三遊亭円丈 Sanyutei Enjo

1944年、名古屋市生まれ。1964年に六代目三遊亭圓生に入門し、1978年、真打ち昇進。二目時代から新作落語に取り組み、噺家生活50年を超えてなお、その活動は多くの噺家からリスペクトされる。落語協会理事。『師匠、御乱心!』(小学館文庫)、『円丈落語全集1』(クエスト)など著書多数。

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ボクは最近、何でもすぐ忘れちゃってね、昔のことも今のことも、細かいことはあまり憶えてないんですよ。
と笑いながら、高座と同じく地の底から湧き出すような、あの独特の声で、三遊亭円丈師匠はゆっくり語りだす。線路と高架が入り乱れる北千住の大踏切近くの一室、ひっきりなしに鳴り響く警報機の音をBGMにして……。

「悲しみは埼玉に向けて」【1】を作ったのは、もう40年以上前、ボクがまだ二ツ目で、東保木間の都営住宅にいた頃ですからねぇ。
初めて北千住に来たのは昭和40年代かなぁ、 後輩の志ん五くん (初代古今亭志ん五)の紹介で、確か梅島で仕事した時に立ち寄ったんです。なんだか辺鄙(へんぴ)なとこに来ちゃったなぁって。師匠(六代目三遊亭圓生)が柏木(現・北新宿)に いたもんで、新宿か入谷に住んでた時代だと思います。

その頃の北千住の印象ですか?……何もないです(笑)。にぎやかだった思い出もない。東保木間に住んだ理由は、ただ家賃が安かった! 川を越えたら、急に安くなったんです。これならボクでも払えるって。北千住はターミナル駅だとか、寄席に通いやすいとか、そんなの考えてないですよ。そんな理由で住む奴はいません。第一 、東保木間から北千住だって近くないんだから(笑)。一度、師匠の家から東保木間まで歩いたことがあったなぁ、4時間くらいかかりましたよ。若かったんだねぇ……。

「ボクはセコいとこが好き。悪口じゃなくてね」

以来ずっと足立区。都営住宅の後は六町に安い一軒家を見つけて、 30年くらい住んだかなぁ。ちょっと前に引っ越したけど、やっぱり足立区内。こういう土地に一度住んじゃうと、もう面倒くさいんですよ。荒川越えて引っ越そうとか、すごい決心がいる。だったらいいじゃないの、足立区離れる理由もないし。まぁ結局住みやすいんでしょうね。

だから足立区の代表として北千住を舞台にして、噺(はなし)を作ったんです。ボクはね、セコいとこが好きなんだ。あぁこれ、悪口じゃなくてね。気取ってなくて、冷たい都会でもなく、人の匂いがあって、どっか捨てがたい。なんと言ったらい いのかなぁ……。物も安いしね(笑)。

忘れがたき店、忘れがたき人

ただその頃、足立区がどうの北千住がどうのこうのって言う人もそんなにいなかったんです。そこでボクがすこ~んと言っちゃった。でもいろいろ言ってるけど、ボクもそこに住んじゃってるからねぇ(笑)。この噺は、 家に帰る電車の中とかで考えて作ったんです。そこで飲み屋の街の話をしてもねぇ、みんな思ってることだし、ボク自身あまり酒を飲まないから、取ってつけた話にはしたくなかったんです。

自分が飲み歩く人間じゃないから、余計に「源氏」【3】って店で出会った、噺家を可愛(かわい)がってくれる先生のことが印象に残ってるんです。月に一度はご馳走してくれました。ボクだけじゃなくて仲間も一緒に、同世代の腹減らし連中もね。寄席の楽屋なんかでさ、お前おなか空(す)いてんだろ? だったら黙ってついてこいよってね、みんなを北千住に集めて押しかけるんだ、先生がいる「源氏」に(笑)。

北千住の町医者の先生。 あんないい人はいなかった! ボクたちの落語会もしてくれたし、寄席にも来てくれた。「安い店を見つけたから行こう」って、あちこちの飲み屋に連れてってくれました。そのうちに病気になっちゃって、手が震えてるんだけど、ボクらを呼んでくれる。その先生が亡くなった後も「源氏」にだけは行ってましたね。そんなに飲める訳じゃないのにね。

今はなき居酒屋「源氏」の話をする円丈師匠はうれしそう。でもそんな素敵なエピソードは噺に入れない。街の灯が薄くなっていく車窓を眺め、いつも下車する北千住駅のさらに向こう、埼玉に続く東武電車の線路に思いをめぐらせたとき、悲しみの象徴としての北千住を表現するために、いい話は要らない。でも徹底的にディスる言葉とは裏腹に、街や人に対する愛情は深い。その愛は、狛犬(こまいぬ)にも注がれる。

ボクは彫刻した石像が好きなんです。狛犬だけじゃなくて、お稲荷さんのキツネもね。だいたい、神社の建物自体が好きですから。河原稲荷神社【4】の狛犬はいいよね。さすがはやっちゃ場の人たちが奉納したもんだなって。これは浅草神社と同じタイプです。今も時々見に来ますよ。

40数年前の初演以来、常に加筆修正し続けてきた傑作「悲しみは埼玉に向けて」の台本と、撮りためた狛犬写真の一部。

狛犬フィールドワークの原点

「狛犬に合ったらね、必ず触るんですよ!」

狛犬はまず触るんです。するとなんか伝わってくるものがある。彫った職人とか、願かける人々、奉納した人たちの思いが詰まってるんじゃないかなって。神社やお寺の御利益なんてのはどうでもいいんです。狛犬に触った瞬間にビビビビってね、なんか僕に言ってくれることがあるんです。御利益より、そういうものをボクは信じてる。

まず最初に北千住の神社を全部回りました。数カ月で制覇! こんなとこでモタモタしていられな いよ(笑)。ボクは地図を見るのが大好きなんで、先にチェックしておいて、あぁこのくらい歩けば着くなって計算してね。書き込みだらけの使い古した地図は、家に何十冊もありますよ。でも宿場町だからって、古い建物を見て歩いたりはしなかったな。

千住大橋の近くにも、偶然見つけた神社があって(橋戸稲荷神社【5】)、こっちは立派なキツネ(鏝絵=こてえ) がいるんです。幻想的で、あんな神秘的なキツネを見たのは初めてだったなぁ。狛犬じゃなくてもね、人の手で作られたものはいい ですよ。近くにやっちゃ場があるけど、市場より神社かなぁ(笑)。

気に入った狛犬には何度でも合いに行く。「当たり前じゃないですか!」。

パッと神社の名前も思い出せないけど、千住は良い狛犬がいる街ですよ。宿場町だったから、人も物も文化も集まったんでしょうね。いい石工とかね。そりゃ気にな ったら何度だって行きますよ。好きなんだから! 今は歩くのも大変だから、なかなか合いに行けませんけど。

円丈師匠が撮った狛犬写真の裏にはメモ書きがいっぱい 。千住仲町にある氷川神社【6】の写真には足立区最古の狛犬(安永7年正月)とある。「ひとりでしみじみ眺めるのが好き」という言葉と、 この几帳面(きちょうめん)さは執念に近い。その観察眼が噺の中に生きてくる。

派手の奥に地味が流れる町

歴史ある古民家よりも、寺や神社の建物が好きだという円丈師匠。

若い頃にね、駅の階段を上がってホーム出た時のインパクトが強くて、それがあの物語の骨格になったと思うけど、細かいことを無理には付けませんよ。長い時間かかって、自然とエピソードが付いてきて、ああなったんです。ボクが六町に住んでた頃は、寄席や落語会の帰りに北千住から歩くこともありましてね、すると『円楽』(居酒屋)移転なんて貼り紙を見つけたりして、それがネタ になったりするんです。

北千住は変わりました。「ビックリヤ」も「源氏」もなくなっちゃって、学校ばっかりむやみに増えてね。学園通り【7】なんか、後から電機大学ができたでしょ。そしたら急に学園通りが噓(うそ)っぽく見えませんか?(笑)駅前もビルができて派手に見えるけど、 この街は本当に派手なんですかね? 北千住って都会なのかなぁ? わからないですね、フフフ……。

あの噺のおかげで、北千住には儲(もう)けさせてもらいました(笑)。なんだかんだって悪口を言ってきたけど、ボクに悪く言われる街ってのは、その街がボクにハマってるってことなんです。

2012年、北千住駅西口にて。破天荒な鬼才の新作落語遺伝子は、弟子の三遊亭白鳥さんがきっちり継承している。

【1】 悲しみは埼玉に向けて

「階段を上がってホームに出る。19時43分発、準急新栃木行きの発車のベルは、まだ鳴っていた。」。一篇のミステリー小説のような、スリリングで印象的な言葉で始まる名作。北千住の先に埼玉を見いだし、「ビックリヤ」【2】など実在するスポットを挙げて叩きのめし、矛先は近所に住み続ける自分自身にまで及ぶ爆笑落語。その奥には愛すべき存在として街への愛惜が見え隠れする。現在は他ジャンルでも見られる毒舌土地ネタ、徹底的に揶揄(やゆ)するスタイルの先駆けでもある。『円丈落語全集 1』 (クエスト) 掲載。

【2】 ビックリヤ

「悲しみは埼玉に向けて」に必ず登場する1949年開業の老舗パチンコ店。67年には東口駅前の店もオープン。写真は東口の現在で、別のパチンコ店が入居。

【3】 源氏

今はなき家族経営の居酒屋で、唯一の従業員を常連たちが専務と呼ぶ店だった。「源氏」で知り合った先生に連れられ、飲み屋横丁をはじめ、円丈師匠はこの街の酒場を知るようになったという。

【4】 河原稲荷神社

近くにある、天正4年(1576)開設のやっちゃ場(青物市場)の守護神として、長年崇敬されてきた。市場の旦那衆が寄進した狛犬は、足立区最大サイズを誇る。

【5】 橋戸稲荷神社

千住大橋の橋詰近くに鎮座する、1000年以上の歴史を持つ神社。鏝絵の名人・伊豆の長八の手によるキツネが、土蔵造りの本殿の左右の扉にある(展示はレプリカ)。

【6】 氷川神社

900年代に牛田で建立され、江戸初期に遷座した歴史ある社。神社には珍しい洋風の柵に囲まれた奥の本殿に、足立区最古の狛犬が鎮座。

【7】 学園通り

東口駅前に昭和4年(1929)に開校した私立男子校・足立学園を由来とする商店街。2012年に東京電機大学が移転してきて、より学園通りっぽくなった。

取材・文=高野ひろし 撮影=オカダタカオ
『散歩の達人』2021年6月号より