王道の中華そばにリッチなわんたんがたっぷり
ラーメンの聖地・荻窪でオーソドックスな中華そばを堪能するなら『春木屋』は外せない。ラーメン愛好家であればその名を耳にしたことがある方も多いのではないだろうか。
今回は人気No.1メニューのわんたん麺1250円を注文する。
すっきりとしたスープの奥に深くまろやかな和の風味が広がる。ほどよくちぢれた麺は絶妙なモチモチ感。スープと麺は見事に調和し、昭和のラーメンを知る世代も、そうでない世代もきっと「これこれ、この味」とうなずきたくなるような懐かしさで満たされる。
わんたんを箸で持ち上げてみると、見た目以上にずっしり。その重量に期待しながらほおばれば、つるんとした皮の贅沢な厚さに驚く。すぐに肉のジューシーな旨味がやってきて至福のひととき。麺と一緒にわんたんを食べるとなお美味。
多様性豊かな現代に伝統を掲げる『春木屋』の思い
1949年(昭和24年)に創業した『春木屋』は2021年で73年目を迎える。戦後のヤミ市の時代に小さな屋台からはじまり、荻窪の住民はもちろん、著名人や食通に愛された。メディアを介してその名が広まると、人気は沸騰する。ブームは衰えることなく、今も王道の中華そばを求めて、『春木屋』には行列ができる。
昭和・平成で抜群の知名度を獲得した『春木屋』。令和の現在はどんな思いで伝統を背負っているのだろうか。一般企業で働いたのち、『春木屋』を守る道を改めて選んだという常務の今村隆宏さんに話を伺う。
長く続く繁盛店から見える景色を尋ねてみると、意外な答えが返ってきた。
「店に入ったあとは苦労の連続ですね。時代の早さと複雑さについていくのが大変です。受け継がれる味を守りつつ、目まぐるしいスピードで変化する時代に対応できるよう、変わるべきところは変える努力をしなくてはいけません。価値観や考え方は個人によって様々な時代ですから、どんな店であるべきか、どんな味を提供するべきかという答えを常に模索しています。先代たちと自分を含め今の従業員では感覚が違いますし、従業員の年齢やバックグラウンドもバラバラです。お客様の味覚や食のトレンドもすぐに変わっていくので、一筋縄ではいかないなと思います」。
しかし従業員の気持ちはひとつだという。「私も含めて従業員に共通するのは『春木屋』が好きだという気持ち。だから従業員が一丸となって店を守っています」。
調理場を仕切る李錦哲さんは「今はコロナの流行で大変なときですが、チームワークを発揮して乗り越えていきます」と答えてくれた。
今も昔も変わらないのは「感謝の気持ちと気配り」
『春木屋』が受け継いでいるのは中華そばの味だけではない。昔の商売人が当たり前に持っていた感謝の心を今も大切にしているという。「自分が言うのもおこがましいのですが……」と、謙虚に前置きをしたうえで、今村さんは続ける。
「商売において大事なことは、来ていただくお客様への感謝の気持ちです。お客様の気持ちの半歩先を読んでふるまう気配りが大切だと思っています。そして日常の景色として毎日店を開けて、“いらっしゃいませ” ”ありがとうございました”と、しっかり挨拶をする。掃除をこまめにして、清潔さを保つ。昔の商売人が当たり前にしていたことを大事にして、お客様には気持ちよく食べていただき、気持ちよく帰っていただきたいです」。
初代店主が『春木屋』を始めた頃と比較すると、今の日本にはおいしいお店があちこちにあふれている。人々の好みも価値観も細分化が進み、お客さんから選ばれ続ける店として存在し続けることは、昔よりも難しくなった。そんな現代においても、圧倒的な支持を集める『春木屋』。その陰には知名度におごることなく、複雑な時代と真摯に向き合う姿勢と老舗の矜持がある。
構成=フリート 取材・文・撮影=宇野美香子