パチモンドラえもん、略してパチドラ
こうした経緯から、私は藤子作品、特に『ドラえもん』を愛するようになった。コミックスは表紙が取れるまで繰り返し読み、身の回りのものを揃える機会があれば、必ずドラえもんグッズをねだった。今ほど多様ではないにしろ、昭和50年代にも様々なドラえもんグッズは販売されていたのである。
その中には公式の許可を得ていない、いわゆる「パチモン」も多くあり、すっかり目の肥えた私は、こうしたパチモンドラえもん、略してパチドラを意識して敬遠してきた。「サホちゃんはドラえもんが好きだから」と、大叔母がドラえもんのぬいぐるみを作ってくれた時も、内心で「これ、本物じゃない……」と思っていた、何ともかわいくない子どもだったのである。
連載開始から50年が過ぎた現在でも、ドラえもんの人気は続いており、さまざまなグッズも展開されている。著作権に関する意識も高まり、昔に比べて「パチドラ」も減少した。しかし、街を歩けば独特の雰囲気を放つパチドラは、まだまだ生息している。大人になった私は、逆にそれらのキッチュさに目が行くようになった。今回はこうした街のパチドラを追ってみたいと思う。
哲学的な命題を突き付けてくる「パチドラ」
まずはグッズについて。露店などに行くと、ドラえもんのみならず、有名キャラクターとおぼしきものがあしらわれたグッズがある。
ガラス細工や銀杏細工で作られたパチドラは、ドラえもんとは何なのか、どのような要素を満たしていれば人間はそのモノをドラえもんと認識するのか、という哲学的な命題を我々に突き付けてくる。
ところで、全国各地のそば屋で提供されるお子様向けメニューに、なぜかパチドラの器に入れられてくるものがある。
この器を使用しているのは、決まってそば屋なのだ。昭和の時代にそば屋に営業に回ったメーカーがあったのか、或いは丼状の形がそばを入れるのに適しているのか。今後調査を進めていきたい。
また、街の中には手描きのイラストという形で、パチドラが存在するケースもある。たとえば公園の売店にいたドラえもんは、かなり絵の上手い人が手掛けたものだろう。
しかし、中には故・ナンシー関さんの「記憶スケッチアカデミー」に登場しそうなパチドラもいる。本来の姿から遠ざかれば遠ざかるほど、描き手の「何とかしてドラえもんを描きたい」という必死さが伝わってくるような気がしている。
街に生息する石の「パチドラ」
さて、われわれが街で比較的多く目にすることができるのが、石像のパチドラだ。もちろん、公式の許諾を得て制作した石像ドラえもんを販売する石材店も多くある。一方で、「どう見てもこれは公式ではないのでは……?」という造形の石像も数多く存在するのもまた事実だ。ここから、さまざまなドラ石像を取り混ぜて比較してみたい。
石像が多く生息しているのは、やはり石材店の店先である。
また寺社にも多く見ることができる。
寺社に多くドラ石像が見られるのは、以前このコラムでも取り上げた二宮金次郎像が境内に置かれるのと同じ理由だろうか。
気づいたのは、作品の偉大さ
何の脈絡もなく街中に設置されているドラ石像もある。馬込沢駅の近くの道沿いに設置された2体のドラは、なぜそこにいるのかがわからない。
また、久喜市のわし宮団地の広場には、なぜか台座に「太郎くん」と書かれたドラ石像が設置されている。
どう見てもドラではないように思うが……あ、太郎くんか。
模倣品は確かに許容されるべきではなく、今後どんどん数が減っていくものだとも思う。ただ街の「パチドラ」を見ていると、ドラえもんというキャラクターがここまで皆に浸透していること、そして多くの人がドラえもんを形に表したいと思っていることが感じ取れて、改めてこの作品の偉大さに気づかされるのである。
文・撮影=オギリマサホ