複雑な構造の高架駅を解体する途中だけしか存在しない「廃」

JR渋谷駅は近年の再開発事業で大幅に工事の手が入り、1940年から山手線外回りと内回りホームが分離していたものを、山手線を運休して幅の広いホーム1つ(島式ホーム化)にしました。その模様はテレビでも特集されるほどで、大都市ターミナル駅の大規模改修がいかに大変か知ることができました。

渋谷駅の再開発が大変な要因のひとつは、戦前〜戦後にかけて構築された重層化構造にあります。

JR渋谷駅が二階部分の高架、直角で交わる東京メトロ銀座線は上の三階部分。さらにそれらの高架を支えるように縦横に建てられた東急百貨店東横店の駅ビル。ただホームや駅ビルを解体するだけではなく、それぞれが密接に繋がっているゆえ、ビルは途中まで解体してストップし、高架線路とホームを移設し、かさ上げして、その間にさらに上層階を跨る東京メトロ銀座線の高架橋とビルの解体と線路移設も実施してと、綿密な工程で進行中です。

2023年11月18日から19日にかけ、山手線は線路のかさ上げで2日間運休となった。運転再開後の光景。電車がやってくる右手には解体途中の旧外回りホームがあった。
2023年11月18日から19日にかけ、山手線は線路のかさ上げで2日間運休となった。運転再開後の光景。電車がやってくる右手には解体途中の旧外回りホームがあった。

2023年12月はその渦中にあって、日々使用する山手線ホームに立ち、新宿方面乗り場で電車を待っていると、目の前には少し前まで人々でにぎわっていた旧外回りホームの残骸が残されているのです。少し前、ホームが移設されたのは2023年1月9日。あのホームを使っていたのが遠い過去のように思えてきますが、まだ1年も経っていません(2023年12月現在)。

2023年も色々なことがあって、はるか昔の記憶のようだけど……そうか、まだ1年も経っていないのですね。

旧外回りホームの遺構を山手線新宿方面乗り場から眺める

旧外回りホームは、1月の切り替え後に立入禁止となっています。階段のあった場所は工事の囲いがされてホームへは上がれませんが、現行ホームから観察できます。ラッシュ時間帯を避けつつ、それでも人波が絶えないホームなのですが、頃合いを見計らって現行ホームから観察しました。

島式ホームで待っていると普通に外回り電車がやってくる。が、その右手には遺構が生々しく残っている。右側のくぼみは階段があった跡だった気がする。
島式ホームで待っていると普通に外回り電車がやってくる。が、その右手には遺構が生々しく残っている。右側のくぼみは階段があった跡だった気がする。

まず、頭上を覆う青色の鉄桁に目が止まります。これは東京メトロ銀座線の桁です。銀座線はホーム位置が東寄りに変更となりましたが、以前はこの青色の桁部分にホームがありました。現在は渋谷マークシティにある留置線への回送線路となっており、1日に数本だけ電車が走ります。回送線もつい最近線路を北側へ移し、この青色の桁も撤去へ向けて準備が開始されています。

銀座線の回送線を見てみる。ホームは電車のいる位置にあって、東急東横店西館の建物に覆われていたが、既にその建物はない。青い鉄桁を電車が渡るところ。2023年1月9日撮影
銀座線の回送線を見てみる。ホームは電車のいる位置にあって、東急東横店西館の建物に覆われていたが、既にその建物はない。青い鉄桁を電車が渡るところ。2023年1月9日撮影
上写真から10か月後に撮影した姿。銀座線の線路位置は北側の仮設線路となり、やがて山手線を跨ぐ青い桁も撤去されていくことだろう。2023年11月9日撮影
上写真から10か月後に撮影した姿。銀座線の線路位置は北側の仮設線路となり、やがて山手線を跨ぐ青い桁も撤去されていくことだろう。2023年11月9日撮影
その青い桁を山手線ホームから見る。銀座線建設時からあると思しき鉄桁は、ビル躯体ではなく仮設の橋台に支えられていた。いつの間にかこのような形となっていた。
その青い桁を山手線ホームから見る。銀座線建設時からあると思しき鉄桁は、ビル躯体ではなく仮設の橋台に支えられていた。いつの間にかこのような形となっていた。

まるで映画のような……

目に留まったのは、鉄桁の左手、コンクリート擁壁がランダムに削られているところです。扉が残されているのにフロアごと消えているのでトマソン物件となっているし、コンクリート壁面に窪みのあった場所は何かの桁が架かっていたのか。うーん、僅か1年前のことだけど思い出せない。というより、外回りホームが現役であった頃は、そんなに天井を見つめていただろうか。

外回り電車を見送ると再び現れる遺構。銀座線と中央改札口へのプレハブ壁面が見える。駅が重層化されてからずっと天井が覆われていたのだが、空が見えると新鮮な気がしてきた。
外回り電車を見送ると再び現れる遺構。銀座線と中央改札口へのプレハブ壁面が見える。駅が重層化されてからずっと天井が覆われていたのだが、空が見えると新鮮な気がしてきた。
たぶん上にフロアがあったのだろうが解体され、コンクリート壁面の扉はトマソン化していた。こういう感じに見えると、怪獣に襲われた直後に仮復旧した渋谷駅に見えてしまう。
たぶん上にフロアがあったのだろうが解体され、コンクリート壁面の扉はトマソン化していた。こういう感じに見えると、怪獣に襲われた直後に仮復旧した渋谷駅に見えてしまう。

この壁の位置は東急東横店西館と南館の接続部分で、東急東横線と東横店東館へ至る上り階段があったはず。あの階段も急で、荷物が多い時は大変だったんだよなぁとしみじみ思い返してきました。階段は仮設の迂回路となって消えました。ホームから眺めていると、すっかりと空が見えていて、上を蓋していたものが撤去され、崩れかけのコンクリート壁面がまだ立っている。一抹の寂しさと何もかも消えた爽快感が入り混じった、不思議な感覚に包まれていきました。巨大怪獣が街を襲って去っていった翌日の快晴。そんな気分です。

まだ一年前の記憶がしっかりと残ったままの遺構

旧外回りホームは、柱に「3・4番線」といった案内が残されたままでした。その姿が「廃」を連想し、でも隣の線路は現役だし、数分おきに電車はやってくるし。生と死が一緒にいるような、相反するものが同じ場所に同居する空間が目の前にあります。

旧外回りホームに残る中央改札口への階段跡。もう側面の骨組みしか残っていない。
旧外回りホームに残る中央改札口への階段跡。もう側面の骨組みしか残っていない。

「その柱は記憶あるなぁ」とか「この階段を昇り降りしたよなぁ」といった懐かしさと共に、すぐ目の前が遺構となっている。その空間にハッと気がつくと、自分が立っているホームと線路を隔てた先の空間との間に、決して越えてはならない生と死の境目があるような気がして、ちょっと身構えてしまいそうです。きっと、そう感じて身構えているのは私だけなのでしょうけど。

ホームが撤去されているが、残された柱には1年前の記憶が残っている。
ホームが撤去されているが、残された柱には1年前の記憶が残っている。
撤去された箇所の真下では作業が行われていた。旧ホームも島式化によって削られている。
撤去された箇所の真下では作業が行われていた。旧ホームも島式化によって削られている。
「しぶや」の表記がいまなお残る。こちら側を向いているので、駅名標としての役割はまだ残されていた。
「しぶや」の表記がいまなお残る。こちら側を向いているので、駅名標としての役割はまだ残されていた。
このあたりには右手にキヨスク(Newdays)、写真中心に下りの階段があった。階段の名残りは残っている。
このあたりには右手にキヨスク(Newdays)、写真中心に下りの階段があった。階段の名残りは残っている。
中央改札口への階段の跡。炭鉱跡の遺構でもこのような「階段があった痕跡」を見た。成り立ちは違うけれども、似たような“におい”を感じてしまうのは廃墟好きならではの思考か。
中央改札口への階段の跡。炭鉱跡の遺構でもこのような「階段があった痕跡」を見た。成り立ちは違うけれども、似たような“におい”を感じてしまうのは廃墟好きならではの思考か。
中央改札口への階段があったときの姿。壁面も立派でどっしりとした構えだった。2023年1月9日撮影
中央改札口への階段があったときの姿。壁面も立派でどっしりとした構えだった。2023年1月9日撮影

旧外回りホームは工事の関係で、ところどころ削られて奈落の底のような穴がぽっかりと空いています。底では作業員が忙しなく動きまわり、見えないところで工事がたけなわなんだなと分かりました。

恵比寿寄りのほうへやってくると、中央改札へと至った階段跡がポツンと残っていました。化粧板の白色と手摺りがまだ残り、たしか9号車〜10号車付近の出入り口だったと思いますが、電車が到着するたびに人波が吸い寄せられていった階段も、解体のときまでひっそりと佇んでいます。しかも屋根は撤去されて青空のもとで。どこか開放的な姿についつい見入ってしまいました。

解体途中の遺構の生々しさ

西口へ降りていた階段は青空のもとにあった。奥は首都高速道路である。壁と天井に覆われていたので、首都高とこんなに近いのが新鮮に感じられる。右手は駅務室があった。
西口へ降りていた階段は青空のもとにあった。奥は首都高速道路である。壁と天井に覆われていたので、首都高とこんなに近いのが新鮮に感じられる。右手は駅務室があった。
そこを外回り電車がやってくる。青空のホームに停車するような雰囲気すらあるが、もうそちら側にはドアが開かないのだ。
そこを外回り電車がやってくる。青空のホームに停車するような雰囲気すらあるが、もうそちら側にはドアが開かないのだ。
解体中の階段周辺と走り去る外回り電車を見送る。奥の赤い鉄骨が半円状の駅務室があった場所。鉄材などが様々な足場で支えられているが、これもやがて消えゆく。
解体中の階段周辺と走り去る外回り電車を見送る。奥の赤い鉄骨が半円状の駅務室があった場所。鉄材などが様々な足場で支えられているが、これもやがて消えゆく。
外回りホーム最終期のころの1コマ。一年前なのにもう懐かしい光景だ。左手には採光窓が連続していて明るかった。窓はもう撤去されて久しい。
外回りホーム最終期のころの1コマ。一年前なのにもう懐かしい光景だ。左手には採光窓が連続していて明るかった。窓はもう撤去されて久しい。

解体途中で放置されている遺構は、現役の頃の記憶が生々しいほどで、じーっと見つめてしまいます。渋谷駅は2027年度の竣工予定で工事が進行しており、旧外回りホームの遺構も近いうちに消えていくことになります。完全に撤去された後は新たなビルが建つため、ここに何があったという記憶はどんどんと薄れていくことでしょう。その前にと記録ができました。

渋谷駅は現行ホームも工事中で狭く、下手な場所に立つと通行の妨げになります。周りをよく見て、電車にもかなり気をつけて、旧外回りホームをご覧ください。

旧外回りホームの恵比寿寄り端部。この端部の直下にゴミステーションがあって、ときどき駅職員がゴミを投げていた。11号車の端部分にあたり、狭い場所であった。
旧外回りホームの恵比寿寄り端部。この端部の直下にゴミステーションがあって、ときどき駅職員がゴミを投げていた。11号車の端部分にあたり、狭い場所であった。
駅を出て首都高下の歩道橋から見る。採光窓の壁面が取り払われ、駅全体があらわになっていた。その姿も一過性のものだろう。やがて足場が出来て建物の一部となると思う。
駅を出て首都高下の歩道橋から見る。採光窓の壁面が取り払われ、駅全体があらわになっていた。その姿も一過性のものだろう。やがて足場が出来て建物の一部となると思う。

取材・文・撮影=吉永陽一