専用線最大級の遺構に出会う
昭和から平成、平成から令和へ、元号が二つも変わった2020年晩夏の午後。東京湾にあった貨物線の跡なんて、もうとっくにないだろうなと思いながら、豊洲のほうへ向かいました。地下鉄月島駅から歩くと、うだる暑さで汗だくです。汗っかきだから夏は嫌いなんだよとブツブツ独り言で文句を言いながら朝潮大橋を渡ると、前方に何やらアーチ状の鉄骨躯体(くたい)が見えました。
近づいてみると、鉄道アーチ橋と分かります。幅は単線分で、アーチ橋の前後はコンクリート橋が架かっています。これは港湾局専用線のひとつ、晴海線の「晴海橋梁」。今回の目的である港湾局専用線の遺構です。のっけから専用線最大級の遺構に出合いました。
晴海橋梁は錆びたレールが敷かれたままです。晴海線の廃止は1989年でした。橋梁は風の強い日も、雨の日も、雪の日も、嵐の日も、レールが敷かれたまま31年間、二度と来ることのない貨物列車を待っていたのです。
それだけの月日を経ていれば枕木も朽ちてきており、アーチ橋に続くコンクリート橋には草だけでなく低木も生えていました。こんなところに木が生えているとは。廃線跡を訪れると、橋梁部に木が生えているシーンに出合うことがありますが、なんでわざわざ橋梁に? と思うことがあります。鳥が種を運んで育ったのでしょうか。ここでも「木の生えた橋」に出合えて、やっぱり自然は強いなぁなどと、暑さも忘れて感心してしまいます。
晴海橋梁の晴海埠頭側には、かつて機関区と貨物ヤードがありましたが、いまは見る影もなく、タワーマンションに囲まれた空き地となっています。この先、埠頭の倉庫群に線路の跡はあるそうですが、逆方向の豊洲方面へ足を向けます。晴海橋梁は並行して道路橋の春海橋があるため、橋梁が間近に観察できます。人の往来は多いですが、じっと見つめているのは私だけ。人々は晴海橋梁の存在に慣れっこになっている様子です。
豊洲側へ到着すると、廃線跡はプツっと途切れ、線路のあった方向には高層ビルがドンと構えていました。「これじゃぁ、足跡は辿れないよな……」ビルを前にして、唖然とします。豊洲は再開発著しく、高層ビルやタワーマンションが連なり、ららぽーと豊洲があります。晴海線が現役だった時代の航空写真を見ると、工場群に囲まれて線路がS字を描いており、再開発のとき碁盤の目状に区画整理された模様です。
豊洲エリアでの痕跡は皆無に等しいと思いきや、再開発後に誕生した区立豊洲北小学校付近の緑道で、廃線跡のレールを見つけました。そこは、晴海線が深川線と分岐する箇所でした。モニュメントとして残してあるのです。とくに説明看板はないものの、「ここに専用線が走っていたんだよ」とさりげなく語っています。もっとも、道ゆく人は誰も見向きもせず、このモニュメントはそんなに注目されてなさそうな雰囲気でした。ちょっと寂しい……。
橋脚やレールが残る深川線の痕跡
分岐地点の先へと進みます。ここからは深川線の跡を巡ります。小学校脇を抜けると豊洲運河にぶつかりました。前方には橋脚が二基、運河に取り残されています。「豊洲橋梁」の跡です。深川線はここを渡っていました。橋脚は運河の川縁から10mほどに存在し、これでは航行する船舶の邪魔にならないかと思いますが、衝突痕が無さそうなので大丈夫なのでしょう。晴海橋梁みたいに橋桁は無いですが、橋脚だけでも残されていて、足跡をたどる身としては嬉しいです。とはいえ、廃線跡という事情を知らなければ、用途不明なもの「トマソン物件」と言われそうです。
ただし満潮時は気をつけましょう。運河縁は低く、船が航行する度に波がかかります。危うく、足元がずぶ濡れになるところでした。
豊洲運河の先は駐車場となった廃線跡が連続し、こちらは迂回して都道319号線鷗(かもめ)橋を渡ります。と、左手に緑のフェンスで覆われた一角が現れました。周囲はマンションが建つのにここだけ木々が茂り、塚のように守られています。なんぞや?とフェンスへ近づくと……線路です。手付かずの廃線跡がありました。
「おお!残ってる」思わず声が出ちゃいます。錆びたレールと朽ちた枕木はバラストと共に残り、踏切の制御機器もありました。ここは都道319号線の踏切脇だったのです。フェンスで守られた廃線跡は木々が茂り、そのうち一本は桜。ほんと、専用線を偲ぶ塚に見えてきました。春はさぞかし美しいんだろうなぁ。
晴海橋梁から始まった短い廃線跡散歩も終盤です。この「塚」の先は越中島貨物駅。深川線が国鉄と接続していた箇所です。痕跡は都有地となって空き地のまま、越中島貨物駅へと続いています。首都高9号線の真下に出て、貨物駅方向を見やると、都有地にヘロヘロっと草に隠れながらも錆びたレールがありました。その線路の両サイドは一段高くなり、貨物ホームかと思いきや、古い航空写真によるとどうやらそこにも線路が敷かれていたようでした。都有地のすぐ脇は新しいマンションなどが建ち、前方は一戸建てが続いています。この30年間で住宅地へと再開発されましたが、細長いエリアだけが草むして残されているのです。
越中島の廃線跡にしばし佇んでいると、ちょうど夕焼けとなり、錆びたレールが少し輝いた気がしました。その光景にしばし見惚れていると、周囲を行き交う人々は怪訝な表情で過ぎ去っていきます。街は新しく、ここに鉄道が走っていたと知らない人のほうが多いのでしょう。せめて、都有地にあるレールはこのまま残されてほしいと思いながら、すっかり夜の帳(とばり)が降りた豊洲へ戻ると、かつて晴海線と深川線が走っていたエリアは帰宅ラッシュ真っ只中。もちろん、誰もモニュメントに気を留めるわけでもなく。
東京都港湾局専用線の痕跡は、再開発された街中でしずかに眠っています。
写真・文=吉永陽一