最近見かけたといえば、2年前にタイのアユタヤへ行ったとき、駅前にダイハツミゼットのコピー版トゥクトゥクが大量に走っていて、少々取り乱し気味に興奮してしまいました(笑)
私はオート三輪現役世代ではないけれども、その独特なフォルムが好きです。また学生の頃は、意外と身近な存在でした。
というのも、初めて実物に出会ったのは1990年代前半のこと。あきる野市秋川の空き地に、マツダT-2000型が遺棄されているのを見つけたのがファーストコンタクトです。丸っこいフォルムに三輪という姿を目の当たりにして、「こんな車があったのか」と、俄然興味が湧きました。そのT-2000型は動き出しそうな状態でしたが、既に廃車だったようで、撮影して数年後には無くなっていました。
大阪芸術大学の写真学科でヘロヘロと学生生活を送っているとき、周辺の羽曳野市ではブドウ畑が広がり、ブドウの低木へ近づけるとのことで、ダイハツミゼットが現役でした。そのため街中を車で走っていると、たまにミゼットとすれ違っていたのです。ミゼットは別名バタンコと言われ、よくコケたそうですが、車体を傾けながら夕刻の交差点を曲がるミゼット(おじいさん運転)を眺めて、「これはコケそうだ……」と妙に頷いていました。あとはたまにT-2000型とすれ違っていましたね。所有者は趣味の方みたいでしたが。
さて前振りが長くなりましたが、そんなこんなでオート三輪が好きなわけです。乗りたい気持ちもあるけれども、さすがに希少車ですし、四輪に慣れすぎているから扱い方は難しそう。「廃もの」として愛でるのが一番です。
今回紹介するのは東京都の西、県境の奥多摩町です。奥多摩周遊道路を走り「山のふるさと村」というレクリエーション施設を目指します。ここは自然体験施設で、キャンプ場や散策などができ、週末はにぎわいを見せます。駐車場から本部の建物を過ぎて階段を降りると、目の前は雑木林が広がり、奥のほうは奥多摩湖の畔が見えます。一見してごく普通の自然散策エリアなのですが、雑木林の傍らに何やら鉄の塊があるのです。
近づいてみると、それはオート三輪でした。斜面の窪地に隠れるようにして放置され、車体を覆うようにして若い木が数本生えています。前輪にも、荷台脇にも、木が生えているのです。その姿はまるで、ラピュタに出てくる樹木に飲まれたロボット兵のごとく。ヘッドライトが丸目のため、正面から見ると何か人型ロボットが朽ちているような……。
このオート三輪は、ダイハツのSCB7型1トン車といい、1950年代に生産されたタイプです。バーハンドルタイプで800cc単気筒22馬力。キャブのドアはなく、ほぼオープン構造です。マツダT2000型やダイハツミゼットに比べ、簡素な出で立ちでした。
目の前に佇むSCB7型は、私がいままで出会ってきたオート三輪のなかで、一番古い型式のタイプです。屋根部分は無く、荷台の背は折れ曲がり、計器類も無く、荷台の板は朽ちて骨組みのみ。が、タイヤは一部装着されたままで、車の形を保っているのに驚きました。蜘蛛の巣に気をつけながら近づくと、単気筒エンジンや、ダッシュボードの骨格、センターフレーム(?)に残るギアがあります。どれも錆びて、もう二度と動くことはありませんが、生きていたときの姿が想像できます。
では、なぜここに放置されたのか? 一帯は、小河内ダムが完成して奥多摩湖となる以前、小河内村の集落がありました。このSCB7型はテレビで紹介されたことがあるのですが、「ダムが出来るとき、オート三輪は村に残された」とナレーションされていた記憶があります。その後確認は取ってないのですが、残されたということは、おおかた移転先へ持っていけないか壊れたからでしょう。疑問なのは、SCB7型は1950年代に製造されたタイプで、小河内村が廃村になったのが1955年。持ち主が購入した後、わずか数年で放置されて雑木林へと没したことになるのか? うーん……。
目の前の朽ちたSCB7型を前にして、色々と想像が広がります。こうやって想像が膨らむのも「廃もの」の醍醐味と言えましょうか。少なくとも、傍らに生えている木の幹の太さから察すると、約半世紀前から放置されていると推測でき、ずっとこの場にいたわけです。『山のふるさと村』が整備されたおかげで、誰でも容易にその姿を拝むことができるようになりました。
奥多摩に眠るオート三輪は、木々に没しているロケーションながらアクセスもしやすく、手軽に訪れられます。周辺もダム湖に沈んだ集落の痕跡があり、じっくり歩くと、さらにいろいろな想像が広がっていくのです。
写真・文=吉永陽一