「百軒店」の、昭和の空気をまとったお好み焼き屋へ

渋谷区道玄坂2丁目に位置する、「百軒店」と呼ばれる地域は、かつて渋谷の中心地だった。百軒店ができたのは大正13年(1924)のこと。当時、ここには飲食店や物販店などが100店舗以上もあったが、1945年の東京大空襲で焼け野原に……。戦後は喫茶店や映画館などが立ち並ぶ繁華街として、にぎわいを取り戻していった。

そしていま、鳥居のような百軒店のアーチをくぐると、見えてくるのはストリップ劇場や無料案内所。一方で、歴史ある飲食店も点在しており、その一つが昭和6年(1931)創業のお好み焼き屋『たるや』だ。

店名の上には「創業昭和6年」の文字。引き戸に貼られた白黒写真も、同店の歴史の深さを物語る。
店名の上には「創業昭和6年」の文字。引き戸に貼られた白黒写真も、同店の歴史の深さを物語る。

ビルの外装にはモダンな塗装が施されているが、お店のたたずまいは昭和レトロ。小上がりの座敷がメインの店内も、妙に気分が和む。壁には、古き良き時代の渋谷の風景を切り取った白黒写真やジャズのポスターが並び、大人の隠れ家的な空間にまとまっている。

座敷を中心とした店内には、スタイリッシュなジャズのポスターがいっぱい。BGMはもちろんジャズだ。
座敷を中心とした店内には、スタイリッシュなジャズのポスターがいっぱい。BGMはもちろんジャズだ。

「店の空気というかスタイルは変えたくないんですよね」と、3代目の店主・吉田誠さんは言う。

「常連のお客さんが来たときに、店内、ちょっと空気が変わったな、と思われるのはイヤなので。『やっぱここ落ち着くな』とか『居心地いいな』って言ってもらえたら、いちばんうれしいですね」

座敷の向かい側にあるテーブル席。こちらにも、吉田さんが愛してやまないジャズのポスターが。
座敷の向かい側にあるテーブル席。こちらにも、吉田さんが愛してやまないジャズのポスターが。

娘の市東有里(しとう ゆり)さんは、2020年頃からお店を手伝っている。吉田さんいわく「娘が4代目で、いまは店の中心になってやってくれています。なので、もう私はバイトリーダーです(笑)」とのこと。

事実、有里さんは接客をこなすだけでなく、和式だったトイレを洋式にしたり、カード決済を導入したり、コロナ禍には協力金の申請をしたり、頼れる女将のような存在だ。

<二番人気>がいちばん人気のお好み焼きとは?

『たるや』の客層は、30~40年も通っているような常連さんがメイン。とはいえ近年は、お好み焼きを目当てに来店する海外の観光客も増えているのだとか。「海外のユーチューバーの方が店を紹介してくれて。それ以来問い合わせは多いですね」と有里さん。

そこで今回は、お好み焼き<二番人気>トッピング1177円をオーダーした。

豚肉にイカやエビなどの海鮮をミックスした、<二番人気>トッピングのお好み焼き。
豚肉にイカやエビなどの海鮮をミックスした、<二番人気>トッピングのお好み焼き。

お好み焼きは、20種類以上あるトッピングの中から好きな具材を自由に選択して注文するシステム。組み合わせに迷ったときは、<一番人気>や<スタンダード>といったトッピングのセットを選んでおけば間違いない。

生地の具材をよくかき混ぜてから、油をひいた鉄板へ。厚さは、好みに合わせて調整を。
生地の具材をよくかき混ぜてから、油をひいた鉄板へ。厚さは、好みに合わせて調整を。

有里さんが「お好み焼きではいちばん人気」と太鼓判を押す<二番人気>トッピングの内容は、豚肉、イカ、エビ、タコの4種類。ところで<二番人気>が人気ナンバーワンとはどういうことなのか。

片面を4~5分ほど焼いたら、ひっくり返して3~4分、裏面を焼く。生地の焼ける音が心地いい。
片面を4~5分ほど焼いたら、ひっくり返して3~4分、裏面を焼く。生地の焼ける音が心地いい。

「トッピングはもんじゃ焼きと共通で、もんじゃを想定して考えたんです。<一番人気>のトッピングは、もんじゃではダントツ人気なんですよ」と吉田さんが教えてくれた。ちなみに<一番人気>の内容は、おもち、明太子、チーズ、ベビースターだ。

「お好み焼きを<一番人気>トッピングで頼む人はいるけど、もんじゃを<二番人気>トッピングで注文する人は少ないよね」と有里さん。なるほど、お好み焼きでは<二番人気>トッピングの豚肉、イカ、エビ、タコが“いちばん人気”ということですね!

焼き上がったらオリジナルのソースをまんべんなく塗り、マヨネーズを細めにかけていく。
焼き上がったらオリジナルのソースをまんべんなく塗り、マヨネーズを細めにかけていく。

また『たるや』の常連さんは飲ん兵衛が多く、吉田さんによると「お酒が主役」だという。それゆえに「お好み焼きのソースはあまりコテコテしないように、複数のソースを合わせてつくっている」そうだ。

仕上げにカツオ節や青のりを振りかけて完成。ソースの代わりに醤油で味付けするのもあり。
仕上げにカツオ節や青のりを振りかけて完成。ソースの代わりに醤油で味付けするのもあり。

出来上がったお好み焼きを食べてみると、ソースはサッパリとしたウスターソースタイプ。香り高さがありつつ、クドさはなく、やさしい甘さとともに適度な酸味が感じられる。ソースが濃すぎないので、生地と各種具材の風味をしっかり味わえるのもいい。

みじん切りのキャベツが軽い食感を生む。各種海鮮の風味&食感の違いも飽きがこないポイント。
みじん切りのキャベツが軽い食感を生む。各種海鮮の風味&食感の違いも飽きがこないポイント。

お好み焼きに限らず、もんじゃ焼きや鉄板焼きも気になるところ。なのだが『たるや』の名物メニューの一つに、牛すじ煮968円がある。お酒のつまみにうってつけの一品だ。

トロッと柔らかい牛すじ煮。かつおベースの出汁は、飲み干したくなること間違いなし。
トロッと柔らかい牛すじ煮。かつおベースの出汁は、飲み干したくなること間違いなし。

ひと口かじれば、牛すじのとろけるような食感に驚かされる。さらに、かつおをベースにお酒や醤油などを加えた出汁の奥深い味わいがたまらない。

「つくり立てよりも3、4日後のほうが、肉が柔らかくなるし、味が染みてスープもなじんでくるので、逆算して仕込んでいます」と吉田さん。お酒のお供にはもちろん、飲んだ後の締めにもよさそう。

そして『たるや』で一杯やるなら、吉田さんが厳選した地焼酎は外せない。

吉田さん選りすぐりの地焼酎が味わえる。「伊佐美」、「佐藤」のほか、隠し焼酎の「魔王」、「森伊蔵」、「百年の孤独」も。
吉田さん選りすぐりの地焼酎が味わえる。「伊佐美」、「佐藤」のほか、隠し焼酎の「魔王」、「森伊蔵」、「百年の孤独」も。

「試飲会に行って飲んでみて、値段のわりにうまいじゃん、っていうものを選んでいるつもりです。辛い、甘い、重い、軽い、というバランスも考えながら。メニューには載せていない隠し焼酎も置いています」

お手頃な焼酎からツウ好みの一本まで揃っているので、あれこれ飲み比べてみたくなる。

コロナ禍の危機を救った女将のたくましさに脱帽

吉田さんのお祖父さんとお祖母さんが、渋谷で一杯飲み屋「樽の家(たるのや)」を創業したのは昭和6年(1931)。しかし昭和20年(1945)の空襲で、お店が焼失してしまう。そして戦後、お祖母さんが2代目店主を引き継ぎ、現在の場所でお好み焼き屋『たるや』として再スタートを切ったのが昭和26年(1951)のこと。同店は創業以来、渋谷の街とともに歩んできた。

店内の壁には、昭和30年代の道玄坂や、初代百軒店ゲートなどの白黒写真が飾られている。
店内の壁には、昭和30年代の道玄坂や、初代百軒店ゲートなどの白黒写真が飾られている。

「戦後の百軒店周辺は渋谷でいちばんの繫華街で、映画館が3、4軒あって、にぎわっていたところなんですよね」と吉田さんは言う。「店に飾ってある昔の写真はね、渋谷の町会に残っていたものをお借りして。やっぱり当時を知っている人は、昔の写真を見ると懐かしいじゃないですか」。

映画館や旅館、大衆酒場などの写真に加え、渋谷駅と百軒店を結ぶ往復バスの姿を写した1枚も。
映画館や旅館、大衆酒場などの写真に加え、渋谷駅と百軒店を結ぶ往復バスの姿を写した1枚も。

しかしバブル崩壊あたりから、百軒店のお店は次第に減っていき、そこへ風俗店が入るようになっていく。そしてコロナ禍で、ついに『たるや』にも存続の危機が訪れる。このピンチを救うために駆けつけたのが、有里さんだ。

3代目店主の吉田誠さん(右)と、お店存続の危機を救った娘の市東有里さん(左)。
3代目店主の吉田誠さん(右)と、お店存続の危機を救った娘の市東有里さん(左)。

「潰れていく飲食店が多かったなかで、『たるや』の歴史を途切れさせたくないな、っていう思いがあったんです」と、有里さんは当時の心境を振り返る。それでも、コロナ以前は会社勤めをしていたのだから、お店の手伝いは苦労の連続だったに違いない。

「よくお客さんに『コロナ、大変だったでしょ』って言われます。でも戦争に比べたら、お酒は出せないけどお店は焼けていないし、頑張らなきゃいけないのかな、って。まあ、わたしたちは戦争を経験していないんですけど」

空襲で焼失したお店の歴史を踏まえて、コロナ禍を笑顔で乗り越えてしまう、有里さんのたくましさには頭が下がる。吉田さんが有里さんに全幅の信頼を寄せている理由が、わかった気がした。時代とともに渋谷の街が変わっても、『たるや』の昭和な空気は変わらないだろう。

住所:東京都渋谷区道玄坂2-20-6/営業時間:18:00~23:00LO/定休日:日・祝/アクセス:JR・私鉄・地下鉄渋谷駅から徒歩5分

構成=アート・サプライ 取材・文・撮影=上原純