたそうだ。
「日本では誰も知らないような地名ですよね」と言うが、『リールオパン』に並ぶ数々のパンたちや、島岡さんの気さくな人柄、お店のあり方から、見知らぬ町の景色が見えてくる。
きっと暮らしやすくて、散策をするのも楽しいところなのだろう。そう思わずにはいられない。吉祥寺の街角に、パリ郊外の風が吹いている。
構成=フリート 取材・文・撮影=宇野美香子