ホッピーセットだってそうだ。通常は割り材のホッピー(ソト)とジョッキに2、3割の焼酎(ナカ)を入れたものが出されるが、稀にこの焼酎が“とんでもない量”の酒場が存在するのだ。ジョッキの7割程度ならまだいいほうで、ある酒場だとジョッキの9割以上が焼酎で満たされていた。はじめからアルコールの量が見えているからこその葛藤……ジョッキでアルコール度数25%を、ほぼストレートで飲まなければいけないのだ。私はこれで何度か記憶を飛ばしている。
ただ勘違いしないで欲しいのは、これらはとても“良いサービス”であること。店主が客に安く酔わせてあげたいという、心意気や優しさの量でもあるのだ。だからこそ、“唐突な濃い酒”にしばしば驚かされるが、そんな粋な酒場を探し求めてしまうのだ。
“南中野(みなみなかの)”と私は勝手に呼んでいる地域がある。JR中野駅より南にある中野区エリアのことで、駅で言うと地下鉄丸ノ内線の中野坂上、新中野、中野新橋、中野富士見町あたりだ。そしてこの南中野こそ“濃い酒〟を出す酒場地帯なのだ。
『なべ屋 鍋屋横丁』や『ホルモン 良ちゃん』、『やきとん なべ屋』もなかなか……あぁ、『藤吉郎』は飲んでいる途中から記憶を飛ばすほどホッピーの焼酎が濃いんだよ。とにかく、南中野は行く先々の酒場で恐ろしいほどの濃い酒に出くわすのである。
いざ、酒の濃い酒場密集地の店へ
はじめて中野富士見町駅を訪れた時のこと。正直、丸ノ内線の車庫があるくらいのイメージしかなかったが、駅から少し歩いたところに私好みの赤提灯が光るのが見えた。
静かな住宅街に忽然と現れたのは『炉ばた焼 吾作』である。こんなところに炉端焼きの酒場があるとは知らなかった。それより、店先の看板や暖簾の色具合がなんとも私好みだ。これは中へ入ってみる価値がありそうだ。暖簾を割って、引き戸を引いた。
「ぃらっしゃいやせー!」
威勢のいい大将の声と共に広がるのは、これまた素晴らしい眺めの店内。くの字に曲がったカウンターには、肉や魚、野菜や果物などが少量に分けられた皿がいくつも並び、いかにも炉端焼きの店という感じだ。壁にはおすすめ料理が書かれた黒板や手書きの品書き、天井には瓶の浮き玉や網などが掛かり、思わずその場で見惚れてしまう。ぜひとも、カウンターに座りたい。
「カウンターでもいいですか?」
「どうぞ~」
カウンターの内側では、大将と女将さんが手際よく仕込み作業をしている。では遠慮なくと、その作業が見えるカウンターに座った。座布団付きのイスは座り心地良好。さて、まずはお酒からいただきましょうか。
「えーっと、ホッピーありますか?」
「ありますよ~」
“とりあえずビール”はよく聞くが、私はとりあえずホッピー派である。特にこういうメニューが多くあるところは、チビチビとホッピーでやりながら吟味するのが楽し……
「はい、ホッピーお待たせ~」
出ました、焼酎の量が多いホッピーセット!
で、で、出た! これって“濃い酒”じゃないか……! そうだった、ここは濃い酒の街“南中野”だ。ジャッキのおよそ7割か、またもや南中野酒場のジンクスが立証された。割り材であるホッピーを注ぐも、瓶を傾けたと思ったらすぐに目盛り一杯。勢いのままに、ひと口。
くぅぅぅぅぅぅっ、これは効きますね……いやぁ、濃いですなぁ。食道にツーッとアルコールが流れるのが分かり、頭が一瞬クラッとする。思わず大将に聞いてみた。
「ナカ(焼酎)の量、多くないですか?」
「ははは、こっち(南中野)のお店の人は、焼酎の分配量が分からないからね~」
本気なのか冗談で言っているのかは分からないが、大将の悪戯な笑顔が素敵だ。このままホッピーだけでは焼酎が薄まるはずもなく、料理でも希釈(きしゃく)を手伝ってもらおう。
まずは、日本人なら誰もが懐古する「赤ウインナー炒め」から。よく焼かれた表面が、テカテカと旨そうだ。
おっ、タコが一匹混じっている。こんなちょっとした細工がうれしくなる。フニャリとした独特な食感と、油の香ばしい香り。魚肉の淡白な味には、これくらい軽めの塩気がちょうどいい。
囲炉裏ではないが、目の前には串の焼き場がある。そこからポンと目の前に、頼んでおいた「つくね」が置かれる。
アチ、アチチッ……! かぶりつくと、焼きたて熱々の肉汁が口に広がる。タレの甘辛さも申し分なく、これをコンビニのホットコーナーで売って欲しいなと、淡き願望を抱く。
「らっきょう好き? ウチで漬けたの食べてみてよ」
「ぜひとも!」
大将が自家製の「らっきょう」を勧めてくるが、二つ返事でお願いする。出てきたのは、これまた綺麗な三色のらっきょう。普通に漬けたもの以外に、麹漬けと醤油漬けがある。どの色も漬かり具合がすばらしく、食感も最高。これだけを食べに来てもいいくらいだ。
はて、これはなんだろう? らっきょうたちに混ざって、なんとこちらも自家製の「梅干し」が添えられていた。酸っぱさはもちろんあるが、ジワリと滋味深いなんとも上品な味わいである。
「ホルモン焼き」は、女将さんが手早く作ってくれた。そうそう、ホルモンはこれくらい焦げ目があるほうが好みだ。醤油タレとホルモンの旨味、それとタマネギと長ネギの甘味が良い感じに絡み合っている。気が付いたら、ホッピーも無理なく減っている。気が付けば、酔い払い具合もちょうどいい。
「ここ、はじめて来たでしょ?」
手の空いた大将との会話が始まる。創業40年以上という、実は立派な老舗酒場。最近はコロナの影響で、毎日3、4組くらいしかお客さんが来ないと嘆く大将。それでも明るく話す大将に、こちらは笑いが止まらない。
「前なんか、お客さんが入ってきても“ウィ~”くらいだったよ」
「じゃあ、今はどんな感じなんですか?」
コロナ前は客も一定数来ていたので、接客もだいぶ“緩かった”ようだが、今は少し変化があったらしい。
「“いらっしゃいやせー!”って、全力だよね!」
冗談めかして言う大将だが、お客さんが減っても、毎日しっかり店を開けるというから説得力が違う。
ちょうど焼き上がった「焼きおにぎり」は、こちらも女将さん作。ひとつは醤油味、もうひとつは味噌味。表面はカリっと快音を鳴らし、中からはホクホクの米粒たち。さすがは炉端焼きの店だ、と店名を思い出す。焼き物の加減は、どれもこれも一流だ。
酒場の主がまさかの……
「実は俺もカミさんも、酒がダメなんだよね~」
と、ここで衝撃の事実。なんと、大将と女将さんは酒が苦手だというのだ。大将曰く、女将さんなんて一滴舐めただけでも酔っ払ってしまい、近くの住む家にさえ帰ることさえできなくなってしまうほど下戸らしい。岡山出身の大将はここで店を開き、中野が地元の女将さんは元々この店の客だったという。土地とも酒とも無縁だった二人が、酒場で出逢ってしまったというから人生は面白い。
「とにかく『ジェーン・スーと堀井美香のOVER THE SUN』って聴いてみてよ!」
大将のトークは止まらない。愛聴しているラジオの話、飼っているペットの話、陸上のサニブラウンがいかにすばらしい選手かを熱く語る。ちょっぴりマイナーな話題であるところがまたいい。極めつけは、店の天井に張っていたポスターだ。
「60万するらしいよ。ホントか分かんないけどね」
そのポスターは、伝説のプロレスラー「アントニオ猪木」対「モハメド・アリ」の試合のもので、大将曰く60万円もするらしい。ただ、だいぶ雑に扱われているところを見ると少々怪しい。一応欲しいことを伝えるが、やんわりと断られる。だが、しかし……
「えっ? 僕の誕生日、5月なんですけど……」
「いいんだよ、だいたいで」
ポスターは貰えなかったけれど、なぜか誕生日プレゼントといって焼酎ボトルをプレゼントしてくれたのだ。ちなみにこの日は11月。早いのか遅いのか、これほど時間差のある誕生日のお祝いをもらったことはない。思わぬプレゼントに喜ぶ私を見て、大将はうれしそうに取り出したスナック菓子を食べていた。
「本当に、ごちそうさまでした!」
「また来てね。ウチの写真もSNSで拡散してね~」
店を出る直前になっても“大将節”は止まらず、なぜか食べかけのスナック菓子まで私にくれたのだ。今まで何度も酒場に行ってるが、スナック菓子をもらって店を出ることは今後もないだろう。
酒を飲まない大将と女将さんが営む酒場『炉ばた焼 吾作』──もはや“酒が濃い”というだけの話ではなかった。酒を安く、楽しく飲ませようという気持ちはどの酒場より濃く、それが二人の“人間味の濃さ”を物語っているのだ。
取材・文・撮影=味論(酒場ナビ)