公園の真ん中にいきなり立っていた前衛作品です。
画面を縦横無尽に駆け抜け、滴り落ちるホワイト。遠くから視界に入った途端に、筆先から絵具を散らして描くドリッピングという手法で有名なジャクソン・ポロックのアクション・ペインティングを連想しましたが、実際に近寄ってみるとこれはやはり自然現象ではなく人為的なもののようなのです。
表面のひび割れを白いペンキで補修したらしく、一見大胆に見える線はよく観察すると細かく塗りつぶすように引かれています。
どうせなら全面をローラーで均一に塗り直せばよかったものを、塗料が足りなかったのかひび割れ部分だけを筆で塗っていったら、塗料の性質の違いから塗り跡が明るく浮かび上がってしまったようです。
しばらく鑑賞したあと、ふと裏側に回ってみてまたもや驚かされました。「ゴミは捨てずに持ち帰りましょう」と公園のマナー標語が普通に書かれていてその表面はきれいに保たれていたのです。
最初に見た方が裏側だったとは、してやられました。
これは遠目に視界に入ったときから絵にしか見えませんでした。何しろきちんと額装されているのですから。
地域のお知らせ掲示板なのか、よくある注意書きの看板と違って幅厚の木枠で四辺が保護されているのです。ライトグリーンのシンプルな額縁とはなかなか洒落ています。
薄目にしてじっと眺めていたら、家路を急ぐ群衆のようにも新宿の高層ビル群のようにも見えてきます。
あるいは、昭和初期の画家が武蔵野の雑木林を描いたらこんな色調の風景画になりそう、というか美術館の壁に掛けてあったら何の違和感もなく収まってしまいそうな気もしませんか。
それにしても一体どうしてこんな傑作が?──おそらく頻繁に更新されるお知らせを貼り替え続けてきた結果、黒い板の塗装が粘着テープで剥がれ、平筆を重ねたようなタッチが生まれたのでしょう。
この無造作な掛け方から想像するにこの家の主はまったく気付いていないようですが、実にいいものをお持ちです。どうか大切になさってください。
今度はモダンアートです。
真っ白になった看板の中央に大きな亀裂が一筋。
単色のカンバスの中央にナイフで切れ目を入れた「空間概念」のシリーズで有名な20世紀イタリアの画家ルーチョ・フォンタナを連想しました。
もともと何が書いてあったのかはまったく読めませんが、もはや当初の任務から解き放たれてただそこに在るというワイルドな存在感を小ぶりながらも堂々と表明しているかのような風格があり、実に野良猫ならぬ〈野良絵〉の気概に溢れています。
これまたなんともいい絵ではないですか。
じっと眺めていると何やら作者の意図が透けて見えてくるような気すらします。
これもテープで貼り直しているうちに自然に生まれた痕跡と傷跡が「絵になっている」一枚ですが、ポイントは使用済みのテープがそのまま残されてコラージュのような効果を生み出していること。
紙を留めていた緑色のテープは必然的に水平垂直にバランスよく点在し、ちょうど中央には白い雲か人影のようにも見える痕跡が浮かび上がっています。画面全体に広がる擦り傷や左下の剥がれた箇所から見えるブルーも絶妙です。
たぶんこの掲示板を管理している人はテープの剥がし方が粗雑というよりどこか「これでいい」と思っている、いや、むしろ「これがいい」と無意識に感じているのではないでしょうか。だとしたら立派な「作者」であり、これは「作品」として鑑賞するにふさわしいもののように思えるのです。
街角に潜むこうした傑作は単に作り人知らずというよりは、自然現象と無意識が生み出した偶然と必然のコラボレーションといっても過言ではないでしょう。
文・写真=楠見 清