80年代東京のビートルズファン

カンケ : 永沼さんは六本木の「CAVERN CLUB」にレギュラー出演されていたんですよね。高校生の頃、東京にビートルズ専門のライブハウスがあると聞いて、地元の新潟からわざわざ観に行ったことがありました。

永沼 : 僕は1982年から「CAVERN」のステージに立つようになったんですが、ほぼ毎日、5~6ステージやっていましたね。その頃のお客さんはビートルズをリアルタイムで体験した世代が多くて、自分たちがブームを起こしたという自負があったと思います。しかもバブルで景気のいい時代だったから、強気で横柄な人がたくさんいました。20代前半の僕は「お前にビートルズの何がわかる」って上から目線で言われることもしょっちゅうでした。

カンケ : そういう人に限って、ホントは橋幸夫を聴いていたんじゃないかな(笑)。リアルタイムのビートルズファンは少数派だったと言われていますよね。

永沼 : そういう話ですよね。でも、80年代前半の「CAVERN」は熱いファンが多くて、ジョン・レノンの命日の追悼イベントに喪服で来る人もいました。本気でした。

カンケ : 日本公演を観たような人たちということでしょうか。でも、職業=ポール・マッカートニーの永沼さんにも、相手にしてもらえない時代があったとは(笑)。

永沼 : それ、僕が言い出したんじゃないんですよ(笑)。税務署に申告に行ったとき、窓口の人から「職業は?」と訊かれたので「ミュージシャンです」と答えると「どういった音楽ですか?」と突っ込まれ、「ビートルズ。主にポール・マッカートニーの曲です」と説明したら、「じゃあ、職業=ポール・マッカートニー」って書かれて……。そのまま提出したら次の年の書類に「職業=ポール・マッカートニー」と書かれていたんです。それを笑い話として人に話していたら、広まっていったんです。

カンケ : すごくいいキャッチコピーですよね(笑)。

永沼 : 今でこそビートルズを演奏するバンドは多くいますが、当時はビートルズ専門の人はいなくて、バンドの数も少なかったので、担当が決まっているわけではありませんでした。楽器を掛け持ちするのが普通でしたね。

ジョージの評価が年々高くなっている

カンケ : ファンからの人気曲はどの辺りですか。『THE BEATLES 10』でいうと「レット・イット・ビー」の人気が異常に高い。チャートに入らない週がないくらい。日本人にとって、あの曲には特別な魅力があると思います。

永沼 : 「レット・イット・ビー」のウケがいいのは間違いないですが、今だと『アビイ・ロード』のメドレーが人気ですね。あと、女性からリクエストが多い曲は「オー・ダーリン」。毎日演奏したいけど、僕の体がもたない(笑)。

カンケ : あの難しい曲を歌えるってことが素晴らしいですよ。永沼さんはビートルズやポールの曲だと、ベースとギターの両方のパートを弾けるんですか。

永沼 : そうです。それでほめられたことはないけど(笑)。みんな当たり前のように聴いているから。

カンケ : そんなことはないでしょう。そんなことはないはずです!

永沼 : 僕が「CAVERN」に出だした頃は、初期の曲を演奏することが多かったですね。リアルタイムを知るファンには、初期の曲の受けがよかった。でもいちばんの人気曲は「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」。Aマイナーの哀愁が日本人の好みに合うんでしょうね。ジョージ・マジックとでもいいますか。

カンケ : 「THE BEATLES 10」の若いリスナーは、ジョージからビートルズに興味を持ったという人がとても多いんです。その世代にとってジョージの『オール・シングス・マスト・パス』はカッコいいアルバムとされていて、オシャレな洋服屋でもよく流れています。ジョージは今に通じるビートを当時から刻んでいたということの証明です。

永沼 : 実は僕、最初に買ったビートルズのLPは『ヘルプ!』で、「アイ・ニード・ユー」がいちばん好きだったんです。

カンケ : ジョージじゃないですか。

永沼 : あと、フィル・スペクターの存在は大きいですよね。今年は『レット・イット・ビー』50周年なので、演奏する機会が増えると思って改めて聴き直してみたら、あのレコードにおけるフィル・スペクターの力は半端ないなって。

カンケ : ジョンとジョージが彼の才能を高く評価したのがわかりますね。研究というものは、人が亡くなったあとから始まるわけで、ジョージが亡くなって20年の歳月が経ち、年々ジョージの評価が高くなっているのは、ラジオを通して実感するところです。


※続きは、散歩の達人POCKET『東京ビートルズ地図』でどうぞ。

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CAVERN CLUB/六本木にあったビートルズ専門のライブハウス。1981年に旧防衛庁の近くに開店、その後芋洗坂付近に移り、レベルの高いハウスバンドの演奏で人気を博した。2011年に閉店。

THE BEATLES 10/2004年からラジオ日本をキーステーションに放送。リスナーの投票で決まるビートルズの楽曲トップ10を毎週発表する。4人のソロワークスを対象にした「ソロ10」や「ビー10意識調査 あなたは何派?」などのコーナーも。毎週日曜日19:00~20:00。

永沼忠明

1960年生まれ、神奈川県横浜市出身。82年より六本木「CAVERN CLUB」のハウスバンドで演奏を始め、“職業=ポール・マッカートニー”として40年近く活動を続けている。リバプールの「ビートルズ・コンベンション」にアジア代表として招待を受けるなど、海外でもその実力を認められる第一人者。

カンケ

1964年生まれ、新潟県柏崎市出身。作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、CMディレクターなど幅広い活動を行う“謎の音楽家”。97 年にキングレコードから「サマーブリーズ」でデビュー。2004年の番組開始から16年以上、ラジオ『THE BEATLES 10』のメインパーソナリティを務めている。

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構成=竹部吉晃 撮影=小野広幸 撮影協力=自由が丘『McCartney』
散歩の達人POCKET『東京ビートルズ地図』より

本多康宏という名前をご存知のビートルズ・ファンも多いだろう。人気テレビ番組「開運!なんでも鑑定団」にビートルズ専門の鑑定士として出演し、数多くのレアアイテムを見定めてきた人物である。とくに4人の直筆サインの真贋を見抜き、正当に評価する〝プロの眼〟は海外でも広く知られている。
NHKで夕方に再放送をしている朝ドラ『ひよっこ』。有村架純が演じる主人公みね子は赤坂の洋食店「すずふり亭」という店で働いている。そして、折しもときは1966年(昭和41年)、ビートルズが来日した歴史的な年だ。ドラマ内では、ビートルズがやって来た!と街をあげて盛り上がっている様子が描かれれる。赤坂からほど近いホテルにビートルズが泊まり、近隣の街は大騒ぎだったのだ。では、ビートルズが滞在したホテルはどこ? 今はどうなっているのだろうか。3月に書籍『東京ビートルズ地図』が発売され、今回で最終回となるこの連載。紹介するのは、4人が滞在した伝説の“ゆかりの地”だ。