小学校から消えゆく金次郎

実際の金次郎がこのようなことをしたのかはさておき、「薪を背負った金次郎像」は戦前の修身教育の方向性とも合致したためか、全国の小学校に設置されていった。戦後は次第にその数を減らしていき、私が小学生だった昭和50年代の東京には、自分の学校も含め近隣の小学校にはほとんど金次郎像は無かったように思う(金次郎の出身地である小田原の小学校には普通に像があったと小田原出身の友人Kさんが話していたので、地域差はあるかも知れない)。

本場・小田原には各地に金次郎像があるらしい。これは小田原駅コンコースの金次郎(2012年)。

小学校から金次郎像が消える一方で、街を歩くとなぜか金次郎像に出くわすことがある。金次郎像がなぜそこに置かれたのか、謎に包まれたものも多い。こうした「野良金次郎像」、略して「ノラ金」の傾向と分布を探っていきたい。

金次郎は元小学校にいた!

まず一つには、そこが「元小学校」だったという場合。池袋で発見した檻に囲まれた金次郎は、説明書きを読んでみると、廃校となった雑司谷小学校の校庭に設置されていたものだということがわかる。

現在は高齢者施設となっている建物の傍らにいる金次郎(2020年)。

新橋・南桜公園の片隅にいる金次郎は、銘文に「紀元二千六百年記念」とあり、戦前に小学校に設置されたものであろう。

新橋・南桜公園の金次郎。植え込みの目立たないところに佇んでいる(2021年)。

同様に新宿・花園神社境内の芸能浅間神社に設置されている金次郎像も、もともとは四谷第五小学校にあったものだそうだ。

花園神社境内の金次郎。新宿区地域文化財に指定されている(2021年)。

金次郎は寺社にもいた!

この花園神社のように、寺社に金次郎像が設置されている場合も多い。小田原には金次郎本人を祭神とする報徳二宮神社もあるが、一見何の関係もなさそうな寺社に金次郎像を見つけることもできる。

大井の水神社入り口にいる金次郎。なぜここにいるのかは不明(2021年)。
神社自体がビルになっている、中野坂上の八津御嶽神社入り口の金次郎。「二宮金次郎さんの頭を一回なでて学力向上」という札が立っている(2021年)。
高尾の高台にある高尾天神社の金次郎。祭神が菅原道真とのことで、やはり勉学を連想しての設置なのだろうか(2021年)。
田端の東覚寺境内。巨大な弘法大師の横に唐突に金次郎(2021年)。
東覚寺の金次郎アップ。南無遍照金剛と刻銘されている(2021年)。

その多くは銘文から察するに、檀家や氏子から寄進された像である。寺社に寄進するならば仏像や神像でも良さそうなものだが、寄進者の側に「銅像と言えば金次郎」というイメージがあるのかも知れない。なお、町屋六丁目児童遊園にいる金次郎は、関東大震災の際に建立された二宮神社(現存せず)に設置されていたとの説明があった。

町屋六丁目児童遊園の金次郎。やはり植え込みにひっそりと設置されている(2021年)。

このことから「小学校や寺社本体が無くなっても、金次郎像は残る」ことがわかる。

金次郎は街に溶け込んでいた!

金次郎像が象徴するもの、それは「勤勉」という理想である。経営者がこうした理想を掲げる場合、その店先に金次郎像が設置されることが多い。たとえば八重洲ブックセンター本店入り口に佇む金色の金次郎像には、「勤勉にして片時も本を離さなかった二宮金次郎こそは真に理想の読書人である」という会長(平成3年当時)河相全次郎氏の言葉が刻まれている。

八重洲ブックセンターの金次郎。珍しい金色の像である(2019年)。

京橋の居酒屋入り口にいる金次郎の石像は、「がんばって仕込中」という札を掲げて読書に励んでいた。

京橋の居酒屋入り口の金次郎。マスクがおしゃれ(2021年)。

鶯谷のアパレル会社外壁に設置された金次郎像は、松の苗を掲げる珍しいスタイルである。

企業が設置したと思われる金次郎だが、道を歩いていると突如として現れる印象(2021年)。

高野台の道端にいる金次郎も、「努力は人生の生命なり」「人の一生は己を礎くにあり」と刻銘されており、設置者の強い思いを感じ取ることができる。

だが金次郎よ、なぜここに?

ここまでの金次郎像は、小学校以外に設置されているにしても、来歴がある程度わかるものであった。ところが、「なぜそこにいるのかがどうしてもわからない」という金次郎も、街には存在するのである。堀切菖蒲園駅近くの商店街にいる金次郎がそれだ。

本を持たず、長らく「じっと手を見る」状態だった金次郎だが、現在左手が破損している(2021年)。

お好み焼き店の壁沿いに設置されているのだが、この店が設置しているようにも見えない。それでも金次郎は、街の風景の一部となっている。

最近では、「読書しながら歩く金次郎像は、歩きスマホを誘発する」として、座って読書する金次郎像も作られていると聞く。街の「ノラ金」が「教育上よろしくない」として撤去されることもあるかも知れない。そうならないようにと願いながら、今日も私は街を歩く。

恐らく個人が設置した金次郎。こちらも住宅街にいきなり金次郎が登場する(2021年)。
番外編。益子の陶器市になぜかいた金次郎(2009年)。
番外編。伊東の「怪しい少年少女博物館」に設置された、金次郎型小便小僧(2006年)。

絵・取材・文=オギリマサホ

子どもの頃、「なぜこれが駅にあるのだろう」と疑問に思うものがあった。有害図書を入れるポスト、通称「白ポスト」である。成長するにつれて、電車内で読んだ成人雑誌を家に持ち帰らないようにするために駅に設置してあるのだ、ということを理解するようになったが、その頃には既に白ポストは東京23区の駅から姿を消していたように思う。たまに「白ポストかな」と思って近づいてみれば図書館の返却用ブックポストだったりして、うっかり成人雑誌など入れようものなら大変なことである。入れないけれど。
郵便ポストは赤いものと相場は決まっている。それは四代目柳亭痴楽のせいではなく(昔「郵便ポストが赤いのも、み~んな私のせいなのよ」というネタがあったのだ)、ポストの位置をわかりやすくする目的で1908(明治41)年に赤色ポストが正式制定されたためである(郵政博物館HP)。しかし逆に「ポストは赤でなければならない」という決まりもないようで、最近では各地に趣向を凝らした色とりどりの郵便ポストが設置されている。「上に何かが載っている」系のポストについては以前このコラムでも紹介したが(「平らだったから置いちゃいました」系の郵便ポストで、雑然となりゆく街)、今回は郵便ポストの「色」について取り上げてみたい。
街を歩いていると、「消火栓」とか「防火水槽」などと書かれた赤い円形の標識を目にする。しかし「消防水利」と「防火水槽」と「消火栓」はそもそもどう違うのだろう? そしてあの赤色はどのように経年変化していくのだろう? などの疑問をきっかけに防災について興味を持ってもらうというのはどうだろう?