埼玉県一の高層マンションがある「鋳物の街」
たいていの人は自宅と職場や学校のある街以外は繁華街やターミナル駅周辺くらいしか日常的に訪れることがないだろう。自宅から10〜20km程度の距離でも行ったことのない街が無数にある。足立区に住む人が新宿や渋谷に行くことはあっても、大田区の雪が谷大塚に行くことはあまりないだろうし、特に住宅地to住宅地となると知人や親戚などを訪ねる以外に目的を持って行くことは稀なのではないか。
葛飾区民の私にとって、川口市とはそういうところだった。地図を見ると隣の足立区と接していて、距離は決して遠くない。けれども数年前に一度JR川口駅の近くで開催された「移民・難民フェス」に足を運んだことがあるだけで、それ以外で川口に行ったことはなかった。いつでも行ける距離というのは、かえってわざわざ行く機会を遠ざける。そこで取材という目的を作り、今回行き先に選んだのが川口元郷だ。
川口元郷駅を出ると目の前を岩槻街道が走る。駅の後ろには埼玉県一の高層マンション「エルザタワー55」がそびえ立ち、低層の建物が多い一帯にあってひときわ存在感を示している。
日本ピストンリング川口工場の跡地を大京が取得し「ライオンズスクエア」プロジェクトとして開発を進め、1998年に地上約185m、55階建ての超高層マンション「エルザタワー55」が竣工、分譲された。タワーマンションを見慣れた現在の感覚でもかなり高く感じるが、竣工当時はもっとインパクトがあったのだろう。今でもランドマーク的に街のあちこちから見える。竣工の時期的に、以前この連載で歩いた江東区大島のザ・ガーデンタワーズ(97年完成、地上約134m)と少し雰囲気が似ている気がした。タワーマンションも30年近く経つと当時の最新スタイルがクラシカルなものに感じられる。ちなみに日本初のタワマンと言われる「与野ハウス」(76年)があるのも埼玉県(さいたま市)だ。近年林立するタワーマンションは30年後どのような風景を作っているのだろう。
川口と言えば「鋳物の街」として知られている。江戸時代に産業が確立したが、荒川で鋳物の製造に必要な砂や粘土が採れたこと、荒川・芝川の舟運や日光御成街道などにより一大消費地である江戸への運搬がしやすかったことなど、地理的な要因も大きかったようだ。
江戸時代には農具や日用品(鍋、釜、鍬、鋤など)、仏具(梵鐘など)などが造られ、明治以降は建築用品(門扉や鉄柵など)、機械部品、軍需品など製造品目を拡大していく。1962年の映画『キューポラのある街』、1964年の東京オリンピックで使用された聖火台など、メディアを通じて川口の鋳物は全国に広く知られるようになった。今回歩く川口元郷周辺も、そうした鋳物産業が発展した川口市南部に位置している。
岩槻街道を東京方面に進み、芝川(旧芝川)を渡る。両岸に遊歩道が整備されており、川幅はそれほど広くない。上流の青木水門と下流の領家水門によって常時閉鎖されており、ふだんは新芝川の水を流し込み、元郷排水ポンプ場より荒川へポンプ排水されているという。これだけ街中を流れていながら、コンクリートの護岸で街と隔てられるのではなく、水辺の近くまで下りて歩けるような環境が整備されているのはうらやましい。
岩槻街道沿いの電柱には、東京の低地でもよくみられる「想定浸水深」の表示があった。ここは5mまで浸水するおそれがあるようだ。私の住む葛飾区もそうだが、川に挟まれた低地の住民は、ふだんから電柱の浸水深の数字を見てはその高さを見上げ「あそこまで水が……」と警戒するのが慣わしになっている。葛飾区住民として、川口の人も同じ脅威を意識しているのだという連帯感のようなものを感じてしまう。
旧川口宿の面影に出合い、芝川沿いを歩く
岩槻街道を右に外れ、環状線通りを少し進むと右手に立派な門が見えてくる。近くの解説板には「旧白門通りと旧芝﨑平七邸」とあり、「明治6年(1873)に川口市域最初の小学校である川口小学校が旧芝川邸の離れを校舎として開校した」と書かれている。川口における学校教育が始まった場所として記念されているそうだ。
旧芝﨑邸から環状線通りを少し引き返し、かつての日光御成街道だった本一通りに入る。通りの入り口に立つ洋品店と隣の履物店は銅板葺きの看板建築で、旧川口宿としてにぎわった時代の面影を伝えている。本一通りとその周辺には他にも歴史のある商店や住宅が点在していて、大正期に建てられた接骨院の建物や、鋳物業の発展に貢献した永瀬家の旧永瀬邸、旧川口宿本陣表門などがある。ただ、どれも解説の看板などもなく、あまりに普通にそこにあるので少し驚いてしまう。
また、本一通りの東側の一角にある「増幸産業」の正門脇には「18ポンドカノン砲」の復元品が設置されている。嘉永5年(1852)に津軽藩より依頼を受け、増幸産業代表の増田家の増田金平(三代安次郎)と、後の砲術奉行・高島秋帆が協力して作り上げた大型砲を復元したものだ。
近江から川口に出てきた初代・増田安次郎は文化元年(1804)「増田屋」として鋳物業を始め、鍋釜などの日用品や寺社の梵鐘を製造していた。それが幕末期にはこのような大砲の製造を請け負うことになったという。このカノン砲は、時代ごとにさまざまな注文に応じながら続いてきた川口の鋳物産業の歴史を伝えるものでもある。
カノン砲を見た後、再び岩槻街道に出て、東側を流れる芝川を渡る。芝川沿いの道から遊歩道に下りて、そのまま川に沿って歩く。川沿いには金属加工や鉄工所などの工場のほか物流関連の倉庫などが並び、川口らしい街並みを形成している。
カフェもある『大泉工場』から荒川へ
芝川が荒川に合流する近く、川口市領家に「大泉工場」という企業の運営するカフェがあり、事前に地図で調べてた時に気になっていた。カフェの営業は16時まで、川口元郷駅を出たのが2時半くらいだったため、実は先ほどまでの芝川の遊歩道をかなり早足で歩いて(時折り走って)きて、大泉工場に着く頃には息切れしてハアハアゼエゼエ言っていた(あとで確認したころ私が営業時間を勘違いしており、フードのラストオーダーが16時、ドリンクは16時半で、カフェの営業は17時までということだったので、そこまで急ぐ必要はなかった)。
大泉工場は大正6年(1917)に創業、鋳物と機械製造の工場だったが、現在は食品や飲料の製造販売、プラントベース・カフェの運営、ウェルネス・環境配慮を軸としたさまざまな事業を展開しているそうだ。
閉店間際ということもあり、カフェメニューのうちパンはすべて売り切れということだったので、小腹がすいていたものの我慢し、ほうじ茶ラテを頼む。ようやく息切れも治り、窓際のカウンター席で間に合った安堵の気持ちとともに味わった。せっかくなので店内で販売されていたコンブチャのビンを数本購入して帰った。コンブチャはカフェ隣のコンブチャ専用ブルワリーで製造されているようだ。微炭酸で少し酸味があり、爽やかな飲み心地だった。
大泉工場の敷地内には文化庁の登録有形文化財の大泉家住宅洋館と和館が並んでたたずんでいる。初代社長の邸宅だった大泉家住宅洋館は、現在大泉工場本社として使用されており、子供部屋として使われていた和館は、従業員の研修や一般向けのイベントなどに利用されているそうだ。
大泉工場を出て少し歩くと、荒川土手が目の前に現れる。ちょうど日が沈む時間帯で、空がオレンジとブルーのグラデーションに染まっていた。
夕日に染まる荒川土手で上流と下流のつながりを感じる
これまで工場や住宅が立ち並ぶ風景の中を歩いてきたこともあり、荒川の河川敷に出た瞬間の開放感がすごい。一気に視界が開け、冬の空気感もあって遠くの建物の輪郭まで小さく、はっきり見える。
そのまま土手沿いを足立区の方へと歩くと、河川敷に立つ二つの構造物が見えてくる。まず手前に現れるのが新芝川排水機樋管で、新芝川排水機場で組み上げた水を荒川に放水する施設だ。
新芝川排水機樋管を通りすぎると、巨大な芝川水門が目の前に現れる。芝川は領家水門で新芝川と再合流し、ここで荒川に合流する。この芝川水門を渡って少し歩くと埼玉県川口市と東京都足立区との境界がある。
芝川沿いを歩き芝川と荒川の合流地点を見ていると『現代思想』2023年11月号「特集=〈水〉を考えるー水文学、河川工学から水中考古学まで」に掲載された猪瀬浩平さんの文章「流域的思考の拡張――見沼田んぼからの思索」の一節を思い出した。そこで猪瀬さんは、私の漫画『東東京区区(ひがしとうきょうまちまち)』に描かれれた荒川下流域の街と、猪瀬さんが関わっている「見沼田んぼ福祉農園」のある見沼田んぼとの関係についてこう書いている。
「(『東東京区区』の)ルーツの違う3人の子供・若者の登場人物たちの語りを読みながら、葛飾区が荒川、中川、江戸川にはさまれた地域であるとともに、見沼田んぼからすると下流にあたるということを思った。見沼田んぼの湛水機能によって、台風や豪雨による芝川下流の川口、荒川下流の東東京の街の水害リスクは軽減される。だとしたら、福祉農園の枕木が流れることも、水が溜まってジャガイモが腐ってしまったことも、そうやってリスクが軽減される流域全体の経験としてとらえることはできないのだろうか。このように考えた時、『東東京区区』の3人の登場人物の世界と、福祉農園は同じ流域としてつながる。」
この日歩いた芝川の上流に見沼田んぼがあり、その芝川に注ぐ加田屋川沿いに見沼田んぼ福祉農園はある。芝川は荒川と合流し、荒川は私の住む街を流れる。確かに同じ流域として、つながっているのだ。イメージとしては理解していた荒川上流と下流とのつながりを、この日ようやく地続き(水続き)の風景として実感できた気がする。
もちろんそのつながりは均衡なものではなく、常に上流・周縁の環境や生活の改変によって下流の安全が守られてきた。隅田川の氾濫を防ぐために荒川放水路が計画され、計画線上に位置する家に住む人々や寺社が立ち退きを強いられた。さらにその荒川下流の洪水を防ぐために上流にダム群、調整池が作られ、現在も荒川第二・第三調節池の整備が進んでいる。
ただ、そうした構造をまず知ることで、あるいは知った上で、ひとつの川で結ばれた土地と土地とが関わりあえることもあるかもしれない、と思う。私がこの連載でさまざまな川や海岸などの水際を歩くことも、あちらの汀(みぎわ)とこちらの汀とをなんらかの形で関係づけ考えるための、試みとなるのかもしれない。もちろん最初からそう考えていたわけではないけど、連載開始からちょうど1年が経つので、私のなかにも月刊『散歩の達人』掲載の漫画「水と歩く」の主人公のなかにも水際を歩いた経験がそれなりに蓄積しはじめているはずだ。
この先はまたさまざまな水際をめぐりながら、水と土地と人々の生活について、考えを深めていければと思う。
川口市から歩いて足立区に入り、帰りはシェアサイクルを利用して環七沿いを東武スカイツリーラインの西新井駅まで出て、電車で葛飾に戻った。自転車を使うと、電車だけで行く時よりも川口が近く感じられた。
取材・文・撮影=かつしかけいた
【参考文献・URL】
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https://www.daikyo-anabuki.co.jp/bunjyo/elsatower55/page1/
KAWAGUCHI ART FACTORY, 「日本ピストンリング(株)川口工場と川口市元郷の変遷」(2025年12月16日参照).
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