『万葉集』にも登場する武蔵野の地名。そもそも武蔵野台地とは
武蔵野台地は、東京東部を除く東京都区部、南多摩を除く多摩地区の大部分と、埼玉県の所沢市、入間地域、志木市、新座地域から川越市を北端とし、関東平野を流れる荒川・多摩川・入間川などに挟まれ、面積700k㎡の面積の扇を半分広げた扇のような形をした台地である。
太古、この地は武蔵国(むさしのくに)と呼ばれた1つの国で、その起源は645年の大化改新にまでさかのぼる。武蔵国は、無邪志国(むさしのくに)と知々夫国(ちちぶのくに)を併せて1つの国として成立した大国であった。
日本最古の歌集『万葉集』の東歌には武蔵野を詠んだ歌が5種あり、いにしえの武蔵国の守り神、大国魂大神(おおくにたまのおおかみ)を祭った東京都府中市の大国魂神社境内の万葉歌碑には、己の身を武蔵野になびく草にたとえた恋の歌が刻まれている。
さて、その武蔵野台地は、火山灰が堆積した関東ローム層に覆われた地である。粘土質で水はけの悪いこの赤土は稲作に向かない。したがってこの地では古来より小麦の生産が盛んで、小麦主食の文化地帯であり、各家庭でうどんを打っていた。人々の暮らしの中で郷土料理として「武蔵野うどん」は誕生したのだ。
うどんが打てなきゃ嫁にいけない!? 武蔵野エリアのうどん文化
うどんは小麦と塩と水だけで、いたってシンプルな材料で作られる。良質な小麦の生産地であった武蔵野台地は、秩父山地を水源とした良質な水にも恵まれていた。うどん文化が開花したのは必然だった。
江戸時代、武蔵野台地の農家では冠婚葬祭や正月、盆などのハレの日のもてなし料理の本膳として手打ちのうどんが振舞われた。各家々で、女たちが地粉を使い打っていたため「うどんが打てなきゃ嫁にいけない」とまでいわれていたというから、うどんがこの地域の暮らしの中で大切な文化として根付いていたことがうかがわれるエピソードだ。
硬いと感じるほどしっかりとしたコシで、ごつごつとした口あたりの太めの麺を冷水でしめ、おもにかつお出汁の利いた具だくさんの温かいつけ汁で食べるのが武蔵野うどんスタイル。つけ汁に入れる具材は、豚バラ肉やきのこ類、ナスなどの野菜がおもなものだが、もともとは「糧(かて)」と呼ばれる野菜が添えられて、古くは「糧うどん」と呼ばれていたそうだ。
添えられる糧は、その季節にとれた旬の野菜を茹でたものであった。米に乏しく、地域で栽培する小麦で作る貴重なうどんだけで腹を満たすわけにはいかないと、野菜を糧として添えて食べていたのだという。
武蔵野うどんには名付け親がいた!!
そもそも武蔵野うどんという名称は近年になって名付けられたもので、その名付け親は國學院大学名誉教授を務めた東京都小平市出身の故加藤有次氏。母の手打ちうどんを食べて育った加藤氏はその食文化を守るため、昭和63年に「武蔵野手打ちうどん保存普及会」を設立した。
この加藤博士、母校國學院大學で博物館学の講義を約40年間行い、同大考古学資料館館長、川崎市民ミュージアムを務め、全日本博物館学会会長でもあった博物館学の草分けというエライ人。母のうどんをこよなく愛した博士は、武蔵野うどんの保存と普及に尽力し、自宅庭に有山庵といううどん小屋を建て自ら打ったうどんを振舞ったという。武蔵野の人々にうどん博士と呼ばれ、親しまれた。
ところで、埼玉・川越以南から東京・府中までの1都1県をまたにかけた武蔵野エリアだが、武蔵野うどんへの愛は今のところ埼玉側がかなりのアツ盛りだ。
実際、埼玉では武蔵野うどんで町おこしをしている市町村もあり、武蔵野うどんに限らず「○○うどん」と名の付くうどんが20種類以上もある。日本の小麦生産技術の向上に貢献し、「麦王(麦翁)<ばくおう>」と呼ばれた権田愛三が熊谷出身であったことも埼玉のうどん文化に多大なる影響を与えている。
さらに「埼玉を日本一の『うどん県』にする会」を主宰して熱愛する武蔵野うどんを全国区へと目論む人物も出現。『スゴい! 埼玉うどん王国宣言!! 全国のみなさまこれが令和の新常識です!』の著書を持つ永谷晶久氏がその人で県内外、TV・雑誌などのメディアほか各方面で普及活動を行っている。
<埼玉県のエリア別うどん名の一例>
●加須市エリア:加須うどん
●熊谷エリア:熊谷うどん
●鴻巣市エリア:こうのす川幅うどん
●深谷市エリア:煮ぼうとう
●川口市エリア:鳩ヶ谷ソース焼きうどん
●県西部エリア:武蔵野うどん
●秩父エリア:ずりあげうどん
●春日部市エリア:藤うどん
●本庄市エリア:つみっこ
●羽生市エリア:一本うどん
ほか
※出典:ちょこたび埼玉「埼玉は隠れたうどん王国」
https://chocotabi-saitama.jp/feature/udon/
また、大ヒット映画「飛んで埼玉」で象徴的にちょいちょい登場する『山田うどん』。埼玉を中心に関東一円に店舗を展開するチェーン店だが、所沢市日吉町で手打ちうどんの店として創業したのがその発祥で、埼玉のソウルフードともいわれている。
さらに、埼玉県はうどんの生産量が香川に次いで第2位であることも記しておこう。うどん愛に満ちた埼玉県。実は香川に次ぐうどん県だったのだ。
武蔵野うどんと街と。どこで食べる?
さて、武蔵野うどんの実食である。我が「さんたつ」の達人・公式パートナーたちが紹介した武蔵野うどんの食べられる店は、埼玉県9店、東京都7店の全16店。
[所沢市]『自家製うどん うどきち』(西武池袋線狭山ヶ丘駅)
[所沢市]『本格手打ち かんたろう』(JR武蔵野線東所沢駅)
[所沢市]『涼太郎』(西武池袋線・新宿線所沢駅)
[所沢市]『うどん家 一』(西武池袋線小手指駅)
[飯能市]『平九郎茶屋』(西武池袋線吾野駅)
[飯能市]『cafeやまね食堂』(西武池袋線飯能駅)
[飯能市]『古久や』(西武池袋線飯能駅)
[入間市]『さわだ』(西武池袋線仏子駅)
[さいたま市]『武蔵野うどん藤原 北与野本店』(JR埼京線北与野駅)
[小平市]『手打うどん 福助』(西武多摩湖線青梅街道駅)
[小平市]『よしふじ』(西武新宿線小平駅)
[小金井市]『東小金井 甚五郎』(JR中央線東小金井駅)
[杉並区]『肉汁饂飩屋 とこ井』(JR中央線高円寺駅)
[世田谷区]『櫻井謹製』(京王線桜上水駅)
[渋谷区]『みらい家』(京王線笹塚駅)
[江東区]『武蔵野うどん 麦わら』(都営新宿線大島駅)
街と武蔵野うどんと散策と。武蔵野うどんをテーマに街歩き
武蔵野うどんの食べ歩きを楽しむなら、店の集中する所沢あたりからスタートしてみるのがよさそうだ。ただし、武蔵野うどんはかなりボリューミーで普通盛りでも300gがざら。多いところだと600gで1人前という店もある。だから1日で何店もハシゴするのは、よほどの大食い自慢でもないかぎり厳しい。
だったら、季節ごとの街歩きを楽しみつつ、その季節の旬の糧(野菜)が添えられた武蔵野うどんを巡るのはどうだろう。いにしえの武蔵野台地に暮らした人々と、伝統の味を守りながら街とうどんの物語を紡ぐ店々を、風物詩として探訪するのも一興というものだ。
構成・文=アート・サプライ