7月から毎日が楽しくてしかたなかった。花火大会に行っただけで「世界で一番夏をエンジョイしている」と感じたり、仲間とカラオケに行っただけで「いままでの人生でこんなに楽しかったことはない」と思ったり。すっかり陽気なパリピになった気がして、前回、この連載の見出しを「パリピ」にしたくらい、ずっとテンションが高かった。自分でもちょっとおかしいなと感じてはいたが、まさか躁転しているとは思わなかった。
以前に躁転した際、毎晩のようにひとりで歌舞伎町に出掛けた。若い女の子が黒服の男性にしつこく声を掛けられているのを見かけ、「やめてください!」と助け出したこともある。その子を連れて飲み歩き、始発まで一緒に過ごした。もちろん全部わたしの奢(おご)りだ。とにかくお金が無限にあるように感じていた。
デパートでも散財した。「大人の女性として自分に投資しよう」と思い立ち、15万円のコートをポンと買ったり、1本1万円以上するメイクブラシを何本も買い揃えたりした。翌月、クレジットカードの請求がとんでもない額になり、母に見つかって大目玉を食らった。結局、母にお金を借りて、いまも毎月返済している。
それ以外にも深夜に友人に大量のLINEを送って人間関係が破綻したり、編集者に攻撃的な長文メールを送り付けて仕事を失ったりもした。そしてある日、猛烈なうつ状態に陥り、それまでの反動から激しく落ち込み、自殺を考えた。躁うつ病というのは非常に厄介な病気である。
しかし今回はとくにお金は使っていないし、人に迷惑もかけていない。ただひたすら自分の中でテンションが高く、多幸感でいっぱいなだけだ。
主治医に「思い当たる節は?」と聞かれ、考えてみたところ、ひとつあった。7月から抗うつ剤を飲むのをやめたのだ。血液検査をしたら中性脂肪が異常値で(基準値が30~149のところ、700だった)、「抗うつ剤は太るから、このままだと服用をやめなければいけなくなる」と言われ、勝手に服用をやめてしまった。
20代の頃はガリガリで、「骨皮筋子さん」と呼ばれていた。食べることに無頓着で、口にするのは酒と煙草と炭酸水のみという日もよくあった。それが30代になり食の素晴らしさに目覚めてから徐々に太り始め、気づけば10年で20kgも増加していた。会う人会う人に「太ったね!」と言われるのが嫌で、常にダイエットはしていたものの、少し痩せるとダイエットのことなど忘れてしまい、すぐにリバウンドした。
主治医に「抗うつ剤をちゃんと飲んでください」と言われたが、これ以上太りたくはない。確かにテンションは高いけれど、昔のわたしはいつもこれくらい元気だった気もするし、薬をやめて元の自分に戻っただけのようにも思えた。主治医には内緒で、薬は飲まないでおこうと思った。
週一回アルバイトしている『荒井屋酒店』で、常連の大林さんという男性と『SLAM DUNK』の話になった。大林さんは最近映画を観てハマったらしいのだが、漫画は読んだことがないという。我が家には全巻揃っているため、貸すことになった。31巻を一度に持ってくるのは大変なので、毎週3巻ずつ持ってくることに取り決めた。
その日から大林さんに『SLAM DUNK』を貸すのが楽しみでしかたなくなった。大林さんの喜ぶ顔を思い浮かべるとワクワクが止まらず、枕に顔を埋めて足をバタつかせることもあった。
ある日、そのことをけーた君に話したら、「え、ヤバくない?」と言われた。言われてみれば、確かにヤバい。面倒くさがり屋のわたしが『SLAM DUNK』を全巻貸すというのは普段ならあり得ない。しかも相手は意中の人でもなんでもなく、小太り中年の大林さんなのである。躁転していると確信し、その日から抗うつ剤を再開した。
抗うつ剤を再開したら、びっくりするほどテンションが落ち着いた。ああ、恐ろしい。わたしの精神は完全に薬にコントロールされている……。
この夏の楽しかった思い出の数々は、一体なんだったのだろう。この夏芽生えた友情の数々は、なんだったのだろう。全部偽りだったのだろうか。いや、そんなはずはない。わたしは確かにそこに存在して、仲間と時間を共有し、いろいろなことを感じた。その気持ちに嘘(うそ)とか本当とか、そんなものはない。しかしいまの心の平静は、すべて薬で作られているのも事実。
残暑厳しい初秋。言いようのない哀感を覚えている。
文・イラスト=尾崎ムギ子