筆者が行けずに閉店してしまった練馬「相馬っ娘」の張り紙。
筆者が行けずに閉店してしまった練馬「相馬っ娘」の張り紙。

私の大好きな酒場もそうだ。突然、閉店してしまうのだ。「えっ、この前まで営業してたのに?」ならいい方で、突如として跡形も無くなっている酒場も何度か見たことがある。跡継ぎがいなかったのか、資金繰りに困っていたのか……一応ネットでも調べてみるが、ほとんどの場合は理由が分からない。しばらくすれば、検索にも引っかからなくなる。何にせよ、私ごときではどうすることも出来ないという口惜しさが込み上げるのだ。

何もできない私だが、唯一出来ることが人々にこの“伝説”として店の記憶を残そうという試みだ。今はインターネットというものがあり、日本中どころか世界中にその記憶という遺産を、残すことが出来るのだ。酒場愛好家として、この科学の叡智を使わない手はない。

それでは、今は亡き思い出の酒場たち“酒場伝説”を紹介していこう。

大宮駅のペデストリアンデッキ。
大宮駅のペデストリアンデッキ。

かつて埼玉県は大宮駅に、多くの屋台が立ち並んでいたことを知っているだろうか。まぁ相当古い話なので、私自身もここに屋台があったことは最近知ったことなのだが。

最盛期で16軒もの屋台が並び、駅の線路沿いは呑兵衛たちの天国と化していたのだろう。しかしこれも、時代の波と共に屋台はひとつ消え、またひとつ消え……そして最後のひとつとなったのが『ゆたか』であった。

そんな大宮最後の屋台が閉店するという話を聞きつけ、閉店前夜(2020年12月30日)に訪れてみたのだ。

大宮駅の線路沿いに点在する謎の小屋。
大宮駅の線路沿いに点在する謎の小屋。

屋台なので正確な場所は分からないが、大宮駅東口を出て「南銀通り」に沿った線路側にあるはずだ。JR京浜東北線の走行音を聞きながら、しばらく歩いていると……おや?

突然現れた大宮最後の屋台

大宮最後の屋台「ゆたか」。
大宮最後の屋台「ゆたか」。

えっ! これが大宮最後の屋台「ゆたか」なのか?……いや、違うか。何かの物置だろうか。それはあまりにも小さく、あまりにも“小屋”過ぎた。ただ、辺りにソレらしきものはない。うーむ……

明かりが灯っていない「ゆたか」の提灯。
明かりが灯っていない「ゆたか」の提灯。

あっ、提灯らしきものに“おでん”と描いているではないか。ただ、電気は点けていない。もっと近づいてみると、中から光も漏れている。ここか……どうやらここで間違いないようだ。

しかし、中へ入るのはかなり勇気がいる。今までにも渋い酒場へは何度も訪れているが、ここはレベルが違う。店先(?)で葛藤すること5分。ついに店の扉(ビニール)を開けたのだ。

 

「いらっしゃい」

畳一枚分もない店内では、手を伸ばせば全てが届く。
畳一枚分もない店内では、手を伸ばせば全てが届く。

おぉ……これは、すごい! 屋台だから仕方がないとはいえ、畳一枚分もないほどの中に、おでん槽と七輪、5、6人がやっと座れるカウンターがあった。狭いとか渋いとか、そんな単純なことでは計り知れない。まさしく、屋台という酒場がそこに広がっていた。

「そこ、詰めて座って」

「は、はい!」

大宮屋台最後の女将。
大宮屋台最後の女将。

女将さんは私を一瞥(いちべつ)すると、空いている席に座らせた。入る前にはあれだけドキドキしていたのに、あっさりとこの酒場の人となってしまったのだ。

「はい、瓶ビールとお通し」

瓶ビールとお通しの「スパサラ」。
瓶ビールとお通しの「スパサラ」。

師走の乾燥した空気と、緊張で乾いた喉を潤すために瓶ビールをお願いした。冷えた麦汁が喉にツーッと染みる。パスタとハムだけの簡単なスパサラも、優しくておいしい。やっと落ち着くことが出来たところで、料理といきたいが……。

店の比率からすれば巨大なおでん槽。
店の比率からすれば巨大なおでん槽。

やはりこれ、店の30%くらいを占めている「おでん槽」だ。おでんを食べたいのはもちろんだが、この木蓋が開いているところをぜひとも見たい。

屋台のほとんどを占めるおでん槽を開けると……

「おでん、いいですか?」

「はいよ」

カパッ、

ホワァァァァッ

一瞬で店内を湯気であふれさせるおでん槽。
一瞬で店内を湯気であふれさせるおでん槽。

おぉっ! 女将さんがおもむろに開けた木蓋からは大量の湯気。一瞬にして店の中は湿度98%になり、甘くてしょっぱいダシの香りに包まれたのだ。

「厚揚げとソーセージと……これって何ですか?」

「巻き麩(ふ)だよ」

一度にタネを頼みたいところだったが、このカウンターの奥行は小さな皿が一枚乗るくらいしかない。ゆっくり行こう。

厚揚げ・ソーセージ・巻き麩。
厚揚げ・ソーセージ・巻き麩。

厚揚げはしっかりと歯触りを残しつつ、中までぎゅっとダシが染みている。大きめのウインナーは「パキッ」といい音を出して耳にもおいしい。

おでんのタネではあまり見かけない「巻き麩」。
おでんのタネではあまり見かけない「巻き麩」。

巻き麩……初めてだなぁ。スポンジの様にも見える巻き麩は、たっぷりのダシを染み込ませ、噛むとジュワッと、それこそスポンジから水が溢れるかごとく、口の中をダシまみれにする。

これは旨いぞ。続けて第二陣のおでんを頼もうとすると……

にぎやかなカウンターの料理。まさかの「生春巻き」がある。
にぎやかなカウンターの料理。まさかの「生春巻き」がある。

よく見ると、京都の“おばんざい”のように華やかな料理たちが並んでいる。らっきょうに椎茸、松前漬けに生春巻きまである。これはいい、先にこの中から選ぼうか……おっ!

丸くて大きなフライは「ハムカツ」。
丸くて大きなフライは「ハムカツ」。

「これって、何のフライですか?」

「ハムカツだよ」

ハムカツが目の前にあって素通りは罰が当たる。さっそく女将さんにお願いすることにした。

「温めるから、ちょっと時間かかるよ」

時間がかかる? レンジでチンで済むんじゃないのか?と、そのハムカツの行き先を目で追うと……

なんと七輪でハムカツを温める!
なんと七輪でハムカツを温める!

えっ、七輪!? 一度揚げているものを七輪で焼き直すだって……? そんなの、初めてが過ぎる。

「はい、ハムカツ」

焦げ目が、ある意味新しい「ハムカツ」。
焦げ目が、ある意味新しい「ハムカツ」。

うわっ、いい感じの焦げ目が付いているじゃないか! 色々と斬新だが、これはこれでおいしそうだ。予想は的中で、この焦げた感じとハムとの相性がバッチリだ。“焼きハムカツ”で売ったら人気が出そうだ。

閉店を惜しむ常連客でにぎわう

ギリギリ6人が座れるカウンターで、屋台最後の夜を楽しむ常連客。
ギリギリ6人が座れるカウンターで、屋台最後の夜を楽しむ常連客。

いつの間にか客で席は埋まっていた。何なら、外では小さな列を作っている。中には挨拶だけをして帰っていく人も。

「ママ(女将さん)、表の提灯電気が点いてないよー?」

「ああ、ワザとだよ」

またひとり、挨拶にやって来た。2人の会話から要約すると、お役所が“期日までの立ち退き、お願いしますね(笑)”という意味合いで何度も尋ねてくるものだから、あえて提灯の電気を消しているらしい。

「役所は嫌だね」という女将さんの姿に何だか寂しい気分になり、話しかけてみた。

屋台の主“セツコさん”。
屋台の主“セツコさん”。

屋台の主である“セツコさん”が、両親からこの屋台を受け継いだのは訪問当時から47年前。当時ここら辺は何軒もの屋台でにぎわっていたが、ある日から“屋台は一代で閉めなければならない”という、役所からのお達しが出されたのだという。それからあっという間に屋台はひとつ消え、またひとつ消え……気が付けば、2010年からこの一軒だけになってしまったという。

「ママー、新聞出てたね」

「ネットにも屋台のこと載ってたね」

真っ二つにされたニンジンもまた新しい。
真っ二つにされたニンジンもまた新しい。

客は入れ替わり立ち替わり、新聞やネットを見たという多くの酒場ファンでにぎわっているところで、第二陣のおでんがやってきた。さつまあげにロールキャベツ、それと真っ二つにされたニンジンが面白い。これも焼きハムカツと同じで目新しい。きっと名物になりそうだけど……そうだ、ここは今夜でおしまいなのだ。

新参者は、そろそろ席を譲ろう。私が産まれるもっと前からあったのに、なぜか懐かしく、なぜか寂しくさせてくる思い出の酒場となった──。

 

新型コロナも収束したころに、在りし日の「ゆたか」跡を訪ねてみたが、もうそこにはトタンが打ち付けられた、それこそ“小屋”の様なものしかなかった。試しにその場で“大宮「ゆたか」”とグーグル検索しても、それらしき結果は出てこなかった。

 

酒場伝説──ある日、誰かがその酒場を調べたときに「おっ、懐かしいな」「こんなのあったな」と喜んでもらえることを願い、私はこれからもその伝説を紹介し続けるのである。

 

大宮「ゆたか」2020年12月30日 閉店

取材・文・撮影=味論(酒場ナビ)