足を踏み入れれば、そこは一気に別世界!
数年前に読んだ古いミステリに、探偵がバーでかっこよく飲むシーンがあった。でも、本格的なバーに行ったことがない私にはイメージしにくかったし、カクテルの名前を聞いてもそれがどんなお酒なのかピンとこなかった。すぐにインターネットで調べて、その時はなんとなく分かったつもりになったけれど、実際どんな味なの? バーってどんなところなの? あれからずっと、憧れている。
そして、私は今『東京會舘メインバー』の入り口に立っている。大正11年(1922)創業のオーセンティックバーだが、初めて一人で入るバーがこんな格式のあるところだなんて、ちょっと生意気なんじゃないか? とはいえ、ここまで来て引き返すなんてもったいない。と、自らを奮い立たせて足を踏み入れれば、そこは一気に別世界! 重厚な空間に少し武者震いしたが、正装した支配人さんが「こちらへどうぞ」とカウンター席までいざなってくれた。
はりきってオープン直後に来たせいか、まだ自分以外にお客さんはいない。他に誰か来るまでベテランのバーテンダーさんがマンツーマンで対応してくれそうだ。早速メニュー表を見せてもらうも、たいして予習してこなかったので、やはりチンプンカンプン。正直に初心者だと白状すると、ニッコリ笑って「普段はどんなお酒が好きですか?」と聞いてくれた。
「ジンが好きで、でもお酒はあまり強くありません」
ベテランバーテンダーさんの笑顔にホッとして素直に伝えると、會舘風ジンフィズというのがおすすめとのこと。牛乳を使ったロングカクテルで、お酒を少なめにもできるそうだ。他店でも同じ名前のカクテルを出しているところがあるけれど「ここが元祖」なんだとか。気になってそれを注文すると、ベテランバーテンダーさん、もといチーフバーテンダーの間根山寛之さんは、準備をしながら興味深い話を聞かせてくれた。
「一般的にジンフィズは、ジンとレモンジュース、シロップを一緒にシェイクして、最後に炭酸で仕上げます。しかし會舘風は牛乳も加えてシェイクするんです。別名をモーニングフィズと言って、要は午前中からお酒を飲みたい人たちのために考案されたんですね。その人たちというのは、戦後駐留したアメリカ人将校さんです」
当時、東京會舘はGHQに接収されてアメリカンクラブになっていたという。會舘風ジンフィズはよくメディアで「マッカーサーが愛した」と紹介されているそうだが、「マッカーサーだけでなく、むしろ将校さんたちが仕事中にマッカーサーの目を盗んで飲んでいたと思います」と間根山さん。思い浮かんだ光景に思わず笑ってしまい、気づけば先程までの緊張はすっかり消えていた。
シックなバーで、上司に隠れて、ヨーグルトドリンクに見えなくもない白いカクテルを飲むアメリカ人将校たち……。何も知らずに小説を読んでいた時には、こんな具体的にイメージできなかったな。やっぱり来て良かった。他には、どんなお酒があるんですか?
「当店の代名詞はマティーニ。エクストラ・ドライという作り方で、まずオレンジビターとベルモットを氷の入ったミキシンググラスに入れて、香りをつけたら液体は捨ててしまいます。次にジンを入れてステアしますが、これはジンに香りを移すため。ショートカクテルで濃いお酒なんですが、すっきりして飲みやすいですよ」
今度、お酒好きの友人も誘おう。もう、緊張して入り口で立ち止まるなんてことはないはず。
バーに溶け込むための3つのコツ
その1
常連客がたくさん付いているお店だと、それぞれに「いつもの席」がある可能性も。初めて訪れる店では勝手に座らず、支配人やバーテンダーに確認してみよう。「こちらへどうぞ」「お好きな席にお座りください」など、誘導してくれる。
その2
多少背伸びをするのもバーを訪れる醍醐味。でも、無理は禁物だ。映画に出てくるような三角形のショートカクテルを頼みたくなるが、お酒が強くないなら調整できるロングカクテルを。バーテンダーさんに正直に伝えるのがかえってスマートとも言える。
その3
バーには、一人で静かに飲みたい人もいる。たとえお酒に酔って気分がよくなっても無闇に話しかけないように。また、声の音量は抑えて。ちなみに『東京會舘 メインバー』はBGMがなく、無音。「みなさん、自然と小声になってくれます」と間根山さん。
『東京會舘メインバー』店舗詳細
取材・文=信藤舞子 撮影=佐藤侑治
『散歩の達人』2024年1月号より