古き良き酒場の魅力を持つ『大宝城』へ
例えば、サブカルチャーの街として台頭するきっかけとなった中野サンモールや中野ブロードウェイ、あとはいくつもの飲み屋横丁の存在は、今なお中野文化を支えつつある。是非とも、残し続けてほしい文化だ。
中野駅が中野の中心であることは言わずもがなだが、筆者はこの中野駅以外の中野も大好きなのだ。例えば新中野、中野富士見町、中野新橋、中野坂上と、実は“中野”と付く駅は多く、筆者はこれらの中野にも相当興味がある。
特に酒場文化は中野駅周辺の規模には及ばずとも、なかなか魅力的な酒場が数多くある。今回は、その中の中野坂上にある酒場を訪れた。
青梅街道にある「鍋屋横丁」は、毎年8月に歩行者天国で祭が開催されるなど、古くから活気のある横丁だ。そこから中野坂上側の少し外れた通りに、目的の酒場『大宝城』がある。
刺し身、揚げ物、焼き物もハズレなしの絶品揃い
お城の石垣のような外壁、色褪(あ)せた引き戸の入り口。暖簾は細く絞られているが、灯りは点いている。もしかすると休みだろうか……実は少し前に一度訪れてみたのだが、そのときは完全に灯りはなく店は閉ざされていた。またもや空振りか……とりあえず、引き戸を引いて中へと入ってみた。
入ると数席のカウンターと、電気は消えているが奥には座敷がある。色褪せた壁や天井、角の丸くなったカウンターとイス。和モダン照明が映す店内は、その渋みを存分に醸し出している。問題は誰もいないこと。もしや、本当に営業はしていないのか……すると間もなくして、厨房の奥からマスターがやってきた。
「いらっしゃいませ」
「あのー、今日はやってますか?」
「ええ、どうぞ。暇だから今日は閉めようか思っててね」
おっとりとした口調のマスターの返答にホッとする。よかった、これで今夜も酒にありつける。
貸し切り状態のカウンターに座り、まずは酒をいただこう。さーて、何にしようか……
目の前にはすぐ、霜の付いた“ハイサワー”のロゴのグラスが差し出された。今日は特に暑かったので、キンキンに冷えた酎ハイが正解だ。
ク──ッ!! グラスに唇が引っつきそうなほど冷えている。このままゴクゴクと飲み干してしまう前に、料理の方も注文しなくては。
お世辞にも“ホワイト”とは言いづらい、使い倒したホワイトボードのメニューに目をやる。おっ……筆者の大好物があるじゃないか。
それは「ホタテ刺身」……それにしても、何というボリューム! 最近は物価高の影響からか、どこの酒場でホタテ刺身を頼んでも、ほんのちょっぴりなところが多い。
そしてこの肉厚っぷり! ひんやりとした舌触りに濃厚なホタテの旨味がたまらない。これはいい、これから“ホタテ刺身が食べたい”となったら、ここを思い出すことになりそうだ。
続いては揚げ物、「エビフライ」がやってきた。皿からハミ出さんばかりの大きなエビフライが三本も並ぶ。え? 皿が小さいだけじゃないかって? いいえ、並んでいるブルドッグソースと比べてみれば、その大きさがお分かりいただけるだろう。
食べてみると、「カリッ」という快音が店内に響いた。揚げたてはもちろん、今まで食べてきたエビフライの中で一番衣が薄く、一番肉厚のエビフライだ。プリっと弾けるような身が、どこまでも快感である。
「ここのお店の名前って、なんて読むんですか?」
「“だいほうじょう”と読みます。岩手の地名なんですよ」
おもむろに尋ねてみると、マスターはその岩手の大宝城という町の出身で、店名はそこから付けたという。この日はいなかったが、普段は奥さんと二人で切り盛りしているという。因みに奥さんは沖縄出身。そのせいか、「自分も沖縄人だとよく間違われる」と笑うマスターの顔は、確かに南国の人のように穏やかだ。
揚げ物を食べたのなら、焼き物も外せない。なんとも香ばしい香りを放つ「牛ハラミステーキ」は、誰しもが「わぁ、すごい!」と歓喜するに違いないビジュアル。いい具合に焼き上がった肉の表面、ところどころに見える赤色レア。そこへニンニクスライスがたっぷりと散らばり、さらにブツ切りにしたエリンギが添えられている。
箸先で肉を持ち上げると、ズシリと重みを感じる。そのまま口へ運ぶと、これが……最高に旨い! 肉々しい食感のハラミ赤身から肉汁がほとばしり、そこへたっぷりのニンニクの主張。エリンギからはジワリとジュースがあふれ、これがまたハラミとの相性がバッチリだ。
驚いた……ついさっきまで“閉店しているんじゃないか?”とすら思っていた酒場で、まさかこんなに旨い料理と出合えるとは思ってもみなかった。
マスターの人柄もこの店の魅力
「肺に穴が空いちゃって、休んでたんですよ」
以前訪れたときに店が閉まっていたことをマスターへ告げると、なんと肺に穴が空いて入院をしており、一時的に休業していたとのこと。さらに詳しく尋ねると、このマスターはとにかく“持病”が多いのだ。現在は“肺に穴”と“ヘルニア”があるらしく、さらに「沖縄旅行で食中毒にもなった」とも言う。いや、食中毒はちょっと違うのでは……と、心の中で笑う。
さらに“腱鞘炎”にも悩まされ、ずっとランチタイムに出していた名物のオムライスを、今はやめてしまったそうだ。
「それでも、未だにお客さんからオムライスって頼まれますよ」
なるほど、今回初めてここを訪れたが、いかにマスターの腕と人柄がいいかが分かった。
「まぁそろそろ、店も畳もうと思ってますよ」
店の年数の答えは“何となく”だったが、奥さんとは“結婚50年目”としっかり答えてくれたマスター。一升瓶から直接注ぐ泡盛ロックを飲みながらする仕事姿からは、まだまだ現役で大丈夫な気がするが……無理に励ますのも野暮というもの。マイペースこそが正解ということもあるのだ。
「そういえば、奥さんとはどうやって知り合ったんですか?」
マスターが岩手で奥さんが沖縄、まったく正反対の土地だ。ずっと気になっていたことを最後に尋ねてみると、今日一番の笑顔でこう答えた。
「ははは。お互いに、引っかかったんだろうねぇ」
それを見た筆者も、すっかりこの酒場に引っかかってしまった。だからマスター。これからさらに50年間、店を続けてくれませんか?
……と、淡い思いを密かに抱く。
取材・文・撮影=味論(酒場ナビ)