強風で帰れなくなった島には炭鉱の遺構が……
ガタガタ……ガタ!……、宿の部屋の西窓は強風が吹きつけ、大きな音を上げている。外は漆黒の闇。島を囲む外海の荒々しい波音も聞こえないほど、風は悲鳴に似た大きな音を上げている。
点滅する信号機の黄色い灯りだけが、窓に差し込む。島内に唯一ある信号機は3年以上も黄色点滅のままだという。そこを渡る人はいない。信号機の背後は鉄筋コンクリート造りの団地アパートがあるはずだが、暗くて判別できない。アパートの部屋は明かりも灯っていない。ほとんどの建物から人の声が消えている。
海はおりからの強風で時化となり、船は欠航となった。島からは出られない。宿の部屋で物思いにふける。明日は船が出るだろうか。ガタガタ……ガタガタ……。強風は収まりそうにない。
冒頭から何かが起きそうな予感ですが、冬の島の状況を記してみました。このたび、長年行こう行こうと思っていた池島へ訪れることができたのです。しかも、強風の多い冬場に。
池島は西彼杵(にしそのぎ)半島西側から沖合に約7km、長崎市外海(そとめ)地区の五島灘に位置し、もともとは半農半漁の小さな集落の島でした。この海底には西彼杵炭田が分布しており、周辺の松島、大島、崎戸島は明治時代から昭和初期にかけて海底炭鉱を操業していました。
池島は1952年から海底炭鉱が開発され、農地は炭鉱施設となり、島のほぼ全体が炭鉱関連施設に覆われ、「軍艦島」の端島のような炭鉱の島となりました。坑道は西側へ約3kmの蟇島(ひきしま)海底へと掘り進められ、本坑から枝分かれする坑道の総延長は約90kmにも及びました。
島は炭鉱関係者で最盛期に7000人以上の人口を誇ったものの、21世紀に入ったばかりの2001年11月の閉山によって急激に減少し、現在の住民は僅か80余名だといいます。多くの炭鉱関係者と家族が住んだ団地群は住民がほぼ退去し、ほとんどの棟が自然へ還りつつあります。海底炭鉱は良質な石炭でしたが、コストの安い海外産に太刀打ちできずに閉山となりました。
池島は廃もの好き、とくに炭鉱好きにとっては「一度は行きたい場所」のひとつでしょう。軍艦島よりも島の面積が大きく、港から炭鉱施設の遺構が望め、島の中央部分は炭鉱関係者の住居だった団地のアパートの遺構がびっしりと並び、もちろん室内には入れないものの、道からならば誰でも散策できます。
ただし気をつけなければならないのは、アパートは全てが廃墟ではないことです。いくつかの棟は住民が生活しています。あくまでも生活空間の中に廃墟が隣り合わせの環境となっており、島民が生活する空間でもあるという認識のもと、分別ある行動が求められます。
島では炭鉱ツアーを開催するが、宿泊は気を付けて
池島炭鉱は2001年の閉山後、海外からの鉱山技術者が学ぶ技術支援施設となり、同時に長崎県として貴重な炭鉱施設を活用し、後世に渡って炭鉱について学べるよう、実際の坑道を用いた「坑内探検ツアー」を開催したり、廃団地の一棟に入り当時の生活を紹介し、立ち入り禁止施設を見学する「島内観光ツアー」を開催したりと、実際の炭鉱に触れられる炭鉱ツアーを開催してきました。
過去形で記したのは、これらのツアーが2026年度、つまり2027年3月末で終了してしまうからです。島内にはハイエースタイプのコミュニティバスが運行していますが、このバスも2026年3月に廃止になり、島内の公共交通機関は終了となる予定です。
住民の足は自動車がほとんどで、西彼杵半島の大瀬戸港と神ノ浦港からフェリーが結んでいます。冒頭でもチラッと匂わせたように、半島と島を結ぶ船は時化になると運休してしまうことがあり、冬季は風も強まることから運休も多くなるとのことです。池島へ渡るときは余裕ある日程で訪れたほうが良さそうですね。
実際に島へ訪れる2日前、宿から「来島日は時化予報でフェリーが運休予定です」と連絡がきました。急遽行程をずらしてことなきを得たものの、カツカツの予定であれば詰んでいたところです。
また島へ渡る注意事項として、島内に唯一あった食堂は2023年で閉店し、コンビニやスーパーもありません。小さな商店でお菓子やカップ麺程度は入手できますが、食材を持参したうえでの来島が望ましく、宿は一軒ありますが、ここでも素泊まりのみとなっています。なお、冒頭はこの一軒宿で投宿中に書き記しました。
いよいよ島内に残存する遺構へ
池島へ訪れた人に感想を聞いたら、みな口を揃えて「圧倒された!」「凄い!」「猫!」と言います。何がそう言わせるのか、この目で見てみたい。猫とは何か? いざレンタカーでフェリーに乗り込み池島港へと入港する直前、左舷いっぱいに池島炭鉱施設の遺構が目に飛び込んできました。
池島は炭鉱開発以前、港部分が島名のとおり池でした。池は炭鉱開発によって大型船が入港できるよう、外海へ開口されて湾となりました。「C」字状の湾内左手には石炭積み込み施設の遺構が張り出し、背後の低山の中腹には沈殿池の円形コンクリート構造物、発電所などの遺構が目に飛び込んできます。その光景に早くも釘付けとなります。
上陸! 港はシンプルに桟橋があるのみで、一本道を進むと現役の鉄筋建てアパートが6棟と銭湯が現れます。後から聞いたところこれら団地は炭鉱関連会社のために建てられたそうで、現在は長崎市営住宅となっています。
団地の先には火力発電所跡の遺構が現れました。背後はシックナーという一種のろ過装置の円形遺構が、存在感を際立たせています。おりしも天気は重い雲が垂れ込む曇天で、空気も心なしか重く感じます。火力発電所は管も崩れかけていますが、炭鉱施設へ電力を安定供給し、海水を真水へと変換する施設も伴い、島内の水道をまかなっていた心臓部でした。
火力発電所の燃料は産出された石炭が使用され、電力と水を島内に供給しました。池島には西彼杵半島から海底ケーブルで電力が送電され、上水道も海底水道で送水されていますが、トラブルで使用できなくなると、炭鉱へ電力供給もできなくなり、坑内事故を誘発させてしまいます。そのため、島内で完結するライフライン施設が必要だったのです。これらの知識は炭鉱ツアーで知ったもので、ツアーは元炭鉱マンの方がガイドとなって教えてくれました。
池島炭鉱跡は一気に紹介しきれないので、アパートの光景をちょっとお見せして次回へ!
取材・文・撮影=吉永陽一









