格子戸の向こうに柔和な笑顔の店主が待つ

格子戸に下がる暖簾(のれん)は常連からのプレゼントされた宝物だ。

神田駅北口から5分ほど。新幹線の高架下ながら京町家を思わせる格子の表構えが印象的な店だ。「緊張する店でもないのにさ。1年近く迷い続けて、ようやく入れたというお客さんがいたよ」と笑うのは店主の中川尚(たかし)さん。

創業は1991年。中川さんは長く商社に務めていたが、縁あって浅草の老舗おでん屋に転職。6年ほど腕を磨き、現在地に店を構えた。1階はL字のカウンター席、2階に宴会用の小座敷がある。

煮物、炒め物、揚げ物などを並べた総菜もすべて店主の手作りだ。

カウンターの上には、手作りの総菜を盛った中皿が並んでいた。この日は切り干し大根、万願寺唐辛子、ハタのあら煮、里芋煮、焼き茄子、揚げムカゴ、マグロ煮など14種。どれもこれも食べてみたい……。迷っていると、中川さんから「少しずつもできるよ」と助け船。お願いすると、全種類を一口ずつ盛ってくれた。

何とも贅沢な気分。この一皿で生ビールが何杯も飲めそうだ。こんなわがままを叶えてくれるのは個人店の良さかもしれない。

カウンター席は檜の一枚板を使用。奥行きがありゆったりしている。

関西風だしの浸みた野菜や自家製の練り物にうっとり

最初のおでん。前から時計回りにゆば巻き、タマネギ、百合根、エビ巻き、よもぎ麩で1個100~200円。

毎朝、中川さん自ら豊洲市場で仕入れる新鮮な刺し身も試したいところだが、お目当てのおでんに移る。銅製のおでん鍋を満たすだしは、白醤油で味付けた関西風。創業以来、店を閉めた後にだしを濾(こ)して沸騰させ、翌朝にカツオ節、昆布、煮干しのだしを継ぎ足す作業を繰り返してきた。だしの深い味わいは努力の結果なのだ。

「手抜きが出来ない」と苦笑いする中川さん。その性分から、さつま揚げ、ばくだん(ゆで卵入りの練り物)、エビ巻きなどの練り物も自家製だ。さつま揚げはタラのすり身に、生エビ、生ホタテを加えるのが中川さん流で、おでん種にするのがもったいないほどだ。

おかわりしたおでん。前から時計回りに、白子、さつま揚げ、ヒラタケ、菊菜で1個100~200円。

知り合いの農家が送ってくれる野菜もおでん種になる。セリや春菊の一種・菊菜などの葉物は、注文を受けてからだしにくぐらす程度で提供。定番の大根やジャガイモをはじめ、ホクッとした百合根、クワイ、海老芋、タマネギなどは、時間をかけて煮ていく。

よもぎ麩、ゆば巻き、ねぎまなどもあり、おでん種は35~40種になる。白子や銀杏のように季節限定品もあるので、まずは品ぞろえを聞いてみるといい。

おでん屋ならではのシメは濃いだしのかけめし!

かけめし500円。お新香のぬか漬けも秀逸で、後味がサッパリする。

おでんを一皿、二皿と平らげていると、一人の常連がやって来た。「いつもの」と注文を受けると、中川さんは瓶ビールを開け、総菜を少しずつ盛って差し出した。頃合いを見て、鍋に湯を張り熱燗の用意。「白鷹で」の注文を合図に徳利に日本酒を注いで湯の中へ。手の感覚で温度を計り提供すると、適温だったのだろう、常連もニッコリ。満足の表情だ。

“打てば響く”を越えて、“打たずとも響く”といった間柄。大人ならこんな店を一軒は持ちたいと羨ましくなった。

最後に注文したのは名物かけめし。白飯の上に軽く醤油ダレに漬けたマグロ、すりたてのわさび、白ゴマ、三つ葉、海苔を乗せて、だしをかけたもの。だしはおでんのだしに削りたてのカツオ節を加えるので、さらに香りが立ち、旨味も増している。

食べ始めると箸が止まらず、瞬く間に完食! 全身がポカポカと暖まり、笑顔がこぼれてきた。

店主の中川尚さん。この笑顔に惹かれて足を運ぶ常連も多い。
住所:東京都千代田区神田須田町2-12-3/営業時間:17:00~21:00/定休日:土・日・月(12~1月は土曜営業)/アクセス:JR・地下鉄神田駅から徒歩5分

取材・文・撮影=内田晃