水の街の名前

イギリスは水の街だらけである。首都・ロンドンはテムズ川、西部のブリストルはエイボン川、北部のグラスゴーはクライド川などなど。街が川に隣接し、川辺を軸に内陸へと広がっている例は、枚挙にいとまがない。これはもちろん単なる偶然ではない。その昔、海を渡ってやってきた人々に定住に向いていそうと採用されたり、戦に活用できそうと拠点にされたり、さらには他所との交易に便利そうと新たに開拓されたり。生き延びる策として、さらには力や富の源として、この国ではずっと、水の近くが重要視されてきた。

水ありきで街が形成されていった様子は、その名前をみると一目瞭然だ。例えば、イングランド北東の都市・ニューカッスルの正式名称は、Newcastle upon Tyne (ニューカッスル・アポン・タイン)で、タイン川のニューカッスルという意味。2丁目の鈴木さん、赤い屋根の山田さんといったような感じで、川が特定のエリアを指し示す象徴として用いられている。この「upon (on) 〇〇川」シリーズは都市に限らず小さな町の名前でもときどき見かける。Stratford-upon-Avon (エイボン川のストラトフォード)、Newark-on-Trent (トレント川のニューアーク)といった具合に。

タイン川に沿って発展したニューカッスル・アポン・タイン。
タイン川に沿って発展したニューカッスル・アポン・タイン。

他にもリヴァプール(Liverpool)、アバディーン(Aberdeen)など、都市名そのものが水由来のものもある。前者は古い英語で「泥水の小川もしくは溜まり」、後者は古いケルト語系の言葉で「ドン川の河口」という意味だ。どのエリアでどの言語由来の地名が採用されているか、これはかなり奥が深く歴史を理解する上で重要なヒントになるのだが、キリがないので今回は割愛。これらは言ってみれば、江戸(入り“江”の“戸”)と同じシリーズといえる(もっとも江戸の由来も諸説あるようだが)。

ところで、イギリス同様に島国である日本では、水の街というと海辺の街がパッと思い浮かぶかもしれない。関東周辺だと湘南とか。川というよりむしろ太平洋に面しているエリアの方がなんとなく水々しいような気も……? しかし、イギリスでは海っぺりは、そこまで注目されてこなかった。もちろん、小さな港町や、ビーチリゾートは海岸沿いにたくさんあるのだが、大都市へと発展した水の街は、だいたい“江戸スタイル”。すなわち、海へ出やすい川の河口や、湾の奥まったところに位置する。治水が比較的容易ながら、それでいて海にも割と近い、というのがミソで、他のヨーロッパの内陸の都市と異なるこの地の利が、イギリスが世界を席巻し一時代を築く足がかりとなった。

水運力で世界を制す

鉄道や車のネットワークに支えられた生活の中ではイメージしにくいが、イギリスでは長らく水運こそが物流の要であった。物を運ぶなら断然、船。そのため、各地の川の入り江には港、そして陸がおおむね平らなことをいいことに派生して水路を、とにかくたくさんたくさん造った。ちょうど日本で江戸時代以降に北前船が活躍したり、江戸の街に水路が張り巡らさせたイメージだ。そして“水運力”を発展させまくった極め付けが、水路が苦手とする高低差をも克服する運河。これまた国内のあちこちにあり、この運河と付随する水路のネットワークは約3000kmにも及ぶ。大きなものでは、北部・スコットランドの東西の海岸を繋いだカレドニアン運河などがあり、この技術は、かのパナマ運河にも応用されているとか。

今も現役のカレドニアン運河は1822年に完成。
今も現役のカレドニアン運河は1822年に完成。

水を制することに長けたイギリスは、世界の海も制した。最盛期に世界の陸地の1/4を我が領土として手にしていたイケイケの大英帝国は、その植民地と水運でつながっており、なんと一時は全世界の半分の交易品が、イギリスの港を行き来したという。つまりイギリスの、他の地域、他の国、新しい物事との接点は、いつも水の街。水の街の発展は国の発展であり、国の歴史そのものなのだ。そんな物や人が何世紀にも渡り集まり続ける街の散歩とくれば、楽しくないわけがない!

橋が魅せるもの

水の街の歩き方はいろいろだが、中でも今回は、橋の面白さを推したい。橋は川の欠かせないインフラにして、時代を反映した建造物。ほとんどの街に共通して存在するだけでなく、それぞれがさまざまな生い立ちをもち、その美しさで街の景観を彩っている。ここでは大きく2つ、注目ポイントを紹介してみよう。

船を通す工夫

世界中の品々を運ぶ大きな船。それらを港につけ、且つ両岸をスムーズにつなぐ——。そんな課題へのソリューション。自分だったらどうする? 昔の人々が編み出した工夫とは?

まずは、跳ね橋スタイル。

とりあえず橋をかけてしまい、必要に応じて道を開けるという作戦。例えば、ロンドンの名所にもなっているTower Bridge (タワー・ブリッジ)がこれ。最盛期には、1日に50回ほど橋が上がって、船を通したという。この可動タイプは海から入ってくる船がどうしても通る必要があった川下側に架かっている傾向にあり。また時代的にも、港の取扱量が増える=大きな船が入ってくる=仕事が増える=街の人口が増える=街が広がる=どうしても下流にも対岸に橋をかけたい、というニーズが高まるところまで高まった、黄金期の後期、すなわち19世紀後半あたりに造られたものが多い(タワー・ブリッジは1894年築)。なお、東京の隅田川の、やっぱり川下寄りにかかっている勝鬨橋もこの仲間。こちらは1940年に完成。

タワー・ブリッジ。塔の中は博物館や展望台になっている。
タワー・ブリッジ。塔の中は博物館や展望台になっている。

次に、圧倒的に上に架けるスタイル。

どんなに大きな船の帆も引っかからないだろう、空の高くに橋を造っちゃう作戦。川の両岸が高台の地域にみられる。が、イギリスは平地が多め&さらに水の街は河口近くが多めであることを踏まえるに、水の勢いで大地がえぐられたダイナミックな谷のような場所はなかなかない。よって出現度としては低め。逆にそういう地形の水の街に行ったら、ぜひその勇姿を探し出すべし。なお、東京湾にかかるレインボーブリッジも、高さ控えめながらこの仲間。こちらは1993年に開通。

ブライトンにあるクリフトンの吊り橋。1864年に完成。足がすくむ高さ。
ブライトンにあるクリフトンの吊り橋。1864年に完成。足がすくむ高さ。

時代の最先端のデザイン

後世に残る一大公共事業。機能性はもちろん、橋はしばしば芸術的な付加価値をまとっている。ネオゴシックやら何やら専門的な様式はさておいて、時代時代の英知と美的感覚が色濃く反映されている建造物として愛でるべし。

例えば、19世紀の産業革命の申し子スタイル。

ニューカッスル・アポン・タインのHigh Level Bridge (ハイ・レベル・ブリッジ)は1849年の開通。橋は橋でもこれからは鉄道の時代よ、と上に蒸気機関車、下に馬車や人を通す、という二階建て構造。筋骨隆々で、パワフルな感じ。この手のスタイルの橋たちは、石橋・木橋は旧モデルと言わんばかりに、鉄を採用している傾向にある。技術もさることながら、この当時のものが200年近くに渡り、現役で活躍し続けていることがすごい。東京ではなかなかお目にかかれないタイプだ。自分たちは当時の街づくりの恩恵を受けながら今を生きている、という感覚がグッと胸に迫る。

ハイ・レベル・ブリッジ。上に鉄道が走る。
ハイ・レベル・ブリッジ。上に鉄道が走る。
内部の様子。彼方まで続く骨組みはもはやアート。
内部の様子。彼方まで続く骨組みはもはやアート。

さらに時代は下り21世紀のモダンスタイル。

橋は何も過去の遺産ではなく、近年でもなお、新たに造られている。その代表的なのが、Millennium Bridge (ミレニアム・ブリッジ)で、名前の通り、21世紀になるのを記念して、西暦2000年ごろに造られた。複数の都市で同じ名前で架かっているので、各地の橋を比較してみるのもおすすめ。名前と目的が同じということは、残るは各街が橋にこめた想いであり、それぞれが気に入ったデザイン。今日の街の性格が透けて見えてくるかもしれない。ちなみに傾向としては、アルミニウムやスチールを用いたメタルなきらめきを放ち、何かとウェーブしがち。シュッとした感じが近未来的?

ロンドンのミレニアム・ブリッジ。
ロンドンのミレニアム・ブリッジ。

21世紀の水際

ミレニアム・ブリッジは、しばしば川下にありしかも低い位置に架かっている。跳ね橋機能はもたない。これらが示すこと。それは、大型船が入ってくる時代の終焉だ。21世紀の橋の構想に、船を通すという大前提は、もはやない。

実際、20世紀後半のイギリスの港は、世界の交易拠点としての力を失い、ことごとく廃れていった。旧来の役割に見切りをつけた水辺の多くは今、30~40年の再開発を経て大半が商業施設となり、レジャーの拠点として生まれ変わっている。例えば、リヴァプールでは、ショッピングモールや、この街出身のスター、ビートルズの関連施設。北アイルランドのベルファストでは、大ヒット映画でおなじみタイタニック号の博物館。スコットランドのグラスゴーでは、大きな展示場やアリーナ、といったように。倉庫などの古い建物や船のドッグなどの、水辺ならではの姿をどれだけ残し、また関連づけて空間をデザインしているかは、場所によって大きく異なる。生き残りをかけた水の街の水際対策の試行錯誤について想いを巡らせたり、昔の痕跡を探したりするのも、土地の栄枯盛衰が立体的に立ち現れる心地がしてなかなか楽しい。

グラスゴーの水辺。左の貝殻みたいなのが展示場。
グラスゴーの水辺。左の貝殻みたいなのが展示場。
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ちなみに派手な再開発のみならず、既存の水路を活用する動きもある。細い水路にはその幅に合わせた独特な細長の船(ナローボート)。元々は石炭運搬船として利用されていたが、現代ではキッチンやベッドを備えた快適空間へと変身。観光用に貸し出しているほか、住んでいる人もいるらしく、時々停泊している岸に郵便ポストを見かける。また、川では水上バスとして船便があるところもある。単純にバスや徒歩で遠回りするより便利だし、満員電車ほど混むことはまずないし、水の上からみる街の姿はいつもと違ってちょっといい。東京でも2023年10月、新たに日本橋—豊洲航路の運行が始まった。散歩ツールとして試してみてはいかがだろうか。

水の街が爆発的な発展期、停滞・衰退期を経て、復活期ともいえる第3章を迎えているのは、イギリスも日本も同じだろう。相変わらずコンテナ船の往来は激しいし、なんならクルーズ船だってきているかもしれない。しかし、街の人々の生活の中に、街のアイデンティティの中に、その中心に水があることは稀になってしまったように思える。そんな中、過去の財産をどのように活用し、何を新しく導入し、どんな人を呼び込んでいるのか。長い長い年月をかけて築き上げてきた、水と街と人の関係を紐解く散歩は、どこまでも興味をかき立てる。

 

文・撮影=町田紗季子

スタート:JR総武線・地下鉄浅草線浅草橋駅ー(9分/0.6㎞)→日本文具資料館ー(7分/0.5㎞)→袋物参考館ー(6分/0.4㎞)→榊神社ー(3分/0.2㎞)→隅田川テラスー(15分/1.0㎞)→浅草御蔵前書房ー(2分/0.1㎞)→蔵前神社ー(5分/0.3㎞)→MESSAGEー(9分/0.6㎞)→鳥越神社ー(3分/0.2㎞)→鳥越おかず横丁ー(12分/0.8㎞)→ゴール:地下鉄大江戸線・つくばエクスプレス新御徒町駅今回のコース◆約4.7㎞/約1時間10分/約6300歩
浜離宮恩賜庭園と旧芝離宮恩賜庭園。2つの大名庭園は、後方にそびえるビル街と風雅な庭園の対比が面白い。東京港沿いの道のハイライトは、歩いて渡るレインボーブリッジ。