また食べたくなる味のラーメンを目指して
大井町駅をひとたび降りると、すぐ目に飛び込んでくるのがラーメン屋。南口も例外ではなく、駅前だけでも数店舗が軒を連ねている状態。だから駅から離れ、人通りが少なくなればなるほどラーメン屋が少なくなっていく。
そんな駅から歩くこと5分ほど。メインの通りからは外れている上に周辺はビル街と、決して恵まれた立地ではない場所にあるのが『幸龍』である。
「2006年にオープンしたので、今年でちょうど15年目になります。スープ作りに掛かりきりになるから、なるべく自宅の近くで……ってお店を探したらこの場所になりました」と、店主の酒井邦幸さんは当時を振り返りながらこう語った。
6年ほどのラーメン修業の後に独立。化学調味料を使わない天然素材のラーメンを作りたいという強い思いで大井町に店を開き、連日スープ作りに精を出したという。
「化学調味料を使うと味にインパクトが出るかもしれないけれど、どうしても塩分の使う量も増えるので、胃がもたれてしまう。『ラーメンはしばらく食べなくてもいいや』ではなく、『また食べたい』と思ってもらえるラーメンが作りたくて、出汁にこだわったスープを作り始めたんです」
メニューは創業当時から魚介豚骨スープの「黒龍」とすっきりとした味わいの醤油ラーメンの「青龍」の二刀流。それぞれ異なるスープを仕込むというのは今でこそスタッフ数人とのローテーションで数時間煮込むという作業ができるが、当初は酒井さんひとり体制。「家が近いとはいえ、大変でしたよ(笑)」と、当時の苦労話もうかがえた。
より良いラーメンを作るため、日々のモデルチェンジは欠かさない
「どこにもない味のラーメンを作りたい」が幸龍のモットー。それだけに妥協を許さないのがスープに使う食材の仕入れ。例えば「黒龍」に使用する豚骨にネギなどの香味野菜はすべて最上級のものを使用。中でも特にこだわっているのが魚介類。サバ節、煮干し、サンマ節など複数の煮干しや焼き干しを入れることでより豊かな味わいに仕上げる。当然、自然の食材なのでサイズや旬の季節にも気を配り、日々の微調整は酒井さんのこだわりでもある。
そうしたこだわりから生まれたのが、1番人気の黒龍790円。濃厚な魚介豚骨のスープの上に焙ったチャーシュー、メンマ、ねぎに「シャキシャキした食感がハマる」というキャベツがトッピングされ、その上からお店特製の黒マー油という油を垂らしてできあがり。
一見すると味が濃そうに見えるが……実際に食べてみると、黒マー油の効果で魚介豚骨スープはくどいどころか、まろやかで深みのある味わいに変わり、レンゲでスイスイとスープをすくって飲んでしまうほど。さらにお店独自のオーダーで作っているという特製の中太ストレート麺はこのスープとよく絡み、ますます濃厚なハーモニーを奏でるなど、人気になるのも頷ける。
「創業当時からこのラーメンはありましたし、常連からも根強い支持をいただいていましたが、それに満足しないでよりおいしくしようということで、実は少しずつモデルチェンジをしているんです。だから15年前と今の「黒龍」ではきっと味が違っていると思いますよ」
最近では「返し」と呼ばれるタレに旨味の重心を置くなど、現状に飽き足らず常に進化を求めてきた酒井さんの思いがこのラーメン一杯に込められている。
立地の良さよりも、この味を守ることが大切
こだわり抜いた味わいにたゆまぬ努力も相まって、決して立地に恵まれているとはいいがたい『幸龍』は常連客が連日やって来るという人気店に。コロナ禍になる前は行列ができることもしばしばあったため、「もっと広い店舗に移転しては?」という誘いを何度も受けたというが、酒井さんが首を縦に振ることはなかった。
その理由は極めてシンプルかつ、お客様ファーストな想いからだった。
「だって、広いお店に移転したらその分家賃が上がるでしょ? そうなるとどうしてもラーメンの原価を落とさなければならない。私はそれだけはやりたくなかった。小さい店舗でも自分が納得いく味のラーメンを作って、やって来るお客さんに喜んでもらいたい。この店でしか食べられない、後味のいい一杯のラーメンを食べてもらって、そこから幸せを感じてもらえれば、もう言うことはないですよ」
日々のたゆまぬ努力から進化し続ける『幸龍』のラーメンは今後も大井町のこの場所で愛されていくことだろう。
構成=フリート 取材・文・撮影=福嶌弘