近寄ってみると上から下に垂れた染みがなにやら暗示的である。塗料が溶け出したのか何者かの落書きなのかはわからないが、画面のほぼ中央に大胆な痕跡を残し、どこか景色というより漠然とした心象風景を描いた絵画のように見える。
地図の中の文字の多くが劣化しているので町の案内にはおぼつかないが、住民の多くはもうこの看板の存在すら忘れてしまっているのかもしれない。だとすれば、この不穏な絵画はこの町で暮らす人たちの無意識の総体によって生み出された作品といってもいいだろう。そして、住民や役所の誰かがこの存在を〈意識〉したときにこれは外されるかさらには取り替えられる運命にある。
かわって、こちらは東京湾の高度成長時代の埋め立て地にひっそりと残されていた街路地図。文字がすっかり消え、区画ごとに色分けしていた塗料の部分だけが残っている。みごとなまでにモダンな抽象絵画のようではないか。
カラーペンキも褪せたのだろうか、妙に渋い色合いの組み合わせがなかなかの傑作だ。右側に一列に並べられた色別一覧に付されていたであろう文字がごっそりと消え、配色デザインに使われるカラーパレットのようになっているのもかっこいい。
もちろん、これでは町名も番地もわからない。地図から地名が失われると現実世界も何やらファンタジーやゲームの世界のように見えてくる。どうやらここは文字泥棒に地名を盗まれた不思議の島らしい。
地図案内板が無言の絵画に化けるのとは逆に、地図化する無言板もある。これは古くからある電気工事店の引き戸のガラスに貼られたシール状の広告。激しく劣化した結果、全面を覆うように広がったひび割れが川か道のように見える。
ひびわれ町の地図をこうして俯瞰するように見ていると、私たちの暮らす現実世界も実は自然に作り出した川の形に沿って道が引かれ土地が分けられていったのだから、このガラスに貼られたシールの表面で起きたこととよく似ていることに気づかされる。どうやらこれは地球の文明の縮図なのか。
目を凝らしてよく見ると「冷暖房 効果的」「ご用命は当店へ」という文字が意外にしっかりと残っていることにも気がついた。なるほど、文字を失ったひびわれ町の住人にとって、これは意味のわからない古代遺跡のようなものに違いない。というより、奈良の古墳やナスカの地上絵とはじつにこういう存在なのではないかという気があらためてしてくる。
近所の散歩のつもりが思わず古代や宇宙にまで足を延ばしてしまった。さて、このあとどこに寄り道して帰ろうか。
写真・文=楠見清