名脇役・豊臣秀長

豊臣秀長は豊臣秀吉の弟で、信長様の元で出世に励む兄に付き従い、秀吉が天下を取ったのちには秀吉に次ぐ地位を得て、諸大名と秀吉をつなぐ豊臣政権において最も肝要な役目を担っておった。

して、豊臣政権、現世では我ら武士を題材とした絵巻が多くあるわな!

漫画なるものやドラマなるもの映画なるものとさまざまであるが、これらの話の多くで主軸に置かれるのは、時代の主役と呼べる武士たちであるわな。

戦国でいうたら織田信長様や豊臣秀吉、徳川家康殿のいわゆる戦国三英傑や、武田信玄殿や真田信繁(幸村)、伊達政宗ら人気の大名たちである。

そんな中で来年の大河、『豊臣兄弟!』の主役には秀吉の弟・豊臣秀長が据えられておるのじゃ!!

無論、これまでも参謀や副将を主軸とした大河はいくつもあった。

近年でいえば『鎌倉殿の13人』にて源頼朝様を支えた北条義時様が主役であったし、時代を遡(さかのぼ)れば『天地人』の直江兼続殿、そして儂の『利家とまつ』もその類であろう。

じゃが、秀長は他の副将、時代の名脇役と比べても随一なじみの薄い武士であるのではないか?

名は聞いた事があるとしても、どんな人物であったのかは知らぬというものも多かろう。

故に来年は中々に珍かなる大河といえよう!

天下人の腹心

大きな組織には優秀な副将がおるわな。現世で申すところの“なんばーつー”なるものじゃ。

織田家における丹羽長秀様、徳川家における本多正信殿、伊達家における片倉小十郎景綱殿、『三国志』・蜀における諸葛亮孔明様や新撰組における土方歳三もそのくくりであろう。

当主は象徴として人望と威厳を示し、民に恐れられながらも親しまれねばならぬでな、それを陰から支え塩梅よく均衡を保ち、政務を順調に進める二番手の存在は誠に肝要であったのじゃ!

秀長は豊臣家における“なんばーつー”として豊臣の天下を支え続けた武士である。

当主の兄弟が二番手として家を支えた大名家も少なくない。

武田家は信玄殿の弟、信繁殿、毛利家の小早川隆景殿、島津家は義弘殿がおるし、我が前田家の二番手は我が弟の秀継であった!

じゃが! 紹介致した副将たちも無論肝要なる役目を担っておるけれども、豊臣政権における秀長の存在の重要さは群を抜いておるとすらいえる。

なぜならば、秀吉は小身から成り上がり、一代で天下を治めるに至ったが故に、信頼のおける重臣が極めて少なかったのじゃ。

他の家であれば代々使える譜代の家臣がおるわな。

織田家が天下を取るにあたって各地で指揮を取ったのは柴田勝家様や丹羽長秀様、森家や池田家といった尾張統一前後から長きにわたって信長様に使えた家臣である。

じゃが秀吉にはそれが無い。

徳川、毛利、上杉はもちろん、織田家の旧臣も秀吉に従ってはおるけれども、秀吉への忠義によるものでは無いわな、むしろ隙があらば自らの利のために動き出すは必定であろう。

そんな豊臣政権の中で、秀吉にとって唯一背中を任せられるのが秀長であった。

誠に決して替えのきかない存在であったのじゃ。

大和大納言

斯様にして豊臣家において実に重要な存在であった秀長は、官位・従二位権大納言を与えられておる。

これは徳川殿と並び、秀吉に次ぐ位であった。

そして秀長が治めた大和国(現在の奈良県)は寺社が多く、治めるのが難しい土地である。

加えて大和を治めるということは興福寺をはじめとする朝廷ゆかりの地を守り、朝廷との取り次ぎをする役目を担う必要があった。

じゃが秀長はこの難しき役割を見事にこなした。ぽっと出の天下人である秀吉が朝廷と良い関係を保てたのは、秀長の粉骨砕身の働きあってこそじゃ。

秀長が治めておった間は大和国で大きな争いは起こっておらぬしな!

見事な内政手腕の持ち主であったといえよう。

秀長が築きし大和郡山城は実に見事な城。

来年はきっと人でにぎわうでな、皆も足を運ぶが良いぞ!!

そして、秀長を語る上で最も大切と言えるのがその人徳である。

ひょうきんであり人の心を集める人望がありながら時に苛烈な秀吉とは好対照に、秀長は落ち着きと人徳を持った正に質実剛健が似合う武士であった。

温厚で秀吉に諫言できる唯一の存在で、他の大名からも好かれ秀吉の天下統一が順調に進んだのは秀長の人柄が大いに関係しておるであろう。

この辺りが如何にして描かれるのか。

来年の大河の見どころの一つであるな!!

終いに

生涯秀吉を支え続けた秀長は小田原征伐で豊臣家の天下統一が叶ったのを見届け、翌年に病で身罷っておる。

豊臣を支え続け、諸大名にも愛された秀長の死はあまりにも大きく、秀長さえ生きておれば豊臣の天下は永く続いたであろうと現世でも語られておる。

そして、秀長の穴を埋めるために選ばれたのが儂、前田利家である。

秀長が担っておった外様大名を抑える役を全うするために前田家は異例の速さで出世を果たし、権大納言となったのじゃ。

まさに儂の前任者が秀長である。

来年の大河では儂も確と描かれると聞いておる。

尾張には大河ドラマ館もできるしのう。

いよいよ始まる大河ドラマを楽しみにしておるが良い!

来年は無論、戦国と大河ドラマに関わる話を数多記して参る所存である。

楽しみに待っておれ!

それでは皆々また会おう。

良き年の瀬を過ごすが良い!

さらばじゃ!!

文・写真=前田利家(名古屋おもてなし武将隊)

皆々は4月28日は何の日か知っておるか?早速答えに参るが、答えは「象の日」である!何々の日の類は日付の語呂合わせで定められることが多いわな。因(ちな)みに同じく4月28日は、良い庭の日(よ〈4〉いに〈2〉わ〈8〉)でもあるぞ!じゃが象の日はそうではなくてな、歴史上の出来事に因んで記念日に定められておるのじゃ。それは、日ノ本で初めて象が帝に拝謁した日である!初めてと申しておきつつ、二度目があったかは分からんけれども、享保14年(1729)4月28日に京の都にて謁見した記録が残っておる。官位を持たぬ者は帝に謁見できぬ決まりがある故に、急遽官位が用意されたとの逸話も残っておる。象が日ノ本にやって来た享保年間は本年の大河ドラマ『べらぼう』よりも50年ほど前。これほど古い時代に象が日ノ本へやってきておることに驚く者も多いのではないか?と言うわけで此度は日ノ本の歴史と動物について話そうではないか!改め、前田利家の戦国がたり開幕である!!
皆々、息災であるか前田又左衛門利家である。2025年の大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』では、江戸幕府での政争や江戸の民の暮らしとともに、主人公・蔦屋重三郎殿の生業である出版の世界について描かれておるじゃろう。天下泰平の江戸時代はまさに民の文化が花開いた時代。現世ではそれこそドラマなるものやアニメなるものがその中心であろうが、我らの時代は書か能狂言から始まるいわゆる芝居が娯楽文化の中心であった。そしてこれは現世でも同じくだと思うが、娯楽にも流行があるわな。江戸時代でいえば、源義経様を描いた『勧進帳』や悲恋を描いた『曽根崎心中』、そして『忠臣蔵』である!『忠臣蔵』とは元禄15年(1702)に起きた赤穂浪士による討ち入り事件をもとにした題目である。『べらぼう』の時代より80年ほど昔の出来事じゃな。現世においても割と名が知られておると聞くが、江戸時代に書や芝居として流行ったがゆえに、さまざま脚色が強くなされておる。故に此度は、『忠臣蔵』ではなく「赤穂浪士討ち入り事件」について話をして参ろうではないか!
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。皆は本年(2025年)の大河ドラマ『べらぼう』は見ておるかのう!その華々しくも冷淡な江戸時代が見事に描かれておるわな。久しく触れておらんかったが、『べらぼう』に合わせ江戸の文化の話や我が加賀藩の江戸時代について語っておる。然りながら、我ら名古屋おもてなし武将隊の本拠地である尾張江戸時代については語ったことがなかったで此度はその話をして参ろうではないか!!題して「『べらぼう』に追いつけ、尾張江戸時代史」ということで、早速いざ参らん!
皆々は歴史の“もしも”について思案したことはあるかのう?もしも、本能寺の変が起きず信長様が生きておったら、戦国の世が早くに終わり、首都が滋賀県になっておったかもしれぬし、反対に武田信玄殿が長生きしておったら織田家の天下が少し遅れたやもしれぬ。もしも、関ヶ原の戦いで西軍が勝っておったら、毛利家が天下を取って広島幕府が出来上がったやもしれぬわな。もしも、坂本龍馬が暗殺されなかったら。もしも、平家が源頼朝様を死罪にしておったら。数多のもしもで語らいあい想像するのも歴史の楽しみ方の一つであるわな。