寺田寛明(てらだひろあき)
1990年生まれ。草加市出身。獨協大学法学部卒業。幼少期、嘉門達夫に衝撃を受け、お笑い芸人を目指す。高校時代からお笑いライブに出演、地元草加で塾講師を勤めながらR-1グランプリ4年連続決勝進出も果たす。
草加の外に出ようとは思わなかった
寺田 (2月号の蒲田・大森・池上特集号を見ながら)実は僕生まれてしばらくは大森、大井競馬場の近くで、そこから草加に引っ越したんですよ。
——そうだったんですか!
寺田 それからは大学も草加で、塾も草加。最初は生徒として通っていて、卒業してそのまま講師になりました。
——草加の外に出ようとは?
寺田 思わなかったなぁ。1時間電車乗れば新宿でも渋谷でも行けるし、一人暮らしするほどじゃないなって思ってました。大学も正直興味なくて。高校2年くらいからライブに出ていたので、卒業したら大学行かずにそのままお笑いやりたかったんだけど、親にせめて大学まではと懇願されて。本当に一番家から近いっていう理由で選んだのが獨協大学でした。
——芸人になるきっかけは?
寺田 僕、小学1年生の時に嘉門辰夫さんのCDカセットを聞いて、本当に腹抱えて笑ったのを覚えてます。お笑い芸人ってみんなダウンタウンさんを通るじゃないですか。僕はおそらく芸人界唯一の嘉門辰夫入り口です。
——たしかに珍しいかも……。
寺田 小学生で感銘を受けて、高校ぐらいまでずっと聞いてました、嘉門達夫。お笑いの基礎が嘉門達夫。やっぱりずっとピン芸人を見てましたね。
——勉強は好きでしたか?
寺田 うーん。テストの点が良くても提出物出さないから評価点が悪い、そんな子供でした。今思えばちょっと尖ってましたね。だから学校より塾がとにかく居心地よくて、塾にずっといました。提出物もそうだし早起きも無理だし、中学くらいでうっすら「俺普通に働くの無理だな」って思ってた。
——しかし高校生の時点でお笑いライブに出てたというのは、だいぶ早いですね。
寺田 高校の時にお笑いやりたいなって思い始めたんですけど、高校生が出られるライブって当時少なくて。かろうじてM-1甲子園っていう高校生の漫才の大会があったんですけど、コンビじゃないとダメで。
——コンビを組もうとは思わなかったですか。
寺田 高校もやる気なくて毎日寝てるだけ。もちろん友達もいないから相方も見つかりません。でも僕は嘉門達夫で育ってるので、ネタは一人でやれるのも知ってるんですよ。今まで見てたのもピンネタばっかりだったし。一生懸命探してようやく高校生でも出られるライブを見つけて、そこが芸人としてのスタートでした。
——ずっとストロングスタイル貫いていらっしゃる。
寺田 学生の時から芸名ではなく本名のまま、それ一切変えずに20年近くやってるやつ、マジで俺くらいだと思います。お笑い養成所も通ってないし。
——お笑い養成所と寺田さん、合わなそうすぎる(笑)。
寺田 絶対合わないと思います(笑)。だから自分の芸歴もあやふやなんですよ。高校生からやってて、その後、大学お笑いもやるんですけど、大体の芸人は早くて大学お笑いスタートなんです。真空ジェシカの川北とかサツマカワRPGとか同い年なんですけど、でも芸歴は俺が若干先輩という。
——同期なのか先輩なのか。
寺田 その辺を俺がややこしくしてるんですけど(笑)、自分的には何でもいいんです。多少後輩がタメ口を使ってきても、何とも思わないですし。たまにやっぱいるんですよ。ライブシーンでも後輩があいさつ来なくて怒る芸人とか。そいつらのせいでだいぶめんどくさい(笑)。
——マセキ芸能社に入ったのはどういうきっかけでしたか。
寺田 オーディションで入れる数少ない事務所だったのと、僕高校生の時からバカリズムさんをめっちゃ見始めて、単独全部行くぐらい好きで。どうせ入るなら尊敬できる人がいる事務所がいいなって。
——バカリズムさんに憧れてマセキに入ったこと、バカリズムさんはご存知なんですか?
寺田 単独ライブの手伝いもやらせてもらったし、升野さん(バカリズム)の作業場入れてもらって一緒に作業したりするくらい近くには行けたんですけど……タイミング見失って、もう今更言えないです(笑)。
ダンディ坂野さんの“ゲッツ”を解釈する
——草加という街に、自分の芸風が影響受けてるなって思うことありますか?
寺田 草加にですか。街というか、僕の場合やっぱり塾ですね。中1から通い出した草加の塾、そこの先生が大好きだったんですよ。お兄さん先生って学校の先生とはやっぱ違うじゃないですか。授業中別に全然言わなくていいこととか言うし。面白かったですね。塾で習ったことは、今ネタにめっちゃ生きてます。YouTubeにあげてるんですけど、ダンディ坂野さんの“ゲッツ”を英文法的に解釈する、みたいなやつ。あれ
は塾の英語の先生が授業中に本当にそういう話をしてたんです。
——どんな内容だったんですか?
寺田 あのゲッツは三単現の「gets」なのかアポストロフィーsの「get’s」なのかみたいな話だったんですけど、それがずっと頭に残ってるんですね。あれを大人になってから急に思い出して、ちょっと広げてみたらあのネタになった。
——すごい!
寺田 その塾に講師として働き始めると、教室長が毎日のように飲みに連れて行ってくれたりして。居酒屋も行ったし、ラーメン屋にもよく行きました。『ニュータンタン草加』はチェーンの中でも異様にうまい。
——埼玉では古参のニュータンタンですね。
寺田 あと『珍來』も結構いろんなところにありますけど、草加の西口店が妙にうまい。チャーハンとか。
——草加ってお煎餅のイメージが強いですけど、ラーメン屋さんが激戦区なんですね。
寺田 そういえば通学路の田んぼの横によく煎餅干してありました。あまりにも日常気にもとめてなかったけど。
——寺田さんは2021年から4年連続でR-1決勝に進出されていますが、塾の先生時代に決勝に行っていたということですよね。
寺田 生徒とその親御さんと家族ぐるみで応援してくれていたみたいです。だから今でもやっぱり下ネタはやれない。なんか気まずくて(笑)。
今回お話を伺った場所は……
『文治』
隣接する『旅館越後家』の4代目・池田夏希さんが、2021年に始めたおむすび喫茶。古い木造アパートの一室をリノベーションした和モダンな空間でいただくおむすびには、石川県の農家から直送されるコシヒカリを使用している。ちなみに「文治」は夏希さんの曽祖父のお名前から。
取材・文=西澤千央 撮影=三浦孝明
『散歩の達人』2026年3月号より






