2024年は印象派150周年

クロード・モネ(Claude Monet 1840-1926)は、印象派を代表するフランスの画家だ。2024年は、実はこの印象派の150周年にあたる。150年前の1874年は、日本では明治7年。板垣退助らによる自由民権運動が始まった頃だ。この年、若手画家たちがパリでグループ展を開催し、彼らの作品の新しい画風をとある批評家が「印象派」と評したことが「印象派」の始まりとされている。この若手画家たちの1人がモネだった。

 

モネの頭像。
モネの頭像。

86歳まで生きたモネは晩年まで筆をとり続け、膨大な数の作品を世に残している。有名な作品を挙げればきりがないが、世界的に名の知れた大作と言えばやはり『睡蓮』だろう。でもどうして、バラでもチューリップでもなく、スイレンだったのだろうか?

フランス・ジヴェルニーにあるモネの家におじゃましてみた

モネの睡蓮への関心の深さの謎を探るべく訪れたのは、フランスのジヴェルニー(Giverny)。パリの北西70kmほどのところにある小さな町だ。幼い頃から引っ越しが多かったモネが、この地に居を構えたのは1883年、彼が43歳の時のこと。今でこそ巨匠として知られるが、モネは遅咲きで、若い頃は絵が売れず生活もままならない時期が続いた。ようやくその才能が認められ、十分な資金を得た頃に出合ったこの地に、新たな住まい兼スタジオ、そして庭をつくるべく土地を購入したのだ。

かわいらしいジヴェルニーの街並み。
かわいらしいジヴェルニーの街並み。

モネの家と庭は現在、クロード・モネ財団が管理しており、誰でもおじゃますることができる(事前予約推奨、冬季休業。詳しくはHPへ)。家は2階建て。ツタがはうグリーンとピンクの壁が印象的だ。

南向きの大きな家。
南向きの大きな家。

また、大きな窓がたくさんあるのも特徴的で、庭が室内からもよく見えるよう、そして光を室内に取り込めるように工夫されている。いかにも屋外の自然をモチーフとし、光の表現に情熱を捧げた画家の家らしい。

モネのアトリエ。
モネのアトリエ。

そして驚くのは、室内の壁という壁に日本の浮世絵が飾られていること。モネが活躍した19世紀後半は、いわゆる「ジャポニズ(ス)ム」という日本美術ブームがヨーロッパで起こった時期。モネもその影響を受けたアーティストの1人だった。彼がこの家で生活していた時に、実際にこれら全ての絵画が掛けられていたかは不明だが、日本の浮世絵を好んで収集していたのは本当らしい。

ダイニングにまで浮世絵がたくさん。
ダイニングにまで浮世絵がたくさん。

モネは"庭オタク"

家の前に広がるのが、モネが愛した庭。てっきり専属庭師が手入れしていたのかと思いきや、なんとその大半はモネが40年以上かけてコツコツつくったものだという(お金に余裕ができた後ようやく庭師を雇った)。その熱の入れようは凄まじく、季節に応じてさまざまな色の花が咲くよう植え付けを工夫したり、植物の展示会へ行って目新しい草花をチェックしたり、イギリスのガーデニング雑誌を定期購読して研究したり。出張で家を空ける際は、庭の手入れの細かな指示書きを家族に残していくほど。「自分の傑作はこの庭」と豪語するほど、モネは相当な“庭オタク”だったのである。

家の窓から見た庭。
家の窓から見た庭。

庭は2つのエリアに分かれていて、まずひとつは「クロノルマンド(Clos Normand)」。こちらは最初に土地を購入した時に得た庭で、雑然とした果樹園だったところを、フランス式の庭に造り替えた。フランス式といえば、幾何学的でカクカクしているのが特徴で、道も畑も、そして木の形までも直線的で角張っている。

フランスでは街路樹さえも長方形に角張ってカットされがち。
フランスでは街路樹さえも長方形に角張ってカットされがち。

この直線で仕切られた各ブロックに、モネは同じ色の花々を配し、庭全体をカラフルなパレットのようにデザインした。正面から見ると単色ブロックの集まりだが、斜めから見るとその色々が混じり合って見える。これはまさに印象派画家が使った「筆触分割」の手法そのもの。絵の具を混ぜずにそのまま筆でキャンバスにのせ、さらに違う色を隣接して置くことで、観る人の視覚で混ざったように見えるようにする技法。この全く新しい色彩描写術を、モネは自分の庭に取り入れていたのだ!

手前は紫ゾーン、奥は青ゾーンと続く。角度によって見え方が変わる色とりどりの庭。
手前は紫ゾーン、奥は青ゾーンと続く。角度によって見え方が変わる色とりどりの庭。

第二の庭は日本インスパイア系

そしてもうひとつの庭が「水の庭 (Jardin d’eau)」。ジヴェルニーへの引っ越しから10年経った1893年、絵の売れ行きが好調でまとまったお金ができたため、モネは「クロノルマンド」の奥の土地を新たに買い足した。そして、近くの川の支流から水を引き、池をつくった。そう、この池こそが、『睡蓮』が描かれた場所である。

家からは見えずひっそりとした、まるで秘密基地のような空間に、モネはまずアーチ形の「日本橋」を架ける。浮世絵の太鼓橋からインスピレーションを得たという。ただし、色は日本の太鼓橋に似せた伝統的な朱色ではなく緑をチョイス。

他にも日本インスパイアポイントはあちこちに。例えば「クロノルマンド」に見られたカクカクスタイルとは対照的に、こちらの庭ではカーブを積極的に採用。橋も、池も、川の流れも、小道も。角がない丸みを帯びた曲線にモネは「日本らしさ」を見たようで、当時のフランスの庭としては大変珍しいこのスタイルを取り入れた。

池にかかる橋。フジの花がカーテンのよう。
池にかかる橋。フジの花がカーテンのよう。

さらに植物にもこだわった。竹、イチョウ、ユリ、ボタン、ツツジ、ヤナギなど。絵画収集家の日本人の知り合いの伝手も頼りながら、日本の草花を入手し多数配した。そしてその最後に池の底に植えたのがスイレン。モネ曰く「水も好きだがやはり花も好きなので、池を花で飾れないものかと、カタログからランダムに選んだ。最初は描くことなんて考えてもいなかった」のだとか。意外にも日本風の庭づくりの一環でテキトーに選んでみた、ということらしい。

日本が西洋文化を取り入れるのに必死だったその頃、モネは絵画や伝聞を元に日本文化を自身の庭に取り入れるべく試行錯誤していた。西洋のガーデンと日本庭園とが合わさったこの空間もまた、ある種の和洋折衷の産物といえる。しかし掛け合わさり方が、日本のそれとどこか違うのは、やはり異なる風土・思想・文化、何よりモネ自身の東洋や自然への眼差しにあるように思われる。

そして時代が下り21世紀の今、日本人である筆者が、フランスのこの庭に立ち、モネと同じ場所から「自身の傑作」であるこの庭を見つめる——。この経験には、絵画で表現しようとした空間が立体的に立ち現れる以上の何かがある。時代や文化を超えた点の集まりが、自分の中で何か形になり、そこに光が射す——そのような感覚だ。

モネが造った池の水面。彼の作品のように見える?
モネが造った池の水面。彼の作品のように見える?

1897年夏。美しく咲いた庭のスイレンにモネは心を奪われた。以来ずっと、その風景を作品としていくつも描いた。空や周りの草花が水面に映るこの雰囲気を、色の重なりを、光の動きを捉えようとした連作は、その後、抽象芸術の最高傑作『睡蓮』として評価されることとなる。

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この『睡蓮』は、うれしいことに日本でも見ることができる(上野の『国立西洋美術館』や箱根の『ポーラ美術館』などが所蔵)。『日本橋三井ホール』では、2024年7月12日から9月29日まで没入型展覧会「モネ&フレンズ・アライブ」が開催される。マルチ・スクリーンとデジタルサラウンド音響が一体となって、二次元の世界に存在する絵画を三次元的な世界として出現させる、新たなアートの楽しみ方を体験できるという。

さらに、『国立西洋美術館』では、2024年10月5日から2025年2月11日まで展示会「モネ 睡蓮のとき」が開催される。めったに見ることのできない作品が国内外から多数集結し、なんと『睡蓮』は20点以上が展示される予定という。モネがジヴェルニーの片隅で日本の草花に囲まれながら捉えようとした彩りを、印象派誕生150周年のこの機会にぜひ観に行ってみてはいかがだろうか。

 

文・撮影=町田紗季子