検証!全ハマちゃん通勤航路!

「釣り船をチャーターしてハマちゃんの通勤航路をたどる?そんな予算ありませんよ!」

担当編集者に冷たく突き放されて、筆者は薄い頭を抱えた。船に乗れなきゃこのプランは企画倒れではないか!

その時、天の声が聞こえた。

《記事を載せる媒体は何だ?》

そうだ!そうだった!我々は「散歩の達人」だ、「さんたつ」だ!船を使うなど浅はかだった。歩こう。歩けばいい。

でも、ちょっと待てよ。歩けったって、どこを歩きゃいいのよ?

全22作中、ハマちゃんがハチ(演:中本賢)の船(太田丸、エリザベスなど)で通勤したシーンは以下の6回。

 

《航路1》「釣りバカ1」より

北品川~鮫洲橋~勝島運河道路橋・勝島運河橋梁~勝どき橋~日本橋
使用船舶:船名不明(小型プレジャーボート)

《航路2》「釣りバカ9」より

北品川~ふれあい橋(天王洲アイル付近)~五色橋~御楯橋(高浜運河)~?
使用船舶:エリザベスI

《航路3》「釣りバカ10」より

羽田(多摩川河口付近)~芝浦西運河~竹芝運河~新浜崎橋~湊橋(日本橋川)~?
使用船舶:エリザベスI

《航路4》「釣りバカ11」より

レインボーブリッジ付近~永代橋
使用船舶:エリザベスI

《航路5》「釣りバカ14」より

金沢八景~レインボーブリッジ~お台場~豊海橋(日本橋川)~湊橋(日本橋川)~日本橋付近~?
使用船舶:キャロライン

《航路6》「釣りバカ17」より

金沢八景~?
使用船舶:第十太田丸

 

よくよく検証すると、通勤航路はバラバラで、起点終点経由地も曖昧なので、歩くには不都合が多い。そこで次善策ってことで出発点と終着点がはっきりしている《航路1》を軸に、関連スポットを寄り道するようなルートを設定した。

航路は決まった!錨を揚げろ!出港だ!

北品川からいざ出港~!

散歩の起点は「釣りバカ」ファンにはすっかりお馴染みの北品川の船だまり(品川浦)が見渡せる北品川橋。ハマちゃんスーさん初釣りの記念碑とでも言うべき橋で、スタート地点としてはうってつけだ。

橋から船だまりを眺める。ところ狭しと係留されている釣り船や屋形船。つい楽しくなり、「ヘイ!ハチ!カモーン!」と叫びたくなるが、周囲に迷惑なのでやめた。

船だまりは天王洲運河の終点。まずはこの運河を東進する。で、ここから先はどこを目指すか。映画では最初の経由地点は、ハマちゃん&ハチが小型のプレジャーボートで颯爽とその下をくぐる鮫洲橋か……。え?鮫洲橋?ちょい、ちょい、ちょっと待て。これだと遠回りどころか、天王洲運河の先の京浜運河を終着点と反対方向(南向)に舵を切り、勝島運河に進入し、さらにUターンしないとシーン通りの光景にはならないじゃないか!そんな不自然なルートあるかいな!

ま、いろいろ大人の都合もあろう。気を取り直して、この散歩ではあくまでも合理的な「さんたつ」オリジナル航路を歩きたい。

北品川橋。品川浦に注ぐ旧目黒川に架かる。親柱に大正14年9月竣工とあるので、関東大震災の復興事業か。
北品川橋。品川浦に注ぐ旧目黒川に架かる。親柱に大正14年9月竣工とあるので、関東大震災の復興事業か。
品川浦(北品川の船だまり)。江戸期から漁業で栄えたが、1968年にその役目を終え、以降は釣り船や屋形船の係留地に。
品川浦(北品川の船だまり)。江戸期から漁業で栄えたが、1968年にその役目を終え、以降は釣り船や屋形船の係留地に。
鮫洲橋。勝島運河に架かる海岸通りの橋。《航路1》で、品川浦を出港したハチの船が、上流からこの橋をくぐるが……。
鮫洲橋。勝島運河に架かる海岸通りの橋。《航路1》で、品川浦を出港したハチの船が、上流からこの橋をくぐるが……。

天王洲運河~天王洲アイル~高浜運河

品川浦から先の天王洲運河は、北岸、南岸いずれも遊歩道はなく、水際は歩けない。ようやく水辺の風景が広がるのは天王洲橋のあたりだ。

その東側は、東西に天王洲運河、南北に高浜運河が交わる運河の十字路。東側正面にトラスが映える天王洲ふれあい橋、東南に天王洲アイルを見て、高浜運河(北向)をゆく。実際、《航路2》ではこのあたりから御楯橋付近をハチご自慢のエリザベスⅠ号が快走している(進入方向に無理があるが……)。

天王洲アイル。90年代初頭、恵比寿ガーデンプレイスと並んで東京のバブル期を象徴するスポットだった。今でこそ、水際に掃いて捨てるほどあるボードウォークだが、当時はここ天王洲アイルにしかなかった。たびたびドラマのロケに使われたりして、圧倒的にトレンディだった。いつかここで鈴木保奈美似の女性と熱い抱擁をしたいっと夜な夜な身悶えた不毛な青春を思い出す。

んなコトはどうでもいい。高浜運河をゆく。左岸に品川駅港南口から拡大中のオフィス街、右岸にマンション群。単調で味気無い風景だが、まっすぐ伸びた水路は航行しやすそう。ルートに選んだハチの気持ちがよくわかる。

そんな高浜運河も、浜路橋を越えたあたりから荒涼としてくる。品川区や港区あたりのウォーターフロントで、ここだけが開発から取り残されたような感じだ。

再開発の限界なのか再開発の余地なのか、柄にもなく考えさせられたのだった。

北品川から京浜運河まで東西に流れる天王洲運河と、目黒川と芝浦を南北に結ぶ高浜運河の交差地点。高浜とは高輪の浜の意。
北品川から京浜運河まで東西に流れる天王洲運河と、目黒川と芝浦を南北に結ぶ高浜運河の交差地点。高浜とは高輪の浜の意。
天王洲ふれあい橋と天王洲アイル。もとは江戸末期に設けられた第四台場。1988年から段階的に整備されていった。
天王洲ふれあい橋と天王洲アイル。もとは江戸末期に設けられた第四台場。1988年から段階的に整備されていった。
高浜運河に架かる御楯(みたて)橋。橋名は万葉集・防人の詩の「今日よりは顧みなくて大君の醜(しこ)の御楯と出で立つ我は」に由来。
高浜運河に架かる御楯(みたて)橋。橋名は万葉集・防人の詩の「今日よりは顧みなくて大君の醜(しこ)の御楯と出で立つ我は」に由来。
浜路橋北側の高浜運河。奥のタワマンとは対称的に荒涼とした風景が。高輪ゲートウェイなども近いので、今後開発が進むか。
浜路橋北側の高浜運河。奥のタワマンとは対称的に荒涼とした風景が。高輪ゲートウェイなども近いので、今後開発が進むか。

芝浦西運河~芝浦運河

浜路橋を越えると、運河の五叉路が現れる。さて、どちらに歩を進めるか……。五色橋をくぐって東京湾に出るのはハマちゃんの通勤には少し遠回りだし水際は歩けそうにない。ここは芝浦西運河を北上することにする。

芝浦……。芝と聞くと落語の『芝浜』を思い出す。

ーー東京は芝の浜にまだ魚河岸があった頃のお話でございます。

芝の浜が今の浜松町から田町にかけての辺り、魚河岸が田町駅北口の芝浦公園にあったというから、芝の浦(=入江)はまさにこの辺りか。当たり前だけど江戸時代は海だったのね。噺のなかの勝五郎さん、お魚いっぱい捕って、魚河岸に持ち込んだのかな。

さらに歩を進め芝浦西運河から芝浦運河に出て、瀬路橋、浦島橋を通過。次の南浜橋を越えると水面がパッと開ける。重箱堀だ。

この重箱堀に明治期には日本初の本格的海水浴場が開設されたのだとか。

往時の婦女子はどんな格好で水遊びを楽しんだのかな。

ーー窓より近くに品川の 台場も見えて波白く

と『鉄道唱歌』の一節もあるから、ビーチの沖にお台場が見えたのかな。

お台場をバックに黒木瞳似の明治美人と波とたわむる自分を夢想しながら運河沿いを歩く。おぉっと、夢想はここまででよそう。芝浜だけに、また夢になるといけねえ(そもそも実体験もないのだが……)。

芝浦運河の西、モノレール高架の下を流れる芝浦西運河。《航路3》(「釣りバカ10」)でもハチの船が疾走している。
芝浦運河の西、モノレール高架の下を流れる芝浦西運河。《航路3》(「釣りバカ10」)でもハチの船が疾走している。
重箱堀は大正2年に作られた石積護岸。名称の由来はその四角い形から。明治には初の本格的海水浴場があったが、レジャーではなく療養目的だった。
重箱堀は大正2年に作られた石積護岸。名称の由来はその四角い形から。明治には初の本格的海水浴場があったが、レジャーではなく療養目的だった。

(後編につづく)

文・撮影=瀬戸信保 イラスト=オギリマサホ

「釣りバカ」ファンならご存知、太田丸ほかハチ所有の小型船舶でのハマちゃんの通勤シーン。その航路をたどる散歩の後編をお届け~。前編は北品川の船だまりを出発して、天王洲運河、高浜運河、芝浦運河など、東京湾岸の運河をいきました。後編は竹芝あたりから、隅田川を遡り、いよいよ日本橋川へと進入。このハマちゃんの通勤航路ははたして便利なのか?東京の水際のリアルな風を感じながら検証した結果はいかに……。