旧線跡のレールと線路設備はそのまま残されて遊歩道となった
台中駅文化鉄道園区で“廃”をじっくりと観察したあとは、南下しながら「緑空鉄道1908」遊歩道を歩きます。遊歩道にしてはカッコイイ名前がついていますね。「1908」は基隆~高雄間が全線開通した年です。台中はこの年に縦貫線が結ばれた地点なので、年号をアピールしているのだと分かります。「鉄道」は旧線跡を示しますね。
では「緑空」は?
これは歩いていくと分かってきました。
スタートはR111ディーゼル機関車の先です。ホームが途切れた先は旧線跡と合流し、レールを残した状態で石畳が整備されています。レールは旧線モニュメントの大事な要素であり、この先も途切れることなく続いていきます。
歩みを進めていくと、レールには芝生が敷き詰められ、グリーンベルトとなって延びています。ポイントも撤去されることなく、バラストは石畳と芝生へと化けました。架線柱は撤去されることなく並び、「台中」と掲げられた倉庫も健在です。のっけから「これはうまく化けたなぁ」と感心しきりです。
と、4車線道路の「台中路」を交差する鉄橋に差し掛かりました。
端部が曲線となった1スパンの下路式プレートガーターが、3線分並んだ状態で遺されています。一番左は線路が剥がされていますが、残りの2線分はレールもそのままで、ウッドデッキや石畳となっています。
桁の中央部分はテーブルとベンチがあって、ここで歓談したり飲食をしたりと、憩いの空間にもなっています。自動車が絶え間なく行き交う真上、つい数年前までは列車が駆け抜けていた鉄橋の中心部が憩いの場。ちょっと不思議です。
緑空の意味が判明して埋もれたアーチ橋もチラ見できた
鉄橋を渡ります。旧線跡は地上区間とのことでしたが、周囲を見渡すと若干高い位置にあり、実は築堤であったのだと理解できました。
さらに遊歩道化の際に植栽をして、レールはそのままに樹木がランダムに植えられています。まるで、自然の中に没していく線路をイメージしているかのような。
レールが放置されて自然に還る廃線跡はいくつも見てきましたが、人工的に自然と融和する廃線跡を造る例は珍しいです。築堤上のレールは緑と融和する……。なるほど、それで「緑空」なのですね。
歩みを進めると、鉄橋ではないのに道床が欠き取られ、枕木とレールが宙ぶらりんとなる場所に出くわしました。ちゃんと枕木の下は鉄骨で支えているので落下の心配はありません。下へ行けるので横道へ逸(そ)れてみると、壁面に年号が振られ、向かい側は何かが露出しています。
レンガですね。断面はVの字で、アーチ橋の端部であるとすぐに分かりました。何年も廃線跡を巡っていると構造物に興味が湧き、詳しくないまでも、この構造がレンガアーチであると直感が働いてきます。ガラスの壁面にはまさしくアーチ橋の絵と説明がありました。
説明はもちろん中国語ですが、そこは現代の利器、スマホの翻訳機能が大活躍(笑)。
1907年に竣工したアーチ橋で、線路が長年に渡って増線と高規格化を繰り返すうちにコンクリート橋の一部へと埋まったが、2018年の遊歩道整備の際に出土したと記されていました。アーチ橋の上辺と旧線跡は同じ高さ。つまり開業時からこの辺りは築堤だったのですね。
こうして歴史的な積み重なりをチラ見せする演出、ほんと楽しい。
人々が集う幸せな廃線跡
さてこの「緑空鉄道1908」は、台中駅から約1.6kmが整備されています。ですが、高架化による線路付け替え区間の豊原(Fengyuan)〜大慶(Daqing)間約22kmは緑道となっています。緑空鉄道1908の部分だけが特別なコンセプトによって整備されており、鉄道設備を生かしたまま歩道化したうえに、植栽だけでなく現代アート作品が散りばめられています。
ときおり不思議なオブジェに出合い、これは何だろうとのぞき込む人々の姿もあり、かたや、木々に埋もれるレールの場所でポーズをつけてセルフィを楽しむ人々もいて、旧線跡は和やかな空気に包まれています。
「なんと幸せな廃線跡なのだろう」
その和気あいあいとした光景に、思わず目を細めます。鉄橋やレールを生かした状態でアートと植栽を配し、台湾の鉄道の歴史をさりげなく表現する。それがさりげなく演出できていて、居心地がいいのです。緑空鉄道1908は多くの賞を受賞したそうですが、それも納得です。
ゆっくりと歩みを進めていくと、築堤部分は階段状に低く整備され、道路と同じ高さとなりました。オブジェとなったレールもわざわざ階段状になっており、これは一度剥がしたレールを再整備したのでしょう。かなり手が入り込んでいますが、ここに鉄道があったという歴史を伝える最良の方法かもしれません。
レールは幹線道路の國光路の手前でプツっと途切れていました。その先は緑道となって大慶駅へと続いていきます。
<緑空1908点描>
取材・文・撮影=吉永陽一