変わらぬうまさを有するカクテル
——さあ、會舘風ジンフィズができあがったようだ。
見た目は、ほんとうにミルクそのもの。だが、一口飲めば、ジンがふわっと香り、炭酸の刺激とともに、のどをすーっと通っていく。……うまい!
語弊を恐れずに言えば、乳酸菌飲料に近い。加えられたフレッシュレモンジュースのためか、意外と濃厚さはなくて、胸のすくような、さわやかな味わいなのだ。
「ジンなど、主要な材料は昔から変えていないですし、作り方も同じです」
東京會舘「メインバー」のチーフバーテンダー・間根山寛之さんは静かにうなずく。
バブル期にもそのレシピは失われなかった
それにしても、1952年に接収解除となってからもレシピが失われず、現在にまで続いていることはうれしい。「バブル期にはあまり出ないメニューだった」とのことだが、ド派手なバブル時代、新しいものに人々が飛びついたころに忘れられ、消えてしまった古いものはかなりあるだろう。會舘に訪れる人々は、そのあたりが昔も今も少々違うようだ。進駐軍カクテルは消えなかった。
「新メニューなどを求めるよりも、昔の良いものを求める若い人が多いんです」
間根山さんのお話とともに、「舌平目の洋酒蒸 ボンファム」もおつまみとしていただく。大正11年(1922)、開業から2週間後に行われた結婚披露宴のメニューにもすでに記載がある、これも東京會舘の名物である。舌平目とシャンピニオンを白ワインと魚の出汁で煮込んだ一品だが、バターがたっぷり使われていて、食べ応え十分(つまみとしては、自分にはあまりにも豪華だが!)。
移ろいゆく街にあって変わらぬもの
舌平目に舌鼓を打ちつつジンフィズをグビリとやり、この一杯が将校たちに飲まれていたころの有楽町駅前あたりに思いをはせてみる——。駅の反対口側では、まるで違う酒が飲まれていた。
現在の「東京交通会館」から外濠通りにかけての一帯には、ホルモンを焼く煙がもうもうと立ち、掘っ立て小屋の並ぶ闇市が生まれ、焼け出され、何も持たない人々が大勢行き来していた。そして着の身着のままの彼らもまた、米兵同様酒を飲んだ。芋や雑穀で粗造された密造酒、「カストリ」は、強烈な臭気を立て、皆鼻をつまんでは飲み下していた。カストリは臭いし、悪酔いもしやすかったが、それでも全然マシだった。もっと危険な酒も出回っていた。戦中に備蓄され、戦後放出された軍用や工業用のメチルアルコールが混入している酒、「バクダン」である。飲めば失明したり、命を落とすことさえあった。命がけの酒である。
重厚で静謐(せいひつ)なるバーの片隅で、牛乳に偽装した、いにしえのカクテルを飲みながら、80年前の街の人々を思う。もはや米兵もいないし、バラック小屋もないが、いまも変わらない人のサガは続いているなあと、ひとり納得する。そう、
飲まなきゃやってられないよ!!
取材・文・撮影=フリート横田









