高齢者の“足”になっているバス
平日の午前中、灘駅前から坂バスに乗ってみる。今回、特別にまずは循環コースを一周ぐるっと乗車させてもらうことにした。坂バスの車両には日野自動車の「日野ポンチョ」が使われており、その丸みのあるフォルムが可愛らしい。
灘駅を出発したバスは岩屋駅を経由し、水道筋商店街の脇をかすめるようにして北へと向かう。後で聞いたところによると、利用者層は時間帯によって異なるそうだが、私が乗った11時台の車内には高齢の方が多く見られ、坂の上の住宅地に向かう方や、逆に坂の上から商店街の方まで乗っていくようだった。
水道筋商店街を過ぎたあたりから道幅が格段に狭くなり、また、坂の勾配が急になるのがわかる。道路沿いに一時停車している他の車の横を通り過ぎていく場面もあり、かなり慎重な運転が必要となるルートのようだ。
摩耶ケーブル下という停留所からの乗客を迎え入れると、バスは今度は坂道を下っていく。途中、前方に海が見えた。それだけの坂道を上って来たのだ。なるほど、毎日この坂を上ったり下りたりするのは、特に高齢の方には大変だろうなと思った。
バスは再び私が乗った灘駅前に戻ってきた。一周にかかる時間は30分ほど。改めてそこから乗車して、今度は摩耶ケーブル下の停留所で下車することにした。
その停留所の名からもわかる通り、摩耶山の山上へと向かうケーブルカーの乗り場と接続しており、基本的に20分間隔で運行しているケーブルカーの出発時刻に合わせるようにダイヤが組まれている。
坂バスが誕生した理由の一つが、「摩耶山への観光ルートを確保する」というもの。つまり坂バスと摩耶山とは切っても切れない関係性なのである。そうと知れば、摩耶山へも登らないわけにはいくまい。山の中腹まで運んでくれる「摩耶ケーブル」というケーブルカーと、そこからさらに山頂近くまで行く「摩耶ロープウェー」がセットになって、「まやビューライン」というルートが構成されている。
全長約1km、高低差312mを約5分で結ぶ摩耶ケーブルに乗って山上の「虹の駅」まで(ちなみに、摩耶ケーブルの発車メロディは松田聖子『赤いスイートピー』で、作詞を手掛けた松本隆が神戸にゆかりがあることから採用された)。
そこから摩耶ロープウェーに乗り継いで「星の駅」へと向かう。私は過去に何度かこのロープウェーに乗ったことがあるのだが、「こんなにすごい景色が手軽に眺められるとは」と毎度信じられないほどの絶景が窓の外に広がる。
坂バスの生みの親の一人・慈憲一さん
ロープウェーを降りると、摩耶山上の展望広場「掬星台(きくせいだい)」が目の前だ。
ロープウェーの駅舎は「摩耶ビューテラス702」という建物と直結しており、その2階にある『cafe 702』では、絶景を眺めながらの食事を楽しむことができる。人気メニューのチキンカレーと缶ビールを注文してくつろいでいると、ちょうどいいタイミングで慈(うつみ)憲一さんにお会いすることができた。
慈憲一さんは、灘区を盛り上げるべく様々な活動をしている方で、「naddist(ナディスト)」と自称する、この界隈では知らない人のいない人物である。そしてその慈さんこそ、坂バス誕生の立役者なのだ。
坂バスが生まれた経緯について、「まやビューラインが資金難で廃止になるという話が持ち上がって、そこまでのアクセスを便利にしたいというのがきっかけだったんです。それと、坂の上の方で暮らす方々の生活支援という二本の柱で立ち上げた企画でした」と慈さんは語る。山上へのアクセスルートだけではなく、摩耶山上を活性化させるアイデアも盛り込んだ提案書を神戸市に提出したところ、それが受け入れられた。
その後、東灘区で「くるくるバス」というコミュニティバスを運行していた民間企業・みなと観光バスに協力を仰ぎ、バス会社と行政、そして地域の商店会や婦人会の方々と話し合いを続けながら実現に向けた歩みを進めていった。
その苦労は並々ならぬものだったろうが、慈さんは「大変やったけど、楽しかったですよ」という。「みんなで歩いてバスの運行ルートを考えて、調整していったり。運転手さんは大変なコースだと思いますけどね。ギリギリのところを通る場所も多いし、特にだんじりが出る時なんか大変で(笑)」。
ちなみに坂バスという名前は当初、仮の名前としてつけられていたプロジェクト名だったそうだが、結局それ以上にしっくりくる名前がなかったのだとか。「最初は『坂バス(仮)』で、とりあえずそう呼んでいたんですけど、他にいい名前がなくて『(仮)』を取りますかって(笑)。たまに名付け親みたいに言われるんですけど、僕は『(仮)』を外しただけなんです」と、そんな面白い話を色々と聞くことができた。
水道筋の街を散策するのにも便利
摩耶山のふもとまで引き返し、坂バスに乗って「灘中央筋商店街」という停留所で下車した。この停留所の周辺こそ、バスがアーケードの下を走る区間である。次のバスを待ち、その珍しい姿を眺める。
灘中央筋商店街を含む水道筋商店街のアーケード街には様々な商店が集まり、いつ歩いても活気があって楽しい。
青果店、古着屋、喫茶店……色々な商店が集まっている。商店街近くにある『たびたび書店』という書店に立ち寄ってみることにした。
コンパクトなスペースながら、店主の河田真さんがセレクトした新刊が並ぶ書棚は魅力的だ。17時からは店内でドリンクを飲みながらくつろぐこともできるが、この日はまだ時間が少し早かったので我慢する。
店主の河田さんと立ち話をしていると、岡山県から水道筋商店街を訪れたというお客さんがやってきた。聞けば幼い頃、このあたりに住んでいたことがあり、久々に旅行に来たのだという。「商店街の様子も昔とはすっかり変わっていましたけど、懐かしいお店も残っていて、『キムラ商店』の焼き豚も買えたんです」と、昔から大好きだったというその店のショップカードを見せてくれた。
店を出て、個人的にも大好きな串かつ専門店『一燈園』へ寄っていくことにした。
瓶ビールを飲みながら串かつを食べ、さっき買ったばかりの本のページを開く。なんと心安らぐ時間だろうか。摩耶山に登って帰りに商店街に寄っていくこのルートは本当に素晴らしいなと思った。
一休みして帰路につく。名残を惜しむように最後に灘中央筋商店街をもう一度覗くと、ちょうど坂バスがアーケードに向かってくるところだった。なんだか得した気分だ。そして「そういえばさっき書店で会ったお客さんが教えてくれた焼き豚の店はここら辺だったはず」と思い出し、私も真似をして『キムラ商店』で焼き豚を買うことにした。
家に帰り、夕飯時に『キムラ商店』の焼き豚の包みを開く。200g購入したのだが、結構大きな焼き豚の切れ端を「これも入れておきますね」と、サービスしてくださった。そのなんとも美味しそうな色合いを眺め、楽しかった一日を思い返した。
後日、改めてみなと観光バスの社長・松本浩之さんにお話を伺った。民間企業である以上、新しいバス路線で採算が取れるかどうかについてはシビアな視点で見る必要があり、その点では松本さんは当初あまり乗り気ではなかったという。
しかし、検討段階のやり取りの中で慈さんの熱意や灘区の地域住民の思いを受け取るうち、その気持ちが変わっていったそうだ。
「アーケードを通るルートなど、実現のための課題はたくさんあったんですが、慈さんを中心に街の方々がみんなで一緒に考えていこうとする姿勢に共感を覚えました。生活の足として、また、まやビューラインや水道筋商店街を盛り上げるために坂バスが果たせる役割は大きいと思っています」と松本さん。
現在の利用者層は幅広く、7時~8時台は通勤・通学、9時~10時頃は病院への通院、それ以降は水道筋商店街での買い物を目的に乗る人が多くなるという。さらに、そこにまやビューラインへの観光目的の方も加わり、特に紅葉の見頃などは乗客が多くなるそうだ。
また、現在、神戸市在住の70歳以上で敬老パスを持っている方は乗車料金が半額になるサービスを実施しており、このことがさらに認知されていくように努めているとのことだった。
一方で今後の課題も色々あるという。「坂バスを運営するためにも利用者の数を維持しないといけませんし、かといって満席状態が続けば立って乗ることになり、高齢の方の転倒事故なども起きかねません。また、運転手の人手不足も深刻です。事故なく、安全に運行するというのは当然で、そのためにも技術の高い運転手をどのように確保していくかということも懸念事項ですね」。
生活の足として、観光ルートとして、様々な目的で利用する人々がいいバランスでこのバスに乗り続けられるよう、私もたまに応援しにいかねばと思った。
「坂バス」詳細
取材・文・撮影=スズキナオ







