あらためて驚くメニューの安さ

当時の僕はまだ今ほど、渋い酒場の雰囲気を愛でながら飲む良さみたいなことには関心がなかった。ただ酔って騒げれば良かったので、訪れた店の様子を写真で記録することもそれほど多くなかった。だから、あんなに通った店なのに、手元にある写真はものすごく少ない。「なんでもっとしっかり記録しとかなかったんだよ!」と、20代の自分を叱り飛ばしたくなる。

店内はこんな雰囲気だった。いちばん良く飲んだ座敷の写真が残っていない!
店内はこんな雰囲気だった。いちばん良く飲んだ座敷の写真が残っていない!

それでもわずかな写真を見返すだけで、当時この店で過ごした感覚が蘇ってくる。そしてあらためて、「なんなんだこの安さは!」と驚愕する。そう、高円寺の若者たちがこの店に殺到したのは、何よりもまず「安い」という理由からだった。

自分たちを写した写真の背景の壁をクローズアップし、じっくり読みこんでみよう。
自分たちを写した写真の背景の壁をクローズアップし、じっくり読みこんでみよう。

右に、人気料理やサービス品のボードがある。ひとなつっこい笑顔とアジア系の訛りが印象的だった店主の東(アズマ)さんが、台湾出身だったのかな? そちら系の店員さんも多かったことから、台湾料理が名物のひとつで、本格的でうまかった。

今眺めてみると、いちおしの水餃子380円や台湾冷菜四点セット290円、気になる蝦鬆(シャーソン)390円あたりを頼んでゆっくり飲みたいな、なんて気分になるけれど、当時そういったものを頼んだ記憶はない。台湾料理なら回鍋肉一択だった。たっぷりの厚切り豚肉にザクザクとした衣をまぶしてカサ増しし、これまた大量のキャベツを加えて、濃い~味に炒めたようなものだったはず。酒が進まないわけがなかった。

そして見すごすわけにいかないのが牛レバ刺330円の存在。今や幻のレバ刺が、こんなにも気軽に、こんなにもリーズナブルに食べられる時代があったんだよなぁ……。まるで、今現在と時代が地続きじゃないような気すらしてくる。

お通しは決まってこれだった。料理名は「赤ちょうちんのお通し」としか言えない。
お通しは決まってこれだった。料理名は「赤ちょうちんのお通し」としか言えない。

こういうので、いや、こういうのが良かった

その左には「焼酎の安い日」というメニューがある。これがとにかくすごかった。毎週日月金という、セレクト理由もよくわからない3日間、いいちこ、二階堂、ちょっぺん、(黒)桜島、白波、黒霧島の一升瓶6種類が、半額の1450円になる。もちろんボトルキープもできるから、うまいことやりくりすると、本当に酒代を安く抑えられるのだ。

加えて、ちょっと複雑すぎて説明する余裕がないけれど、ボトルキープをするともらえる「ボトル会員カード」を使うと、6本目の焼酎が無料になったり、毎年1月に東さんが送ってくれる年賀状をお店に持っていくと、これまた焼酎が1本ボトルになったりと(それにしても、年賀状を送ってくれた人のもとに持っていくという行為も、よく考えると『あかちょうちん』でしかやったことがない)、とにかく「お客さんに安く飲んでもらおう」というホスピタリティが過剰すぎるのだ。

当時は頼んだことがなかったけれど「カシスソーダ(原液)(1升)」という字面もすごいな。

その他、一般的な居酒屋にあるような料理はあれこれあって、どれもこれも安くて多くて味が濃い。20代の自分が求める要素がすべて揃っていたというわけだ。

冷凍もののポテトがドサっと。こういうので、いや、こういうのが良かった。
冷凍もののポテトがドサっと。こういうので、いや、こういうのが良かった。

ひとつの時代の終わりの象徴

赤ちょうちんの閉店は2010年9月。その頃僕は32歳で、結婚して石神井公園近くの街に住み、高円寺でバカ騒ぎをする機会はほとんどなくなっていた。『あかちょうちん』は自分にとって、20代を、そして高円寺という街を象徴する店だった。きっと、ある一部の年代の人たちはそれに同意してくれるだろうし、また、日本全国古今東西、いや、世界中にそんな酒場が無数に存在するんだろうと思えば、途方もなくも、なんとも幸せな気持ちになる。

大好きな店だったから、営業最終日にここでよく飲んでいた友達と連れだって、挨拶がてら飲みに行った。それまでとなんら変わらない笑顔で僕らを見送ってくれた東さん。今ごろどうしてるのかな~。

本当は、東さんのこの笑顔が見たくて通っていたんだよな。
本当は、東さんのこの笑顔が見たくて通っていたんだよな。

文・写真=パリッコ

「町中華」と呼ばれる店がある。その街に昔からある、決して本格中国料理を出すわけではない、カレーもあればカツ丼もあるような、気取らない中華屋。基本的には近所の人たちが、なかば無意識に通うような店だが、経営年数を重ねるにつれて勝手に生まれてしまったレトロ感が新鮮だったり、店が減っているゆえの希少性もあり、いまや雑誌やTVで頻繁に特集を組まれるほどの人気ジャンルとなっている。町中華はまた、酒飲みからしてもありがたい存在だ。昼間からやっていて、たいてい瓶ビールとコップ酒くらいは置いてあるから、昼下がりにちょっと一杯飲みたいな、なんてとき、居酒屋が空いていなくても飲める店として絶大な信頼感がある。餃子とビールあたりをやって、シメにシンプルな醤油ラーメン。シメといいつつ良いつまみになるので、ビールをもう1本……あぁ、なんと至福の時間だろうか。大久保にあった『日の出』は、飲める町中華としてもちょっと度を超えた、ファンの多い名店だった。
この店を知るまで、僕はあまり渋谷が好きではなかった。飲める年齢になってからずーっと酒好きで、居心地のいい飲み屋がある街こそが自分の居場所のように感じていた。だから、常に若者文化の最先端であるような、そしてそれを求めてアッパーなティーンたちが集まってくるようなイメージの渋谷という街に、自分の居場所はないと思いこんでいた。
大衆酒場とは、我々庶民が懐具合をあまり気にせず、気楽に酒を飲んで楽しめる店のことをいう。しかしながら、長い歴史のある酒場文化。創業から時を重ねれば重ねるほど、店に威厳や風格が出てしまうことは必然のことだろう。いわゆる老舗、名酒場と呼ばれる店に敷居の高さを感じ、その戸を開けることを躊躇してしまう酒飲みの方は、意外と多いのではないだろうか?ただ、考えてみてほしい。酒場の歴史が長く続いているということは、単純に、それだけ客が途切れずに店の存在を守り続けてきたということ。つまり、「いい店」であるということだ。そこでこの連載では、各地の名店と呼ばれる酒場を訪問し、大将や女将さんに、その店を、酒場を、楽しむコツを聞いていきたい。