縦軸と横軸で暗渠を紐解く暗渠のエキスパート
2年ほど前、横浜のとある街を歩いた。商店街の中や住宅地の車道、あるいは家の裏の細い路地。雰囲気こそ色々だが、共通していたのはすべてそれらの道が、かつての川の跡=「暗渠」ということ。
道を挟んでこっち側と向こう側の小道が、実は同じ一本の川だったとかいうことを新たに知りながら歩いてみると、いまはなき別の日常風景を足元から実感するような不思議な気持ちになった。
そんな私の“暗渠デビュー”を指南してくださったのが、暗渠を探究するユニット「暗渠マニアックス」の吉村生さんと髙山英男さんだ。
お二人はあらゆる街の暗渠をフィールドワークし、著書を何冊も執筆されている。吉村さんは郷土史や古い新聞から、ひとつの暗渠にまつわる人の営みを掘り下げていく。一方で髙山さんは様々な事例を俯瞰し分析することで、共通する現象や事象を浮かび上がらせていく。お二人の書籍は、視点の違うアプローチが縦糸と横糸のように絡み合い、暗渠というものを様々な側面から紐解いているのが魅力だ。
そんなお二人が最近出版したのが、『まち歩きが楽しくなる 水路上観察入門』(KADOKAWA)。かつての水路上にある公園や橋の跡など、路上に残る水の記憶を手がかりに、新しい視点で路上観察を楽しむことができる本だ。
これまで様々な街を路上園芸目線で歩いてきた筆者だが、そこに「水路上」が重なると何が見えてくるだろう? そんな興味から、暗渠マニアックスのお二人にお声がけし、「水“路上園芸”観察」にご一緒していただくことにした。
古隅田川の暗渠を歩く「暗渠サイン」に興奮!
今回のスタートは綾瀬駅。「古隅田川」の暗渠に沿って亀有駅に向かい、そこから「千間堀」という用水路沿いを南下し、お花茶屋駅を目指すというのが今日のコースだ。
古隅田川は東京都葛飾区と足立区の区境にもなっている川。かつては灌漑用水として利用されていたが、子どもが川に落ちたりする危険性から、暗渠化が進められた。
暗渠化する以前は、区境ゆえの悲劇も起こったそう。
「昭和35年(1960)の新聞に、田んぼに水を引き入れる時期に水が増え、川の護岸が崩れて家が傾いたという記事が載っています。崩れた家の住人は葛飾区民でしたが、護岸は足立区管理なので、葛飾区は勝手に直せないという区境問題が発生。そこで葛飾区は住人に道具を渡して、自分で修繕をお願いした、というところで記事は終わっています。その後どうなったか気になるんですが、川が分けた境界ゆえの悲劇だなと思いました。いまその場所は、親水公園としてきれいに整備されています」と吉村さん。
綾瀬駅を出てしばらく歩くと、葛飾ろう学校の敷地に沿ってうねる小道が見えてくる。これが古隅田川の暗渠である。
小道には車止めが設置されている。もともと川だった場所に蓋をした暗渠は、重量に弱い。そのため不用意に車が進入しないよう、車止めで守られているのだ。
この他にも、川の流れをモチーフにしたミニ水路や橋の名前が記されたオブジェなど、かつての川の存在を示唆する「暗渠サイン」が一同に介している。
暗渠マニアックスさんの本を通して知った「暗渠サイン」。実際に目の当たりにすると嬉しくなる。
暗渠を両側から彩るように、立派なキダチアロエがわしゃわしゃと繁っている。花芽の跡も見えるので、冬には花が咲いたのだろう。
アロエの他にも、道沿いの植え込みには個人が置いたと思しき鉢植えの数々。「水路上園芸家」の気配をプンプンと感じる。暗渠沿いの植栽エリアを自宅の庭の延長のような、半プライベートな空間として使用しているのが興味深い。
吉村さん曰く「今日歩くエリアは緑の量がダントツ」とのこと。期待が高まる。
「フラジャイル」なものに目を向ける
しばらく歩いていると、髙山さんがなにやら上を向いて写真を撮っている。髙山さんの視線の先を追うと、階段の裏側。
髙山さんは「水路上」目線で見た街の景色として、階段の裏側を記録している。
水路上に溶け込み、また水路上で評価されるべき景色とは、フラジャイルな景色なのだ。水路上から見る「階段の裏側」は、よりフラジャイルな「素のままの裏側」が断然美しいのである。油断しきった裏側。水路上に晒される無防備な姿。だからこそ、水面を漕ぎ行って偶然それを覗き見てしまう快感があるのだ。(『まち歩きが楽しくなる 水路上観察入門』、127ページより)
またしばらく歩くと、草に埋もれる自転車や、籠にゴミを入れられた自転車の姿。
髙山さんはこういったものにも目を向け、カメラで記録していく。
流れる水脈に蓋をして閉じ込めた暗渠は、デリケートで「フラジャイル」な存在。
階段やビルなどの「裏側」や、思い思いに生える植物、家電やゴミなどが放置された「よどみ」。通常は無視されたり目立たず影に潜む存在こそ、暗渠にも通ずるフラジリティを内包している。
「フラジャイル」をキーワードに街を見てみると、街の新しい価値が輝き出すのでは、と髙山さんは著書の中でおっしゃる。
私自身、路上園芸を観察する中で、整然と美しく配置された鉢植え以上に、鉢から逃げ出す植物や舗装のひび割れから顔を出す草木の姿に心惹かれる。人知れず自然と一体化する姿に、心地よい余白を感じるのだ。
髙山さんの視点をお借りするなら、よりフラジリティの高いものに惹かれる、ということのように思う。
路上園芸自体、住人の方のご事情や家の建て替えなど様々な理由であっさりとなくなってしまう。
表からは見えないものや、無視されがちなもの、移ろいゆくもの。フラジャイルなものは、ともすればネガティブに捉えられがちだが、そこに眼差しを向け肯定的に捉えてみることで、街はまた違った魅力を見せてくれる。
「フラジャイル」を手がかりに「水路上」の植物の姿を見ていくと、これまで「点」で捉えがちだった路上園芸という現象が「線」や「面」に広がる気がした。
水路の記憶を語る植物たち
引き続き古隅田川の上を歩いていく。道はゆるくカーブを描き、川筋の名残を感じる。
橋を模したオブジェやマンホール蓋に刻印された「古隅田川」の文字など、あちこちに古隅田川の「暗渠サイン」が点在している。
かつての水辺の風景に思いを馳せながら歩いていると、路上の何気ないものが水路の記憶を物語っているように見えてくるから不思議だ。
『まち歩きが楽しくなる 水路上観察入門』の中でも、草萌える場所として暗渠を捉えた章があるが、たしかに種々の植物が生き生きと萌えている。
もともと湿気を帯びた環境というのもあるかもしれないが、家の雰囲気から長くお住まいの方が多そうなのも要因の一つに思えた。前の道(暗渠)への親しみから鉢植えが路上にはみ出し、また長らく置かれているからか半野生化した植物も。
とりわけ驚いたのがこれだ。
鉢として転用された洗濯槽の穴という穴から、シダ植物が生い茂っていた。
おそらく外に放置されていた間に、どこからともなくシダ植物が居着いたのだろう。水を好むシダ植物ゆえ、水の気配が漂っている。そしてフラジャイルだ。
亀有に近づくと車道がなくなり歩道だけになる。
自転車や人しか通らずあまり踏まれないためか、舗装のスキマから様々な種類の植物がわしゃわしゃと生えている。
しばらく歩くとトロ箱で米の苗を育てているお宅を発見。
「東京時層地図」で昔の地図と見比べてみると、なんとかつて田んぼだった場所! 今はなき水田の記憶を残した園芸に、すごいすごい! と一同興奮。
表に回ってみたところ、この建物はお米屋さんだった。お話を伺ってみたところ、地区のお祭で奉納するために、毎年農家さんから余った苗をいただいて育てているとのことだ。
なんとこのお店の創業は100年ほど前とのこと。店ができた当初はもちろんすぐ裏が川で、魚が泳いでいたりもしていたそうだ。
店主は園芸の達人でもあり、米の横にもズラリと鉢植え。ベランダでは珍しい朝顔の栽培も行っているそうだ。
暗渠と園芸家。思わぬ邂逅に嬉しさを噛み締めながら歩き進めたら、再び気になる一角に出会った。
塀の網目を巧みに活用し、鉢植えが立体的に配置されている。
特に気になったのが、この器。
素材はタイヤのようだが、車のタイヤではなさそうだ。
表を見ると、こちらは中華料理店。お店の方に尋ねたところ、なんと「モノレールの車輪カバー」とのこと!
別の用途で用いられていたものを鉢に転用することを「転職鉢」として観察してきたが、モノレールの車輪カバーは、初めてのケースだった。すごい!
店の周りではカシワバアジサイやヒメヒオウギズイセンが開花。立派な金魚がゆらゆら泳いでいたりと、テーマパークのような楽しい一角だった。
将軍の鷹狩ゆかりの地・千間堀
亀有駅付近で、古隅田川は曳舟川と交差する。
吉村さんによれば、曳舟川は泳ぐ人もいるほど、きれいで水量豊かな川だったとのこと。
曳舟川は用水路(葛西用水)としても用いられており、亀有駅を南下すると、中井堀・古上水・千間堀という3つの水路が並行して流れていた。現在はすべて暗渠化されている。
今回はそのうちの一つである千間堀の暗渠を、お花茶屋に向かって南下していく。
「お花茶屋あたりに将軍が鷹狩にくる場所があったので、千間堀では鷹狩の鴨を飼育していたという伝承があります。このあたりの水路には船を引く邪魔になるくらい雁や鴨がたくさんいて、棒で叩くとすぐ捕れた、と書かれた資料もあります(笑)」と吉村さん。
ちなみに葛飾区史によると、「お花茶屋」という地名は、江戸時代に鷹狩に来た将軍が腹痛を起こした際、看病をした茶屋の娘が「お花」だったということに由来しているとか。
先ほど歩いた古隅田川の暗渠は蛇行していたが、千間堀の暗渠は割とまっすぐ。
歩道サイズだったのが、道を渡ると歩道と同じくらいの幅の車道が現れたりと、まっすぐだからこそ見えてくる雰囲気の変化が楽しい。
ここで吉村さんがしきりに目を留めていたのが、住居の入り口と水路上との間に住人が独自に設置した小さな階段。吉村さんはこれを「自前階段」と呼んで鑑賞している。
今まで気に留めたことがなかったが、見比べてみると使用されている素材や設置方法が様々。水路上沿いでの小さな暮らしの風景が愛おしい。
しばらく歩いていくと、お店が増えてきた。どうやらお花茶屋駅の近くに着いたようだ。
ここで我々が目指したのが『Hana花・ME』というフラワーショップ。
昭和41年(1966)創業のこのフラワーショップの以前の名前は「お花茶屋園芸センター」。『葛飾区の昭和』という本の中で、同年にこの店の前で撮影された一枚があり、そこに水路が写り込んでいたのだ。
暗渠と園芸と、両方にゆかりのある場所ということで、実は今日の街歩きではここを密かなゴールにしていた。
お店のご主人に写真を見せながら、おそるおそるお話を伺ってみたところ、なんと写真に写っている子供がご本人とのこと! お店ができた直後に撮影した一枚だそうだ。
当時はお店の真ん前が川だったそうで、周囲には白鷺も飛ぶ田園風景が広がっていたとか。
写真に写っているご本人と対面でき、喜びもひとしお。感慨深いゴールとなった。
いつもは感覚的に「点」ばかり見がちな街歩き。
今回「水路上」という新たな視点を取り入れたことで、その点が一本の線でつながり、さらには面、時間軸へと広がるという、今までにない立体的な感覚を味わえた。
川なのか路なのかがあいまいで、より「裏」を感じる場所だからこそ、プライベートな部分とパブリックな部分が混ざり合い、人が通らない場所にスキマができる。
だからこそ、園芸や植物が伸び伸びとはみだす余地が生まれているように思えた。
取材・文・撮影=村田あやこ