入学してひと月も経たない春のこと。中庭でお弁当を食べていると、よく見かける男の子に声をかけられた。彼は3年生で、いつも首に赤い大きなヘッドフォンをかけている。線が細くて髪がサラサラで、ちょっと若い頃のオザケンっぽい雰囲気で、つまりは私の好みどストライクだ。

「僕は〇〇。君は?」

それが彼の第一声。自分のことを「僕」、私のことを「君」と呼ぶところもオザケンっぽい。こんな人、本当にいるんだ。私はちょうどMDウォークマンでオザケンを聴いていて、なんだか余計にドキドキした。

「何聴いてるの?」

そう尋ねられ、「オザケン」と答える。彼は「オザケン好きなんだ!」と嬉しそうに笑った。当時の小沢健二は、前年にアルバム『Eclectic』をリリースしたもののほとんど表舞台に出ていなくて、私の世代で聴いている人は少なかった。私は歳の離れた姉の影響で、小学生のときからオザケンが好きだったのだ。

それがきっかけで彼と話すようになり、少しして付き合いはじめた。

私は気がおかしくなるくらい彼にハマっていった。学校で毎日会っているのに、会うたびたまらなく好きだと思うし、会っていないときも好きすぎてどうしようもなくなる。

彼は優しくて都会的で、弱くて面倒な人だった。

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彼は音楽が好きで、よく私の知らないバンドの曲を聴いていた。たとえばヴェルヴェット・アンダーグラウンド。有名なバンドだけれど、当時の私は、バンドの存在もアンディ・ウォーホルもバナナの絵も知らなかった。

彼は私にいろんなCDを(やや強引に)貸してくれた。その中で私は、ソウル・フラワー・ユニオンにハマった。逆に言えば、彼から教わった音楽でハマれたのはソウルフラワーだけだ。彼と一緒に、ソウルフラワーが出るライブイベントに行ったことがある。生で聴くソウルフラワーは最高だった。

同じイベントにはフラワーカンパニーズも出演していて、私は彼らを初めて知った。

「このバンドいいなぁ。好きだなぁ」

私が言うと、彼は露骨に嫌な顔して「なんで? センス悪いよ」と言った。

その頃には薄々気づいていたけれど、彼には人のセンスをジャッジする癖があった。

たとえばこんなことがあった。私は好きな音楽に一貫性がなく、小沢健二も好きだが、同時にクラムボンとGOING STEADYとガガガSPとSURFACEも好きだったのだが、それを知った彼は「SURFACEなんて聴くのやめなよ。コンビニに並んでるようなチープな感性になるよ」と言った。

今なら「人の好きなものをバカにするな!」と怒るだろう。しかし、当時の私は彼に嫌われるのが怖くて言えなかった。

……と書くと私がしおらしく彼のモラハラに耐えてきたようだが、当時の私はかなり情緒が不安定で、ときたま爆発しては彼を振り回していたからお互い様だ。

私たちはどちらも未熟で、相手を大切にする術を知らなかった。

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彼と付き合った頃から、私は「ジャニス」でいろんなCDをレンタルして聴くようになった。

彼の影響もあったし、友達の影響も大きい。うちの学校はサブカルチャー好きの生徒が多く、よく私の知らない音楽が話題に上がる。みんなの話に出てきた音楽を私も聴いてみたくなり、「ジャニス」に行ってはそのCDを探した。

「ジャニス」はマイナーな音楽も種類豊富で、棚をすみずみ眺めているとあっという間に時間が過ぎる。記憶が曖昧で申し訳ないのだが、たしか、上の世代の音楽好きが「これは聴いとけ!」と勧めてくるようなCDにシールが貼ってあった。シールを頼りにCDを選ぶのも楽しかった。

放課後は彼氏か友達と過ごすことが多かったけれど、「ジャニス」にはいつもひとりで行っていた。「ジャニス」は神保町で唯一、私がひとりきりになれる場所だったかもしれない。

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結局、彼とはその年の12月に別れた。彼に、ほかに好きな子ができたのだ。

フラれてからしばらくは苦しくてたまらなかった。自分の存在が無価値なものに思えて、毎朝目が覚めるたび、「なんで彼と別れたのに生きてるんだろう?」と本気で思った。

それでも、時間が経てば傷は癒える。私はいつの間にか立ち直っていた。むしろ彼と別れてからのほうがいきいきしていたと思う。彼が占めていたリソースが空いたぶん、自分の好きなことに時間を使えるようになったし、彼の評価を気にせず好きなものを好きと言えるようになったから。

彼と別れて少し経った頃、「ジャニス」で一枚のCDに出会った。サンボマスターとオナニーマシーンによるスプリットアルバム『放課後の性春』だ。これが両バンドのメジャーデビュー作で、当時はまったく有名じゃなかった。

初めてサンボマスターの曲を聴き、私は衝撃を受けた。

歌の中で、「僕」は「あなた」を手放しで全肯定し、その幸せを一心に祈る。まるで「あなた」の存在そのものを祝福するみたいに。なんて純度の高い、美しい想いなのだろう。

そして気づいた。

私はこんなふうに無条件に誰かを愛したことがない。恋をしていたって、一番大切なのは自分自身だ。彼のことは大好きだったけれど、それは「私の彼氏」でいてくれるからであり、別れてしまえばもう幸せを祈ることもない。

なんていうか、私は本当にエゴと我が身可愛さだけで恋愛をしていたんだなぁ、と思った。いつかサンボマスターが歌う「僕」のように、たった一人の「あなた」を大切にできるだろうか。

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それから数年後、ずんぐりむっくりで坊主頭の、つまりはまったく好みじゃない人と出会った。それが今の夫だ。ちなみに、夫と仲良くなったきっかけもオザケンだった。よくよく縁があるのだろう。

夫は私の好きなものを否定しない。それどころか、私の好きなものを知りたいと言ってくれる。一緒になって私の推しの出演作品を鑑賞してくれるし、熱量のおかしい萌え語りも聞いてくれる。好きなものを好きと言える日々は素晴らしい。

交際中も結婚後も、夫に対して「好きで好きでたまらない」気持ちになったことはない。ただ、私は夫と出会って少しずつ、相手を大切にすること、人を愛することを学んだ気がする。まぁ、今も喧嘩したらふつうに腹が立つし、サンボマスターの域にはまだ遠いけれど。

さて、先日「散歩の達人」11月号の神保町特集を眺めていて、「ジャニス」と当時の恋人のことを思い出した。彼とは別れてから連絡を取っていない。インターネットを毛嫌いしていてSNSもやっていなかったから、卒業後の消息は不明だ。

別れてからだいぶ経つので、普段は彼のことを思い出しはしない。今回ものすごく久しぶりに、大好きだった横顔や、白くてすべすべの頬を思い出した。思い出すことはなくても、忘れてはいなかったみたい。

彼が元気で幸せでいてくれたらいいなぁ。

ようやく心からそう思えるようになったことに気づく。

次に神保町を歩くときは、景色が違って見えるかもしれない。

文=吉玉サキ(@saki_yoshidama