史跡金山城跡ガイダンス施設
本丸のある新田神社までは登山道。車道を3回横切って本丸へ。途中に休憩所あり
↓ 35分
金山城(新田神社)
本丸付近には展望のいい南曲輪に休憩所、日ノ池、大手虎口など。馬場曲輪の尾根道の先に物見台。
↓ 15分
物見台
展望を楽しんでから来た道を戻り、物見台下通路の虎口、西矢倉の堀切から下って行く。
↓ 20分
見附出丸
モータープールを過ぎれば西城の見附出丸へ。さらに下り「大光院 1000m」の道標から左折する。
↓ 25分
大光院
大光院の吉祥門から門前通りへ。 店は数軒。昭和の香りが漂う通りだ。県道321号を歩いて行く。
↓ 20分
旧金山図書館
春日神社手前の交差点から左折して行くと、大正11年(1922)築の旧金山図書館。駅はまもなく。
↓ 20分
ゴール
太田駅
体力度:★☆☆
歩行時間:2時間15分
歩行距離:約6km
アクセス:
[行き]浅草駅から東武線特急で太田駅、約1時間30分。太田駅からタクシーで約10分。歩けば50分。
[帰り]太田駅から行きと同じ。
交通費:4180円(往復・タクシー代含まず)
難攻不落の関東屈指の名城は要塞化した城だった
金山城は人工の要塞である。それは、城の随所に見られる石垣を巧みに用いて敵を防ぐ要塞化した山城だったからだ。
現在見られる石垣は復元されたものだが、大手虎口などに見られるように、工夫を凝らされているのが特徴的だ。
巨大要塞のような城で、事実、文明 3年(1471)には古河公方成氏が八千の兵で 70日ほど攻めたが攻めあぐねて撤退。上杉謙信は6回攻めて、すべて退却したという。
その巨大要塞には東武伊勢崎線の太田駅からタクシーで麓(ふもと)の「史跡金山城跡ガイダンス施設」 まで移動し、そこから出発することにした。
城への道は車道を3回ほど横切ってつけられた登山道。途中の休憩にいい東屋などを過ぎていくと、「南木戸入口址」と刻まれた石柱があった。城の南側は傾斜が緩いので防御性を高めるために曲輪を何度も造ったらしいが、そこの木戸跡か。
最後に石段があり、そこを上がり鳥居をくぐると本城跡。実城(みじょう)とも言う本丸である。そこには新田神社が立っている。
今も水を湛える池周辺には、どこか神聖な空気が漂う。
神社脇に不思議な巨大プールがある。いやプールのように見える日ノ池だ。なんと今も水を湛えている。築城してから500年以上も経つが、一度も涸れたことのない池だそうだ。もう一カ所、月ノ池もあるが、この二つの貯水池によって金山城は 長期間の籠城にも耐えられたわけだ。水がなくては戦はできぬ、ということか。
本丸近くの南曲輪には休憩所が立っているが、ここからの展望は素晴らしい。太田市街はもちろん、晴れればスカイツリーまで見えるとか。
大手道を下りて行くと、金山城の最大の見どころになっている大手虎口(おおてこぐち)があった。両脇が石垣に囲まれた虎口で、石垣の上には曲輪があり、そこから敵を狙い撃ち、ということだろうか。絵になる場所だ。
特徴的なのは、この大手虎口には排水の工夫がなされていること。どうもここは雨水が溜まりやすい場所のようで、岩盤を削ったり、石組排水路を造って石垣などが崩れないように水を虎口の外へ出していた仕組みがある。なかなかの工夫である。
馬場曲輪から尾根の先にある物見台へ。敵の動きをいち早く察知するための展望所である。格好の展望台になっている。ここからは雪をかぶった浅間山が見えた。
物見台から引き返して、堀切などを見て、城の西側を守った見附出丸から、城外へと出た。登山道を下りて行くと徳川家康が建立したという大光院に到着。ちょっと寂れた門前通りを歩いて太田駅へと向かった。
史跡金山城跡ガイダンス施設
巨大石垣のような建物。散策前に訪れたい
スタート地点にある施設。金山城跡の歴史、発掘調査、復元整備などについての資料が展示されている。眼を引く建物の設計は隈研吾氏によるもの。
●9:00~17:00(入館は~16:30)、無料。月曜休み。 太田駅からタクシー10分。 ☎0276-25-1067
金山城
難攻不落の城も小田原合戦後、廃城
文明元年(1469)に新田一族の岩松家純が家臣の横瀬(由良)国繁に命じて築城した。後に城主となった由良氏の時代が全盛期。何度も攻撃を受けたが落城せず。天正18年(1590)、 小田原合戦後に廃城となる。
大光院
呑龍上人が開いた安産祈願の古刹
徳川家康が、その祖とした新田義重を弔うために慶長18年(1613)に建立した浄土宗の寺院。開祖の呑龍上人(どんりゅうしょうにん)は貧しい子供たちを保護したので、「子育て呑龍さま」の愛称がある。 寺の前には門前通りがあるが、店は少なく寂しい。
取材・文=清野編集工房
『散歩の達人 首都圏日帰りさんぽ』より