空き地に自然の神秘性を感じた
街なかには時折、建物の解体に伴い更地になったり、長年利用されず資材置き場になったりと、さまざまな理由でぽっかりと空き地が出現する。小澤啓さんは各地の空き地を訪ね、論文やブログ等で研究成果を日々発信している。
空き地に興味を持ったのは、幼少期の体験がきっかけだという。
「家から100mほど離れた場所に、管理されていない空き地があり、3、4歳の頃から中学生に上がる頃まで、よくそこで遊んでいました。雑草が風に揺れる様子や虫が歩いている様子をひたすら眺めたり、石ころや水たまりをいじったりしながら、自分がいなくなった後の世界を想像して楽しんでいると、あっという間に3、4時間経っていましたね」
「公園や道路、学校のグラウンドといった整備された場所で遊ぶこともあったんですが、それよりも、放置されて草が生えているような空き地や、人けのない資材置き場、家と家との間の隙間といった場所が好きでした。大人の目が届かない場所に、自由な雰囲気を感じていたんです。
子ども時代を過ごした千葉県流山市は、近くに海や山がなく、自然と接することのできる遊び場は限られていました。雑草の生えた空き地や荒れ地、雑木林といった場所は、自然の神秘的な魅力を感じられる場所でもあったんです」
大学院では、身近な自然に感じていた神秘性を深く調べるため、熊野信仰を題材に、日本古来の自然信仰や宗教観の変遷について研究した。大学院修了後、それに関連して、子ども時代の経験をもとに空き地の神秘性に興味を持ち、空き地のフィールドワークを始めた。
「建物が立っていない土地」「利用されていない土地」
小澤さんは、研究対象とする「空き地」を「建物が建っていない土地」「利用されていない土地」と定義している。
一口に「空き地」といっても、利用されていない空き地、緩衝材としてあえて作られる空き地、聖域など文化的機能を持つ空き地、人工物が荒廃して自然と生み出される空き地など、多種多様なタイプが存在する(「空き地とは何か?」空き地図鑑より)。
「いざ空き地について研究しようと思ったら、似たような言葉がたくさんあることに気づきました。例えば建築学で使われる『空地』、類似するもので『オープンスペース』『緑地』『デッドスペース』『更地』といった言葉もあります。研究に先立ち、そうした辞書的な意味を確認した結果、『建物が立っていない土地』『利用されていない土地』のいずれか、または両方を満たす土地を『空き地』として定義しています。
『どこが空いているのか』『何に対して空いているのか』は、人の感覚や着目するポイントによって変わるので、非常にとらえどころがなく難しいのですが、空間構造的に空いていると感じられた土地や、使われている様子がないと思った土地を、『空き地』として写真に撮りためています」
過去に撮影した空き地の中から印象的だったものを伺ってみたところ、「空き地」の神秘性や奥行きを感じるものだった。
「写真は、千葉県の浜辺で撮ったものです。反対側には海が広がっているんですが、この原野の風景がきれいで、惹かれました。たくさん生えている松の木は植樹されたのかと思いきや、地域住民のお話では、他の場所から実が飛んで自然と根付いたものだそうです。自然にできた原野というところに驚きました」
「写真は、茨城県龍ケ崎市のとある陸橋の上から撮ったものです。木が生えていない部分が蛇行して300mほど奥まで続いています。川の跡かと思って古い地図を確認したところ、水田の記号がありました。70年ほど前から約30年間、水田として使われていたようです。周りには木々が生えていますが、おそらく水田があった名残で湿った場所なので、あまり木が育たないのでしょう」
「写真は、岩手県遠野市にある『デンデラ野』という場所です。柳田國男の『遠野物語』に、姥捨ての野原として登場する場所で、かつて老人たちがここに捨てられ、死を迎えるまで共同生活を営んでいたと伝えられています。「姥捨て」というと一般的に山奥のイメージがあるかと思いますが、デンデラ野は眼下に集落を見渡せる小高い丘の上に存在し、集落から完全に孤立しているわけではありません。デンデラ野の向かいには、村の共同墓地や神様を祀る場所もあります。
デンデラ野で最期の生活を営む人々は、生者の住む集落と、死者の赴く場所との両方を意識しながら過ごしていたと思います。この世とあの世の中間地点のような独特な雰囲気の感じられる、印象的な空き地ですね」
実利性という価値観から開放される空間
都心部であっても郊外であっても、人が住む場所は、意図して作られたり、設置されたものが大半を占めている。その中において空き地は、ぽっかりと空いた、誰の手も及ばない真空地帯のような場所だ。
「街中では、『道路』『鉄道』『学校』『会社』『コンビニエンスストア』といったように、それぞれに名前が付けられ、用途が定まっている土地が大部分を占めています。実利的な価値のある土地ばかりだと、どこか息苦しさを感じてしまうことがあります。そうした中で、用途が定まっていない空き地に出合うと、実利性という価値観から意識が開放されるように感じられるんです。
『利用されていない土地』としての空き地に感じる、最大の魅力ですね。実に対する虚というか、空き地が無意味な世界へ通じている窓のように思えるんです」
しかし真空地帯のように見えても、よくよく着目してみると、以前そこで営まれていた暮らしや土地利用の痕跡が見え隠れすることがある。
「写真は、茨城県某所で見つけた空き地です。最近空洞化が進んでいるエリアで、歯抜けのように空き地が生まれているんですが、30坪の野原が突然出現したようで、いいなと思います。
中央に草が生えていないエリアがありますが、Googleストリートビューで見てみると、そこに時々工事車両が停まっていることがあるようです。植物の状態から、園芸の痕跡も見えますよね」
「写真も、茨城県某所の旧市街で撮ったものです。家の基礎がそのまま残っていて、周りにはプランターが置かれています。園芸を楽しんでいたのでしょうね。ベンチのようなものも倒れている。住んでいた方の痕跡が感じられます。
こうやって、気になる空き地を見つけたら、まずはじっくり眺めてみて、『なぜ空いているんだろう?』『前はどんな姿だったのか』といった経緯を推測したり、人の営みや物語を想像したりして楽しんでいます。
答え合わせをしようと思ったら、国土地理院の空中写真やGoogleストリートビューで昔の写真を見たり、登記簿で所有者の履歴を調べたりするといった方法もあります」
とりわけ都市の中の空き地は、植物の生育具合から、周囲と違う時間軸を感じるのも楽しい。
「写真は、茨城県某所で撮影したもの。橋の下の空いたスペースで、アスファルトの隙間から、シマトネリコという木が生えていました。よくここまで育ったなと思います。こうした場所は、人間の意識があまり届かないんでしょうね」
最後に、これから「空き地」を鑑賞してみたいという方に向けて、鑑賞のポイントを伺ってみた。
「空き地に興味を持った方がいれば、あまり難しく考えず、まずはなんとなく気になる空き地を1カ所見つけてみることが、鑑賞の第一歩だと考えています。
『見た目が少し変わっている』『きれいな野花が咲いている』『目立ったものが置いてある』などの目についたものや、『なじみの店がなくなり空き地になって寂しい』といった個人的な経験から空き地に注目してみるのも良いかもしれません。野花が目に留まったのなら、毎年咲いているのか、あるいは今年だけなのかといったことを想像してみるだけでも、意味があると思います。ひとたび意識してみると、他の空き地に目が留まったり、他の場所で同じ花を見つけられるかもしれません。
自分がちょっと気になった興味から空き地を眺めて、正しい答えにまでたどり着かなくても、それをきっかけに想像を膨らませてみたり、自分なりの印象や記憶を抱いてみたりすることで、鑑賞を楽しめるのではと思っています」
また、「使われていない看板」約180点を掲載した『空看板』はBOOTHにて好評発売中。
取材・構成=村田あやこ
※記事内の写真はすべて小澤啓さん提供