お話を聞いたのは…
足立区立郷土博物館学芸員 多田文夫さん
車両基地の設置から、この街の歩みは始まった
綾瀬駅には、北綾瀬行き専用の0番線がある。綾瀬と北綾瀬だけを結ぶこの路線は、なぜ誕生したのか。その謎を解くべく、足立区立郷土博物館の学芸員・多田さんを訪ねた。
まず、北綾瀬駅の歴史を語る上で欠かせないのが、『綾瀬車両基地』の存在。古くは江戸時代まで遡(さかのぼ)る。
「もともと草っ原に沼が点在する土地だったんですよ。そこを江戸時代に新田開発して、農村になった」と、多田さん。「昭和30年(1955)ごろから、綾瀬川流域を中心に軽工業が盛んになります。初めは水運で東京湾まで運ぶのが主流でしたが、陸路が整備されると、トラック運送も盛んになった」。当時の写真を見ると、現在の北綾瀬周辺は、一面農村地帯。そこを綾瀬川へ向かって環七が走る。こうしてみると、「運送の通り道」という印象だ。
そこへ1969年、営団地下鉄によって、千代田線開業に伴う『綾瀬車両基地』が開設された。「車両を車庫に搬入するための路線で、お客さんを乗せる営業運転はされていませんでした。基地周辺に施設などはなく、職員の通勤も送迎バスで行われる、非常に不便な環境でした」。こうした事情に加え、車庫線建設のために用地を提供した地元住民からは、駅の開業を求める声があった。参考資料の『足立風土記稿 地区編8』には、同年11月の区議会で「車庫を設置したための被害の代償は、車庫線の営業化と新駅設置である」と声が上がっていたと記録されている。車両基地の開業当初から、新駅を求める声は根強かった。周辺の宅地化が進んだ1975年ごろになると、要望はさらに高まり、多くの陳情が寄せられるように。
こうした要望に応えるべく、営団地下鉄は1979年、ついに北綾瀬駅を開設。綾瀬駅には0番線ホームが造られ、両駅間は3両編成の車両が行き交うようになる。
この運行は約40年間続いたが、2015年に大きな転機を迎える。千代田線10両編成直通化の駅改良工事が始まったのだ。「2005年にTX、2008年に日暮里・舎人ライナーが開業すると、周辺交通の利便性が向上し、足立区全体の人口が増えました。その影響もあって、北綾瀬駅も大変化のときを迎えました」
そして2019年、千代田線10両編成の直通運転が開始。これを機に、利便性が大きく向上し、人口増加も進んだ。さらに、2025年6月には『三井ショッピングパーク ららテラス北綾瀬』が開業し、連日多くの人でにぎわっている。かつての「終着駅」のイメージから、今や都心へ向かう「始発駅」として認識されつつある。
「今後、北綾瀬はコンパクトに、多極的な進化をしていくでしょう。足立区全体に言えますが、全域を一気に開発するのではなく、小さなエリアごとに特徴的な街ができて、足立区全体がアップデートされるのだと思います」
車両基地の街としてスタートした北綾瀬の進化は、まだ始まったばかり。これからの変化が楽しみだ。
北綾瀬 超絶進化年表
1969年 綾瀬車両基地 誕生
1979年 千代田線北綾瀬駅 開業
—— 40年続いた3両シャトル時代 ——
2015年 10両直通化へ駅改良工事開始
2019年 千代田線10両編成直通運転開始
——「ただの終点駅」から「都心直通の始発駅」へ——
2021年 M’av 北綾瀬Lieta開業
2025年 三井ショッピングパーク ららテラス北綾瀬 開業
Next 北綾瀬の進化は続く…
綾瀬駅0番線の謎
ホームのできた順番だけでいえば「5番線」ではあるが、1番線の片隅に存在しているため、乗客が混乱しないよう「0番線」と名付けられた。鉄道駅という観点から見ても、全国に数えるほどしかない、希少な存在と言えるだろう。
取材・文=どてらい堂 撮影=泉田真人
『散歩の達人』2026年9月号より
※本記事中の見解および説明は、取材時の学芸員へのインタビューに基づくものであり、東京メトロの公式見解を示すものではありません。








