住宅地に囲まれた公園に眠る遺構
旧那覇駅から与那原線を巡ります。与那原線はほぼ東へと進み、途中で嘉手納線と糸満線の分岐がありました。廃線跡は国道330号に沿うかたちで進みますが、区画整理が進んでしまったようで、“それらしき道”を探すのは困難です。
しかし、住宅に囲まれた壺川東公園には、大東島のサトウキビ輸送で使用された機関車とSLの下回りが保存されている光景に出会いました。住宅地に突如として保存車両が現れるという光景は不思議です。ケービンの車両は終戦時点で稼働できないほど破壊されて消滅したので、大東島の機関車がケービンの代用となるのも致し方ありません。
この公園付近にはケービンの線路があったそうで、実際に公園の工事でレールが出土されました。出土されたレールは廃線跡と同じような位置に再現すべく“敷設”されたとのことで、足跡を辿るのにはイメージしやすいスポットとなります。
廃線跡は再び住宅地へと消え、古波蔵(こはぐら)駅で北上する嘉手納線と分岐していました。当然その痕跡は無く、古波蔵交差点付近に駅があったそうです。
なお、今回のケービン跡を辿るちょっとした旅は、嘉手納線まで行きませんでした。嘉手納線跡はほとんど道路となって、遺構がほぼ無いためです。嘉手納線で興味深いのは、廃線跡の一部は国道330号となり、ゆいレール安里(あさと)〜古島間と重複していること。新たな鉄道が嘉手納線の一部をトレースするという、歴史の巡り合わせがあったのです。
小川のレンガ橋台は生い茂る木に埋もれかけている
廃線跡は古波蔵駅跡から国道507号に沿うかたちですが跡形もなく、住宅地の生活道路を衛星地図でチェックしても、“それらしき”小道がはっきりしません。きっと国道の拡幅工事か、宅地化と区画整理によって消えていったのだろうと推測しました。
2005年にこの一帯を訪れたときの記憶を思い出します。たしかモスバーガーの向かい側に、小川を渡ったレンガ積みの橋脚が残されていたはずだと思い出しました。モスバーガーが残っているといいなと思っていると、あのおなじみのロゴが目に入ってきました。
よかった、目印となるモスが残っていた! ホッとします。お店を基準にして、道路を渡った向かい側に遺構があったはず。と、建物の傍らの歩道に木が茂っている地点を見つけました。おや? 記憶では木がなかったはずだが……。
信号が変わってその地点へ行くと、「軽便鉄道線路跡」の標識が立ち、生い茂った小川を覗き込むと、レンガ積みの橋台が確認できました。よかった、20年前から変わってなかった。
変化したのは木が成長して生い茂り、遺構をすっぽりと隠してしまっていること。この木はどうやら橋台の脇から生えているようです。古代遺跡の風貌まではいかないですが、このまま樹木へ呑まれてしまいそうな雰囲気すらあります。
以前はディティールを観察しやすかったのですが、今では歩道脇にしゃがみこんで覗き込むしかありません。この状況、端から見たら怪しい行動に見える……。
橋台の遺構は壊されず、81年間もひっそりと国道脇に佇んでいました。行政による案内看板が立てられ、探し回らなくても難なく遺構が見つけられます。橋台がある地点から察するに、廃線跡は国道507号と国場(こくば)川に挟まれた位置に線路があったことになります。
その先は国場駅があって、与那原線と糸満線の分岐駅でした。橋台跡からなぞっていき、樋川(ひかわ)バス停付近に国場駅があったそうです。当然、遺構は残っておらず、与那原方面へ至る国道と県道を進みます。上間交差点の先に一日橋(いちにちばし)という橋があって、2005年に訪れたとき、この道路橋の橋台にほぼ埋まるようにして、レンガ積み橋台が残っていました。今回は残念ながらチェックし忘れたため、この橋台がどんな状況で残っているのか、以前撮影した写真をお見せします。
ケービンで唯一残る駅舎へ再訪問。おや? ちょっと違う
道路を東へ東へと進み、遺構は現れません。兼城(かねぐすく)交差点や自動車道を潜り、さらに東へと道路を進むと与那原町の中心地へ到着しました。与那原町役場の近くには与那原駅舎を活用した建物が残っているはず。若干勇み足となって、通行量の多い町内の狭い道路を進むと、JAの建物として活用されている駅舎がある…… あれ? なんか、新しい。
正面には旧字体で「與那原驛」と掲げられています。以前はもっと年季が入っていたのだけど、JAは移転したとのことで、リノベーションしたのかな。疑問に感じつつも、駅舎周辺から撮影していきます。
与那原駅は大正4年(1915)に開業し、昭和6年(1931)にケービン唯一の平屋建てコンクリート駅舎として竣工しました。白亜の駅舎は街で一番目立つほどで、泡瀬まで行く馬車軌道の起点でもあり、街の中心地として栄えました。
しかし沖縄戦の砲撃によって、骨組みだけが残される無残な姿となってしまいました。骨組みとなった駅舎は、戦後になっても解体されず、平屋建てから2階建てへと大改築されました。砲撃に晒されても、鉄筋は丈夫だったということでしょうか。竣工時の平屋建てコンクリート駅舎の姿は、2階建ての農協の事務所として生まれ変わって大変化しました。
駅舎の裏へまわります。裏手はホームと線路の位置となりますが、いまは生活道路と住宅地となっています。駅舎裏は切断された柱が9本等間隔に並び、一部は鉄筋がむき出しになっています。コンクリートの質も現代の感じではなく、戦前の建物によく見られる荒々しい質感です。
以前はこんな柱が無かったような。そういえば、目の前の駅舎は2階建てではなく平屋建てだ。駅舎へと復元したのかな。いや、それにしては新しい。内部は『与那原町立 軽便与那原駅舎展示資料館』となっているので、職員に尋ねてみました。
「与那原駅舎は建て替えたのですよ。以前見られた建物は老朽化で取り壊し、裏手の柱の一部をモニュメントで残したのです」
なんと、戦火に耐えた駅舎は解体されたのですか。JAが与那原港側へと移転した後の2014年に解体され、現在は復元された与那原駅舎となったのです。まぁ、なんということでしょう。当時の姿へ復元ではなく、建て替えたのですね。それで新しい建物に見えるわけか。
残念ですが、建物の老朽化ならば致し方ないですね。老朽化した建物の保存はかなりの手間と予算がかかり、継続して維持するのも大変です。与那原駅舎は駅舎のかたちとして再建築し、一部を遺構として保管する道を選びました。
資料館内部は沖縄県営鉄道に関する展示が充実しており、現役当時の光景を調査して反映させた運転シミュレーターもあり、ケービンの足跡を巡る際はぜひとも立ち寄ってほしい展示となっています。
次回は後編、糸満線と気になるトイレを見つけに行きます。
取材・文・撮影=吉永陽一







