家族で和気あいあいと営む店

パン屋の仕事というのは朝から実に見事でほれぼれする。開店30分前の『Boulanger Lunettes』を訪れると、不安になるほどがらがらだったパン棚が、開店直前の5分前には計算し尽くされたように次々と焼き上がるパンで埋まっていく。香ばしいパンの香りが充満して、さあ、オープンだ。

川越の隣駅、新河岸駅からカーブを描きながら続く街路を歩くこと十数分。住宅地の路地にひょっこりと現れる一軒家のベーカリーが、店主・若松大輔さんの営む『Boulanger Lunettes』。2002年に東松山で開業し、2008年、職住一体にするため現在地へと移転した。

店内の内装もこつこつ手がけたという店主の若松さん。
店内の内装もこつこつ手がけたという店主の若松さん。

「Lunettesはフランス語で眼鏡。Boulangerはパン職人。パン屋(ブーランジュリー)というよりは、うちは僕一人で焼いているので」と、眼鏡をかけた若松さんが店名の由来を教えてくれた。調理補助や、売り場に立ちお客さんのほしいパンを取って接客をするのは、奥さんとそのお姉さんが受け持つ。少数精鋭の家族経営だから、和気あいあいとしていてフランク。手作りの雑貨商品も並び、毎週土曜日にはなぜかおむすびも販売したりする。DIYによる店内の愛らしい装飾や照明器具、温かみのある内装の雰囲気も相まって、こちらも気安くパンを選ぶことができる。

店の奥には、食器や布小物など、作家ものの雑貨を扱うコーナーもある。
店の奥には、食器や布小物など、作家ものの雑貨を扱うコーナーもある。

約9割のパンに、埼玉県産「ハナマンテン」を使用

パンの品ぞろえはハード系を中心に、ざっと数えて40種類以上。冷蔵ケースにはボリュームのある様々な味わいのフォカッチャサンドも10種類近く並んでいる。小麦粉は開業当初から国産にこだわり、現在はクロワッサンとリュスティックには北海道産を、それ以外の約9割のパンは、大きな田舎パンもフランスパンも食パンもイングリッシュマフィンやコッペパンにも、地元・埼玉県産の「ハナマンテン」という品種を限定して使用しているのが特徴だ。

左上から時計回りに、はなまんてん100田舎パン1296円、ハナマンテン100イングリッシュマフィン183円、いちじくとナッツのライ麦パン345円、たっぷりたまごサンド280円、しましまフランボワーズクロワッサン 302円、河越抹茶とホワイトチョコくるみの入ったフランスパン453円。
左上から時計回りに、はなまんてん100田舎パン1296円、ハナマンテン100イングリッシュマフィン183円、いちじくとナッツのライ麦パン345円、たっぷりたまごサンド280円、しましまフランボワーズクロワッサン 302円、河越抹茶とホワイトチョコくるみの入ったフランスパン453円。

「パン用に小麦を作っているからよかったら使ってみませんか」と、坂戸市の農業担当の職員から紹介されたのが若松さんとハナマンテンの出合い。

ハナマンテンとはもともと長野県生まれの超強力小麦。「埼玉県にも強力小麦を!」と幸手市の製粉会社『前田食品』の働きかけにより、2007年産から坂戸市内で栽培が始まったのだという。

ご当地小麦の単一品種でパンを作ることが、パン屋がお客さんに与えられる価値のひとつになるのでは、という考えもあり、若松さんはハナマンテンでのパン作りに着手。ところが、これが一筋縄にはいかなかった。

「簡単に言うと、味が出にくくて、パンになりにくい品種。あまりの難しさに投げ出すパン屋さんも多かったんです」

日々のパン作りと並行し、若松さんはまず地道に粉の知識を深めて特性を理解することから始めた。そして短所をカバーするような作り方を手探りで編み出していった。大変さを例えるなら、普通のパンが製造に5~6時間かかるとすればハナマンテンは2日。生地を仕込むには前日に十数時間寝かせなければスタートラインに立てないのだとか。本当に手間のかかる粉を、若松さんは約10年かけてとうとう自分のものにした。そのおいしさを引き出すことができたのだ。

ハナマンテン100%で作っているフワフワもちもちの山食パン。
ハナマンテン100%で作っているフワフワもちもちの山食パン。

「正直、僕も、おいしくなるのかな?と自信がないまま続けていたのですが、ある時、劇的に製法がはまったんです。やっぱり、製粉会社の製粉技術と小麦農家さんの努力がありますよね。数年のうちにだいぶ使いやすくなりました」と語るが、若松さんの腕と粘り強さなしにはこの成功もあり得なかった。しかしなぜそこまでしてハナマンテンだったのだろうか。

「おいしさは北海道産と遜色がないですし、こんなに万能な粉はないんです。パンにケーキに焼き菓子、うどんにラーメンと、使い分けなくてもこれ1本でいけるのはすごいですよ。パンの中でも種類によって向き不向きはまだあるけれど、基本的には事足りますから」

今でも県内でハナマンテンを使うベーカリーは少なく、ましてや100%使用のパンがこんなに多く作られている店は稀有。他店にはない個性を存分に発揮している。

そんなハナマンテンのパンのお味はというと、フランスパンでもコッペパンでも、噛んだ途端に生地から深い小麦の風味が押し寄せる。頭にフッとうどんが思い浮かぶほど、ムチッとした独特な弾力もたまらない。ひとくちひとくち、噛みしめるのがもう、楽しいったらない。

冷蔵ショーケースで目が合った、かわいい笑顔のマスカルポーネクリームパン。
冷蔵ショーケースで目が合った、かわいい笑顔のマスカルポーネクリームパン。

ハナマンテンで作るうどんまで!

もし、ハナマンテンの魅力にもっと飛び込みたくなったら、うどんという手もある。なんと若松さん、ハナマンテン100%のうどんを提供する店を最近、近所にオープンさせたのだ。虫眼鏡を意味する『Loupe(ルーペ)』という名の店は、忙しいパン作りの合間を縫って古い一軒家を2年かけてセルフリノベーション。うどん屋としての営業は週2~3日程度だが、若松さんがうどんを打ち、奥さんが友人と調理し、おむすびと一緒に味わうことができる。

若松さんのハナマンテン愛、食べて実感してみてほしい。

『Boulanger Lunettes』店舗詳細

住所:埼玉県川越市砂新田2-8-11/営業時間:09:00~18:00/定休日:月・火/アクセス:東武東上線新河岸駅から徒歩13分

取材・文=下里康子 撮影=本野克佳