親に先立って死んだ子供は三途(さんず)の川を渡らせてもらえず、賽の河原に集められる。そこで小石を積んで塔をつくるが、夜になると地獄の鬼が来て、石積みを壊され、親不孝を責められる。永遠にそのくり返し……と思ったその時! 地蔵が出現して子供たちをごっそり救い出してくれる。たぶんあなたもいつの間にか知っている「ひとつ積んでは父のため、二つ積んでは母のため……」という日本語仏教讃美歌「賽の河原地蔵和讃」が近世に大ヒットして、数百年にわたって歌い継がれてきた。それゆえ地蔵は、なにより子供たちを救う無敵のヒーローとして日本で絶大な人気を得たのだ。
その賽の河原だが、どこにあるか知っているだろうか。なんとなく三途の川の河原っぽいが、仏典由来の古代の三途の川には、賽の河原なんてなかった。中世になって、仏典と関係なく、日本の死出(しで)の山の裾野か三途の川らへんにぼんやりと出現した。だから賽の河原は、インド由来の八大地獄などにはまったく含まれない、日本オリジナルの外付け地獄なのだ。
日本のあの世にはいつの間にか賽の河原が出現して、そして気がつくと、この世の北海道から九州まで各地にたくさん、リアル賽の河原が出現していた。日本は賽の河原だらけと言ってもまあまあ過言でしかない。この世にはリアル三途の川もいくつもあるが、リアル賽の河原はもっとずっと多いし、リアル三途の川よりもあの世を強く感じさせるところが多い。
実際、たとえば赤城山の賽の河原の一部といわれるガキボッタ(群馬県前橋市富士見町赤城山)では「子供を亡くした親が夜明け前に行くと泥の上に小さな足跡がたくさん残っていて子供たちの騒ぐ声が聞こえた」という。この世のあの世であり、あの世のアクセスポイントなのだ。
標高2000m近くに賽の河原の入り口が!
そんなリアル賽の河原の中でとくに、無数の地蔵や人形が並び、イタコの口寄せの場でもある川倉賽の河原地蔵尊(青森県五所川原市金木町川倉七夕野426-1)は、人々の思いの堆積が超強烈で、どこよりも圧倒された。だが、「あの世に来た」と一番感じたのは、思いの堆積があまりない、旧大菩薩峠の賽の河原(山梨県甲州市塩山上萩原)だった。
点々と石積み(ケルン)が散らばる広々とした稜線に、ぽつんと避難小屋が建っていて、まるで洞窟のように、戸のない入り口の先に闇が溜まっている。入り口の上には「さいの河原」と大書されていて、この中に入るとあの世の賽の河原があるとしか思えない。日本一ドキドキする避難小屋だ。実際、賽の河原の初出とされる室町時代の『富士の人穴草子』では、狭い洞窟の奥にあの世があり、賽の河原があるとされている。
勇気を振り絞って避難小屋に入ったら、もちろんあの世に通じてはいなかったが、一昨年(2023年)の初夏の深夜にこの賽の河原を歩いたときはスゴかった。
標高2000m近く、濃霧に包まれてなんの灯りも星も見えない闇夜のあちこちに、大きな石積みが現れては消えていく。鹿の警戒音以外はほぼなんの音もない静寂の世界。生きているつもりだが実は私はもう死んでいて、あの世をさ迷っているんじゃないかという、ちょっと危ない気分になる。
こう書くと、ゾクッとする闇景色を想像するかもしれないが全然そんなことはなく、地蔵の錫杖(しゃくじょう)の音が似合う凛とした夜気の中を歩くうちに、心も体も澄み渡ってなんとも心地いい。夜なのに石積みが壊されていないということは、ここに鬼は来ないということだし。深夜の旧大菩薩峠の賽の河原は、極上に幸せな世界なのだ。
ほかにも、夜にこの世離れする賽の河原は多い。夜、この世は最もあの世に近づく。至福の賽の河原たちを夜、歩こう。
文・写真=中野 純
『散歩の達人』2025年11月号より






