パリッコ

1978年、東京生まれ。酒場ライター。著書に『酒場っ子』『つつまし酒』『天国酒場』『ごりやく酒 神社で一拝、酒場で一杯』など。近著は、ラズウェル細木氏、スズキナオ氏との共著となる『そこそこでいいんだよ 「酒のほそ道」の名言』(スタンド・ブックス)。

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現在の酒場文化の多様な盛り上がりを、30年前に大衆酒場で飲んでいたお父さんたちは、はたして想像できただろうか?

この流れの原点には、やはり居酒屋探訪の第一人者、太田和彦さんがいるだろう。バブル期、名門「資生堂」のデザイナーという立場にありながら、いち早く酒場の魅力に気づき、独自に研究を始める。名著『ニッポン居酒屋放浪記』が発売されたのが1997年。それまではおじさんのたまり場のイメージで、当たり前に存在しながら多くの人が見向きもしなかった酒場の良さを再評価した。

さらにおなじみの吉田類さんや、『古典酒場』、そしてもちろん『散歩の達人』などの雑誌も伝道師となり、酒場は、酒が飲める誰もが楽しめる、人々の癒やしの場、社交の場として間口を広げていった。

その隆盛はやがて、酒場の魅力にとりつかれてしまった次世代によって、さらなる熱気を帯びつつ細分化された。ある者は志を持って新店を始め、ある者はYouTubeやSNSなどのニューメディアを通して情報を発信し、ある者はその記録を残すことに使命を感じ、写真に撮り文章につづる。かく言う僕もその末席にいる者だが、“若手”などと言われることもありつつ、もう40代後半だ。それでも店を取材し、その良さをただ伝えたいと考えながら書けば書くほど、さらに酒場のことがおもしろく、好きになっていくし、深淵の底知れなさに畏怖も感じる。

大衆酒場、居酒屋、立ち飲み、角打ち、スタイルはさまざまだけど、共通するのはあまり懐を気にせず、気楽にリラックスして心身をときほぐせる場所であること。昨今は“ネオ大衆酒場”と呼ばれるような新感覚の店も珍しくなくなり、飲食チェーン店も積極的に参入。ひと言でくくるのは難しい一大ジャンルだ。とにかく、酒が飲める場ならばそこは酒場。多様な趣味嗜好に対応し、誰もが自分なりの幸せな時間を謳歌できる。そんな場所が全国各地に無数にある日本という国は、世界的に見てもかなり特殊なのではないだろうか。我々酒飲みにしてみれば、こんなに恵まれた環境、時代はないとも言える。

一方で、楽観視ばかりもしていられない。文化遺産に認定したいほど味わいのある横丁や名店が、いともあっさりと消えてしまうことがあるという側面が、酒場の世界には特に顕著にあるからだ。建物の老朽化や跡継ぎ問題はこの30年で確実に進行し、好きだった店が閉店してしまうという経験をし過ぎ、だんだん慣れっこになってきてしまったくらいだ。近年の東京で言えば、2021年に開催されたオリンピックに向けての都市再開発と、時を同じくして発生した新型コロナの影響で、その傾向はさらに急加速したイメージ。

ただ、古い横丁や酒場をいつまでもそのまま残してほしいというのは、たまにそこに飲みにいく僕のような余所者(よそもの)の勝手な願望であることも多い。安全性の問題などを考えれば、新しくしてもらったほうが安心という近隣住民が多数派だろう。そもそも日本は、解体と再構築をくり返し続けてきた国。だからこそ、好きな店は永遠にあると錯覚せず、行きたいと思った時に行くべきだし、その儚さをはらんだ時間を、できるかぎり心に刻んでおきたい。

若者の酒離れという言葉も聞くし、我々を取り巻く環境や人類の傾向がどう変わっていくかはわからないけれど、当面、酒や酒場を愛する人がいなくなることはないだろう。人生で訪れられる数も限られた、一軒一軒の酒場を大切に、今夜も良い時間と酒に酔いたいものだ。

文・写真=パリッコ
『散歩の達人』2026年4月号より

その空間に何度心が昂(たかぶ)っただろう。30 年で一般化した「大衆酒場」という言葉は、立ち飲みやネオ酒場まで飲み込むほど、懐を広げていった。無数の杯を重ね、『散歩の達人』が追い求めてきた、よき大衆酒場とは。
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