北千住にある、一見正体不明の大人気店
北千住駅西口に出ると、正面に北千住駅前大通りが伸びている。餃子屋、とんかつ屋、中華屋、すし屋、ラーメン屋と、やたらと誘惑の多い道を100mほど歩くと、旧日光街道にあたる。交差点から左右に商店街が伸び、ここを右折すれば、昔街道であったことを思わせる名の“宿場町通り商店街”に入っていく。
さらに200mほど進んでいくと、右側に何やらとてもかわいらしい一角が現れる。まず目に入るのは木目のテラス。道沿いには小さなショーケースが置いてあり、何やらアート作品のようなものが展示されている。
前を通り過ぎようとして足を止め、このショーケースを「何?」という感じでじっくり眺めるシルバー世代のご夫婦の姿が見られる。テラスにはかわいい多肉植物がたくさん並べられ、テラスの奥は大きな木枠のガラスになっていて、店内を見通せるようになっている。
「たまに前を通りかかった方に、『何のお店?』と聞かれることがあるんですよ」とは、ご主人の宮木裕一さんのお言葉。ここが今回ご紹介する新欧風カレーで評判の『ARK by J’s curry』。店頭のショーケースに入っていたアート作品の正体は、このお店の看板メニューである新欧風カレーであった。
店内に入るとそこは白い壁に囲まれ、木のテーブルが並ぶ15畳ほどの空間。明るい光が差し込んでとても温かな雰囲気。窓際にはここにも多肉植物が並び、入り口正面、壁際のカウンターにはかわいい園芸用の商品が並べられ、「何のお店?」感をさらに強くさせている。
ここ『ARK by J’s curry』が開店したのは2022年10月のこと。それまでここにあった「J’s curry」が閉店することになり、前の経営者と知り合いだった宮木さんが、店、メニューをそのまま引き継ぐ形で譲り受けた。『ARK』とは箱舟の意味。この箱舟のような空間でお客さんたちが一緒に時を過ごすことを願った言葉だ。
そうそう、言い忘れてはいけない。店頭、窓際に多数並べられ、お店の正体を分からなくしていた植物は、おもにご主人の趣味。月に一度、植物をメインにしたフリーマーケットを開催しているとのこと。
一番人気・富士の正体。その山は何でできているのか
さて、今回の注文はもちろんお店の一番人気、新欧風カレー 富士1100円。味もさることながら、この富士山の造形がどのような仕組みで出来上がっているのかが非常に気になる。お願いして、特別にその制作過程を一つずつ見せていただく。
ふもと部分は白と茶色のコントラスト。見事な“富士”の出来上がりである。このホワイトクリームソース、クリームシチューのようなものなのかと思いきや、ポテトを丁寧に裏ごしして作られたホワイトソースであるとのこと。
これはみなさん、写真撮られるでしょう? との問いに、「ええ、皆さん写真を撮ってSNSにも紹介していただいてます。本当にありがたいですね」と宮木さん。
まろやかなのに、スパイシー。その時間差の奥深い味わいが人気
富士の制作過程の中継はここまで。ではいただきます。当方も写真映えを意識して、まずは温泉卵割の儀式。トロリと流れ出す温泉卵が白い斜面を下っていく。なんとおいしそうな噴火の風景。
次に熟成ローストビーフを一口。2種類のソースにまみれたそれは、口の中でやわらかい歯ごたえを残しながら消えていく。
空いた斜面にスプーンで掘削の手を入れ、ご飯、ホワイトクリームソース、カレーソースの3種類を同時にいただく。最初にやってくるのは、やさしいまろやかなコク。カレーとポテトのまろやかさが合体して、とてもやさしい味わい。しかし数分後(直後ではなく)、スパイスの香りが豊かに立ち上がってきて、最初の丸みとは異なる印象を残して味が完結する。奥深い時間差攻撃。
熟成ローストビーフの豊かなやわらかさと相まって、確かにカレーなのだけれど、もう一つ別の料理をいただいたような、今まで食べたことのない味わい。“新欧風”を名乗るだけのことはある、本当に新しい未知の味わいだ。
それにしても、どうしてこのようなメニューが出来上がったのか。宮木さんによると「外国の方にも喜んでいただけるように、と考えられたようです。“富士”“武士”“姫”は外国の方が日本のイメージを一番強く感じる言葉。その日本の代表的なイメージをメニュー化できないか、ということで出来上がったとのことです」。
ちなみに、武士は富士よりもワンランクスパイシーな仕立て(といっても、とてもまろやか)、姫はさらにチーズとトマトが見た目かわいく贅沢に加わって、チーズ好きにはたまらない新しい味わいを作り出しているとのこと。
「私はずっと横浜在住で、お店を始めてから北千住で長い時間を過ごすようになりましたが、ここの皆さんはとにかくフレンドリーで最高の人たちばかりです」と宮木さんは、北千住愛を語る。
北千住の住民にも、その風景にもすっかり溶け込む人気店である。
構成=アート・サプライ 取材・文・撮影=夏井誠