◆散歩コース◆
スタート
埼玉古墳公園前バス停
9基ある古墳をすべて回ると最低1時間30分はかかる。2時間なら余裕。博物館は別。
↓ 1時間20分
水城公園
古墳群から武蔵用水、忍川を渡り、佐間天神社の中を抜けて水城公園へ。
↓ 10分
清善寺
公園内の県道を進み本丸児童公園から右折し清善寺へ。県道を越えイサミの足袋工場へ。
↓ 30分
秩父鉄道 行田市駅
スクール工場から国道125号へ出て道を横切り行田市駅へ。駅から蓮華寺方面へ。
↓ 25分
忍城
再び国道へ出て行田市役所方面に向かい、役所の先から忍城へ。堀を渡れば城内。
↓ 8分
かねつき堂
城から国道を進むと「かねつき堂」の看板あり。右折すれば店へ。戻ってバス停へ。
↓ 5分
ゴール
忍城バス停

郷愁度:★★☆
歩行時間:2時間40分
歩行距離:約9㎞
アクセス:
行き
上野駅からJR高崎線で行田駅、約1時間。駅から行田市コミュニティバスで埼玉古墳公園前バス停、約15分。
帰り
忍城バス停から朝日バスで吹上駅バス停、約10分。吹上駅からJR高崎線で上野駅、約1時間。

行田の中心地は駅から遠い。これは正確ではない。秩父鉄道の駅は近いので、そうは言いきれない。でも秩父鉄道は本数が少ないのであまり便利ではない。で、これが良かれ悪しかれ行田の特徴になる。

その① 駅から遠く、バスで中心部に向かうので不便。歩くと遠い。
その② JRの駅前は発展してない。さびれている。中心部ではないから。
その③ 中心部も不便なので、あまり開発の手が入らない。

ということで、昔とあまり変わらず発展はしていないが、その代わりに昔が残る、いい街なのである。

埼玉(さきたま)古墳公園から水城公園へ

遠いのでJRの駅からさっそくバスに乗って、まず広大な埼玉(さきたま)古墳群のある公園へ。古墳数はなんと9基。昭和初期の干拓で激減したが、それまでは小型古墳を含め35基もあったという。造られた時期は5世紀末から7世紀初め。

まず、まん丸い丸墓山(まるはかやま)古墳へ上がってみた。眺めがいい。

丸墓山古墳は直径105mで、日本最大級の円墳。
丸墓山古墳は直径105mで、日本最大級の円墳。
丸墓山古墳から将軍山古墳を遠望。6世紀後半に造られた前方後円墳で、全長90m。横穴式石室が見学可能。
丸墓山古墳から将軍山古墳を遠望。6世紀後半に造られた前方後円墳で、全長90m。横穴式石室が見学可能。

行田の街の中心部を見ると、ビル群の中に違和感のある建物。それが忍城(おしじょう)だった。

全長が135mもある埼玉県最大規模の二子山古墳の近くを歩いて、道路の反対側の古墳も回る。

丸墓山古墳からは行田の中心部にある忍城の復元された御三階櫓が見える。
丸墓山古墳からは行田の中心部にある忍城の復元された御三階櫓が見える。
丸墓山古墳の足元に残る石田堤の痕跡。石田堤は石田三成が忍城を水攻めした際に築いた堤。
丸墓山古墳の足元に残る石田堤の痕跡。石田堤は石田三成が忍城を水攻めした際に築いた堤。
埼玉県幸手市から古墳公園内に移築された旧遠藤家の住宅。江戸時代末期に建てられた稲作農家。
埼玉県幸手市から古墳公園内に移築された旧遠藤家の住宅。江戸時代末期に建てられた稲作農家。
さきたま古墳公園
埼玉県の県名発祥の地とされる場所に公園がある。埼玉古墳群を中心に、さきたま史跡の博物館なども併設。古墳は現在9基。将軍山古墳は明治27年(1894)に横穴式石室が発掘され、副葬品が出土。埋葬時の様子を復元し、見学可能。

史跡の博物館の脇道から、今度は行田の中心部へと向かう。距離は遠いが、ここは歩くことに。

武蔵水路を渡り、忍川を越えて水城(すいじょう)公園方面へ。佐間天神社の裏から水城公園へ出ると沼がある。かつて忍城の周りを囲んでいたお堀跡。と、モスグリーンの美しい洋館が。大正11年(1922)築の旧忍町信用組合の建物を移築改修して今はカフェとなっている。古いのになぜか新しい感じがする。

忍城の外堀だった沼の一部が、水城公園の池になっている。
忍城の外堀だった沼の一部が、水城公園の池になっている。
旧忍町信用組合の建物を移築して現在は子育て支援カフェに。スタッフに子育て中のお母さんも多い。水城公園内にあり、愛称はVert Café(ヴェール・カフェ)。
旧忍町信用組合の建物を移築して現在は子育て支援カフェに。スタッフに子育て中のお母さんも多い。水城公園内にあり、愛称はVert Café(ヴェール・カフェ)。

地道で健気な足袋の街、行田へ

そしていよいよ行田の中心部へ。足袋、「陸王」の町へと入って行く。

行田では江戸時代中期頃から足袋生産が盛んになり、明治20年(1887)頃からミシン導入でさらに発展、最盛期の昭和13年には年間8500万足を生産した。これは日本の8割のシェアという。行田はなぜ“足袋の町”となったのか?

時田蔵。行田市駅近くの大正時代に建てられた足袋蔵。「かるた足袋」の商標で知られた時田啓左衛門商店の蔵だ。
時田蔵。行田市駅近くの大正時代に建てられた足袋蔵。「かるた足袋」の商標で知られた時田啓左衛門商店の蔵だ。
木綿足袋の生産量が日本一だった行田 行田の足袋
2017年に日本遺産となった「足袋蔵のまち行田」。江戸時代、行田周辺は木綿の産地だったことと、中山道が近いことで主に旅行用、作業用の足袋造りを始めた。明治に入るとミシンが導入され、生産量が増大、日本一の足袋の町になった。

行田には今でも80棟もの足袋蔵が残っている。いろいろ巡ってみると、イサミスクール工場という行田市最大規模の工場があった。ドラマ『陸王』でロケ地になったところで、玄関前から見ただけだが、錆びた屋根とブルーの板壁など、なぜか心に響いてくる。建て替えもせずに工場が現役で稼働している、そのなんというか、健気な感じ。これが行田なのかもしれない。

「イサミ足袋」の商標で明治40年から足袋の製造を始めたイサミコーポレーションのスクール工場の入り口。学校の制服などを製造。三角屋根の足袋工場も近くにある。
「イサミ足袋」の商標で明治40年から足袋の製造を始めたイサミコーポレーションのスクール工場の入り口。学校の制服などを製造。三角屋根の足袋工場も近くにある。
イサミコーポレーションの足袋工場。
イサミコーポレーションの足袋工場。

「あまりパッとしないんだよね」と街の人は言っていたが、パッとはしないけれど、地道で健気な感じが、たぶん心を揺さぶったのだ。

1988年に忍城の本丸跡に再建された御三階櫓。この櫓が丸墓山古墳から見える。
1988年に忍城の本丸跡に再建された御三階櫓。この櫓が丸墓山古墳から見える。
忍城
室町時代中期の文明年間(1469~1486)に成田氏によって築城されたといわれる。利根川と荒川に挟まれた扇状地にあるおかげで沼地も多く、それを活かした防御性の高い城だった。豊臣秀吉の小田原征伐の際、水攻めにも耐えたことから浮き城、亀城ともいわれた。櫓内に入るには行田市郷土博物館から。櫓の最上階は展望台になっている。
アドバイス
散歩じゃないけど自転車も便利。行田市では観光レンタサイクルを無料で貸し出している。JR行田駅前の観光案内所など。利用時間もあるのでしっかり確認しよう。

行田市観光案内所  048-550-1611

取材・文=清野編集工房
『散歩の達人 首都圏日帰りさんぽ』より

行田市は江戸時代からの足袋の産地。足袋蔵を利用した観光案内所や博物館、店舗などが点在し、戦国時代の名城・忍城ゆかりのスポットも多数ある。古墳や古代蓮の名所などもあって、歴史の重みを感じられる。距離があるのでレンタサイクルで回るのもいいだろう。