梅若伝説
これは平安時代のお話です。
京都の貴族の子・梅若丸がある日突然人買いにさらわれ散々連れ回された後、隅田川のほとりで亡くなるという悲しい出来事が起こりました。
それを見たある高僧は、梅若丸の供養のためにそこに塚を作り、柳の木を埋めたそうです。
梅若丸が亡くなって1年。梅若丸の母はそれを知らず息子を探し続けていましたが、捜索の果てに梅若塚へと辿り着きます。
息子の死を知った母が塚の前で念仏を唱えると、梅若丸の霊が現れ、生きている者ともういない者として悲しい対面を果たしたといいます。
その後、梅若丸の母は剃髪し仏門に入り、妙亀尼という名前の尼僧になりました。
その場所が東京都指定史跡「妙亀塚」で、梅若丸を供養する「梅若塚」は隅田川を挟んで対岸の木母寺にあるそうです。
フィールドワーク①梅若丸を供養する「梅若塚」と「梅若塚跡」
まずはもともと梅若塚があったとされる「梅若塚跡」を見に行ってみましょう。
梅若塚跡は、東武伊勢崎線・鐘ヶ淵駅から鐘ヶ淵通りを隅田川方面へ歩き、川を渡る手前にある団地の公園にあるとのこと。
この鐘ヶ淵通りは【週末民話研究】徳川吉宗も興味を示した、鐘ヶ淵の沈鐘伝説でも歩いた通りです。
「かねがふちりっきょう」と書かれたモニュメントを通りすぎ、梅若塚跡を探します。
団地のそばの公園の入り口あたりに到着。早速公園内を歩いてみるものの、梅若塚跡らしいものは見当たらず……。
迷うはずのないシンプルな道のはずなのに道に迷ってしまいます。
しかし落ち着いて地図を拡大してみると、梅若塚跡のある梅若公園はこの東白鬚公園とは別の場所にあり、少し戻った道沿いにあることが発覚。
少し引き返して探してみると、ようやく梅若塚跡を見つけることができました。
梅若塚跡は白鬚東アパート9号棟の東面にある梅若公園内にあり、石標と説明パネルがひっそりと佇んでいます。
「尋ね来て 問わば答えよ 都鳥 隅田川原の露と消えぬと」
これは梅若丸が残したとされる辞世の句で、帰宅後調べてみると「母が自分を探して尋ねてきたら、隅田川の川原で自分は死にましたと伝えて欲しい」という内容でした。
梅若伝説では梅若丸は12歳とされていますが、12歳の子供が辞世の句を残すということだけではなく、それが母へとあてたものであったことを想うと、込み上げるものがあります。
梅若塚跡のそばには、梅若伝説の詳しい解説が記されたパネルも複数設置されていました。
冒頭でお話しした、梅若伝説をテーマにした観世元雅の能楽作品「隅田川」や、そこから発展して江戸文芸のひとつのジャンルとして人々に愛された「隅田川物」の説明がわかりやすく書かれています。
能楽作品「隅田川」は狂女物とも呼ばれ、拐われた我が子を探して都から隅田川まで辿り着いたものの、愛する子供はもう死んでいた……という母の悲嘆を描いています。
大抵の場合は子供と再会しハッピーエンドで終わる演目が多いなか、我が子との死別というバッドエンドを描く珍しい演目です。
現在「梅若塚」があるのは梅若塚跡にほど近い天台宗梅柳山木母寺で、1976(昭和51)年に梅若塚跡から移動したものだそう。
ここからは隅田川を渡り、仏門に入った梅若丸の母・妙亀尼のゆかりの史跡に向かうことにしましょう。
フィールドワーク②母のいる場所「妙亀塚」
隅田川を渡るため、遠くのスカイツリーを眺めながら東白鬚公園の中を歩き、白鬚橋へ向かいます。
白鬚橋はもともと「橋場の渡し」と「白鬚の渡し」という渡船場があった場所だったそう。
一番最初の木造の白鬚橋は1914(大正3)年に架けられ、当時は橋を渡るのに通行料がかかっていたとされています。
1925(大正14)年に当時の東京府が橋を買い取り、関東大震災の震災復興事業として1931(昭和6)年に現在の橋に造りかえられました。
橋の長さは167.6m。車道のほかに歩道も広くとられているので、徒歩や自転車でも通行可能です。
白鬚橋を渡ったのは初めてだったのですが、思わず「堅牢」という二文字が浮かぶような、どっしりと丈夫な橋でした。
橋を渡ると台東区に入ります。
妙亀塚のある「妙亀塚公園」は、白鬚橋から徒歩約8分ほどの場所にあるそう。
しばらく歩いていると妙亀塚公園に到着しました。
小さな妙亀塚には花がたむけられています。
以前訪れた場所となんとなく場所が被るなという気がしていましたが、後ほど詳しく調べてみると、この地はかつて浅茅ヶ原と呼ばれた荒地でした。
梅若伝説で我が子の死を知った母のその後については諸説あり、「仏門に入り妙亀尼という尼僧になった」以外に「悲しみのあまりこの辺りにあった底無し池に身投げした」という話もあるのです。
この時に身を投げたとされる底無し池は、【週末民話研究】浅茅ヶ原の鬼婆と東京指定旧跡「姥ヶ池跡碑」でとりあげた姥ヶ池だったのかもしれません。
調査を終えて
12歳の子供がさらわれたすえに母を想い亡くなり、都から遥か遠い隅田川までやってきた母は、息子と永遠に生きて会うことができないと知る。
創作のテーマとして脚色され受け継がれていることを差し引いても、とてつもなく悲しい話です。
隅田川を挟んで存在している梅若塚と妙亀塚。
息子・梅若丸と母・妙亀尼は、対岸にいる互いを想い、現在もこの地に静かに眠っているような気がしています。
取材・文・撮影=望月柚花