線の細い親父さんと、ボロ車を治せる整備士さん

線の細い親父さん。腕も中華鍋の取っ手くらいの細さですが、慣れた手付きで力強く鍋をふります。このとき、バッと鍋に散らされる刻みニンニク。この香りからして、たまらんのです。

料理を待つ間、しばしスマホぽちぽちに移るのが常なわけですが、この店は地下にあって電波が入りません。結局いつも、店のテレビをぼーっと眺めることになります。

ちょうど、トヨタのCMが流れていました。社長交代を告げています。今度の社長もクルマ好きの方なんだとか。なんの関係もない身ながら、「この国の希望の星の大会社、いっちょ頼みますぜ」と心の内でエールを送りました――と同時に、ちらっと嫌な連想が頭に浮かんできてしまったのです……。

(あ。そういや自動車税の季節がそろそろだなぁ〜)

ため息出ますね。大会社の社長が変わろうとなんの関係もなく、私のもとには払込用紙が届きます。日頃乗っている「ボロ車」(年中壊れる愛車を愛憎半ばでそう呼んでいます)は、無駄に2000CCを超えていることもあって、しんどい額の税金が課せられています。

排気量だけではありません。登録から13年以上経っている車はさらに重課されるんです。なおかつ車検のときかかる重量税も、13年、18年と登録年数を経るほどにどんどん税額が重くなる設定です。まさに、重量税。私のボロ車の年式は、最長の設定年を超える古さなので、払う税金だけは高級車並み。はぁぁ……。

燃費のいいエコカーへの優遇措置をうらやんで、「でもさ、エコカーばんばん作るのがそんなにエコなのかい!? 壊れまくる古い車を直し直し乗るのだって、結構なエコじゃあないのかい!? ええっ!?」って、とたんに叫びたくなってきます。

おっと、お上への恨み節はこのへんで。だけどもうひとつ、税金だけじゃあなくって、最近頭の痛い問題が出てきたのも思い出しましたよ。我がボロ車は、年中あちこち壊れるわけですが、主治医(専門の自動車整備工場)に預けても、だんだん整備完了までに日数がかかるようになってきたのです。

理由は簡単。私の車を治せる整備士さんが減ってきました。

本物に触れたような奇妙な感覚

古いクルマの部品を替える場合、極端な話、本当は替えるべき部分は山程あります。けれど杓子定規に全部やったなら、相当のおカネがかかってきます。

そのあたりをちゃんと知り、オーナーのフトコロ具合を見極めて、新品と中古の部品を組み合わせながら、安全性と走行性に問題ないぎりぎりの塩梅でクルマを修理できる職人整備師さんは、もう少ないのです。

我がボロ車の主治医Kさんは、10年以上の付き合いですが、もう50代半ばを超えておられると思います。彼を支えるべき若い世代が入ってきていないので、仕事が殺到しているのでしょう。特急料金を払っているわけでもなし、日数がかかってくるのは仕方ありません。

若い方々はいないわけではありませんが、工場に行っても見かけるのは、ベトナムなど海外から渡ってきた人々。稼ぎ、技能を学んだのち、いずれ故国に帰るのは当然のこと。ずっとこの国でクルマを治し続けて食っていこうと思える若い人は、あまり入ってきていないのですね。

将来の夢を描けるほど稼げなくなってきてしまったのでしょうか。Kさんほどの熟練工であれば仕事は途切れないでしょうが、それでも私のように、カネがないから中古部品を組み合わせて修理してもらうような客も来るので(申し訳ありません)、もともとが効率や旨味とは縁遠い仕事だと思います。

それに、整備のあり方も昔とずいぶん変わっています。いまのクルマは機械というよりコンピューター。エンジンの音を耳で聞いたり、細かな部品をつけたりはずしたりして目で検査するよりも、クルマが発する故障個所通知の信号を診断機で受け取って、その周辺部品をまるごとごそっと交換してもらうケースが増えています。便利簡潔ですが、細かい部品を交換するよりも部品代も上がります。

そんな風潮にKさんが何か言っているのを聞いたことはありません。いつも静かに、カネ無しオーナーのボロ車の下にもぐって、部品を外しては組み付けてくれるKさん。私は、彼の手に惹かれます。いつでも真っ黒。爪まで真っ黒。おそらく石鹸でももう落ちないほどの機械油のしみつきです。仕上がったクルマのドアを開けてくれるとき、整備代のおつりを渡してくれるとき、その手と、私の手が、触れる――。このときの、ごく小さな感動。

技術の習得も、言い知れぬ苦労も経た証しの手です。なにか本物に触れたような奇妙な感覚があります。

私が日頃、高すぎる税金と、壊れまくる自分のボロ車に腹を立てながらも愛するのは、もう二度と現れないデザインと、年月がつけた風合いのためなわけですが、そんなものを遥かに超える、昭和の仕事の明暗を油分で定着させたKさんの手。

――なんてぼんやり考えてる間に、ランチの肉野菜炒め、運ばれてきましたよ。これよ。はぁぁ、旨い――。ちょっと値段が上がってきましたが、あがるべきですね。だって、この効きまくるニンニク、炒める前に毎度刻んでいるのですよ。これで1000円しないのですよ。

最近、飛躍的進歩を遂げてきたAIが、ずいぶん便利だなんて耳にしますけれど、私はそこになけなしのカネをはたいて便利さを受け取る前に、まずは油たっぷりの一皿を作る親父さんの手に、油のしみたKさんの手に、お渡しするのが先だ、そんなふうに思っています。

文・写真=フリート横田

42歳厄年を少しこえたばかりに過ぎない中年男性が昭和をテーマにしてこうやってコラムを書いておりますが、こんな私でさえ、以前はときどき、「靴磨き」の人達を見かけた記憶があります。平成の世になってもまだ、元気に従事する方々がいたということですね。大きな駅の前、往来の激しい場所に座って道具を広げ、お客を待つ職人さんたち。大抵が高齢の方々でした。それが最近、すっかりお姿をお見かけしないことに気付きました。なので今日は、その人達のことを少し書きたいと思います。商業施設の中などにも増えてきた新型のシューケアサービスのショップのことではありません。路上で商売をした歴史的存在としての「靴磨き」職人たちのことです。※写真はイメージです。
ラーショ。東京から右側に出たあたりに住む人々であれば、この言葉に甘美な響きを感じ取れるもの。そうです、今日は北関東の人間が10人いたら、大体10人から11人は好きな、「ラーメンショップ」の話です。