地獄は超広大だが、あの世の序盤、この世とあの世の境といわれる三途(さんず)の川までだけでも、もう広い。死出の山路を400kmほど闇歩きするのだ。しかも三途の川がまた広い。地獄絵では三途の川はふつうの川に見えるが、実際には川幅は40由旬(ゆじゅん/控えめに見ても300km近く)、津軽海峡の十数倍以上の幅がある。川というより海なのだ。生前の罪が重い人以外は、浅瀬か橋を歩いて渡る(のちに舟で渡るようになるが)。昔、沖縄の離島で泳ごうと思って浜から沖へ向かったら、いくら歩いても水深が膝丈を超えず、諦めたことがある。それが延々と続くわけだ。

そんな三途の海のビーチでは奪衣婆(だつえば)と懸衣翁(けんねおう)という夫婦の鬼が待ち受けている。奪衣婆は亡者の衣を奪い、懸衣翁がそれを衣領樹(えりょうじゅ)の枝に懸け、枝のしなり具合で亡者の罪の軽重を判断する(衣を放り投げ、高い枝に懸かると罪が重いという説も)。

ところがこの懸衣翁、ほぼ幻の存在なのだ。各地の閻魔堂、十王堂など、あの世のキャラが集う場所に、奪衣婆がいる確率は極めて高いのに、懸衣翁はまずいない。懸衣翁の石像はごく稀(まれ)に見るが、都内では見ないし、木像は東京にかぎらず一度も見たことがない。地獄絵に懸衣翁がいることもほとんどない。失踪状態なのだ。逆に奪衣婆は存在感をどんどん増して、近世には閻魔大王の妻と見られるようになり、閻魔堂などで閻魔大王と同格に扱われたりするようになった。つまり奪衣婆は、懸衣翁と離婚して閻魔さまと再婚し、地獄のファーストレディに登り詰めたのだ。

新しいあの世、地獄の三角関係

どうして懸衣翁はこんなにいないのか。懸衣翁は悪い亡者の体をグニュッと丸めるともいうが、基本は「衣を懸けるだけの簡単なお仕事」なので、衣を奪った奪衣婆自身が懸ければそれですむし(実際、奪衣婆は「懸衣嫗〈けんねう〉」とも呼ばれる)、奪衣婆は巨大なので亡者を丸めるのもお手のものだろう。それに、水辺にいるべきなのは弁天や瀬織津姫(せおりつひめ)、羽衣天女、橋姫、濡女(ぬれおんな)などの女神や女妖怪であって、男はあまりお呼びでない。

ところが、ふと気づくと懸衣翁が東京進出を果たしていた! なんと彩色木像が2体も、東京に出現したのだ。

ひとつは板橋の文殊院(板橋区仲宿28-5)。閻魔堂に閻魔大王と奪衣婆と懸衣翁が並び、懸衣翁が描かれた地獄絵もある! 懸衣翁木像は平成26年に、地獄絵は令和元年につくられたという。懸衣翁は衣領樹の上にいてかなり小さいが、半裸の赤茶けた体にオールバックの長髪で鋭い眼光。ちょっと男梅っぽくていかにも木登りが得意そうで、夢に出てきそうだ。こんなすばしっこそうな懸衣翁は初めて見た。今まで見た懸衣翁の中で一番グッときた。

亡者の衣を持った懸衣翁。板橋の文殊院。衣領樹の上にいる彫像は極めて珍しい。
亡者の衣を持った懸衣翁。板橋の文殊院。衣領樹の上にいる彫像は極めて珍しい。

もうひとつは九品仏(くほんぶつ)浄真寺(世田谷区奥沢7-41-3)。閻魔堂の建て替えに合わせ、旧閻魔堂にいた迫力の閻魔大王と奪衣婆に加えて、武闘派の懸衣翁が令和元年にお目見えした。このお三方を見ていると、そんな説はないが、実は懸衣翁と奪衣婆の息子が閻魔大王なのだという気がしてしまう。一方で地獄の三角関係が新たにが始まりそうな気もして手に汗握る。

この懸衣翁、二股の角が生えた新しい姿形だが、なんか見覚えがある……そうだ、土佐光信の十王図の奪衣婆に似ているのだ(ネットや一部の地獄解説書ではこれを懸衣翁としているが、見事な垂れ乳が露わになっていて、どう見ても奪衣婆)。もちろん、浄真寺の懸衣翁は垂れ乳ではないからなんの問題もなく、新しい懸衣翁の姿として大いにアリだと思う。同時に奪衣婆像も塗り直されて装い新たになり、黒目から吸血鬼のような赤目に変わった。こんなに目の赤い奪衣婆は見たことない。こうやって、この世と同様にあの世もどんどん更新されているのだ。新しいあの世へ行こう。地獄を歩き尽くそう。

文・写真=中野 純
『散歩の達人』2025年9月号より