桶狭間の戦いとは!
皆々は桶狭間の戦いは知っとるか?
桶狭間の戦いとは、当時まだ小さな大名家であった織田信長様が、日ノ本有数の力を持っておった今川義元殿を圧倒的な兵力差を覆し、奇襲によって大勝利を収めた戦である。
ちなみに儂もこの戦に参戦し、首を三つ取るという手柄をあげた!
……のじゃが、信長様には認められず、とった首は捨てられてしもうた。
というのも、当時の儂は出仕停止。つまり解雇された身で、無断で戦に参陣していたのじゃ!
信長様の側近に拾阿弥という信長様の威光を笠に着る意地が悪い者がおってなぁ、桶狭間の前年に妻のまつからもらった大切な笄(髷を整える道具)を盗みおったで成敗してやったのじゃ!
じゃが信長様は大層お怒りでな……。儂に腹を切れとお命じになったが、柴田勝家様や森可成様の口添えのおかげで出仕停止に留まった。『笄斬り』とも呼ばれるこの事件が起きたのは桶狭間の前年。
儂は桶狭間の戦いにて手柄を挙げて、織田家へと復帰致そうと喜び勇んで参陣したわけなんじゃが、結果は先に申した通り。
儂の浪人生活は二年後の美濃森部の戦いにて挙げた功が認められるまで続くこととなる。
おっと、話が逸れてしもうたな!
閑話休題!此度の目玉、史跡探訪へと参ろうではないか!
大高城へ参る!
実はこの戦が起こったとされておる場所が名古屋市緑区にあるのじゃ!
じゃが!
此度足を運んだのは桶狭間古戦場ではなく、桶狭間の戦いの折に徳川殿が兵糧入れを行なった大高城跡じゃ!!
改め、儂が参った大高城。JR大高駅から歩いて15分ほどで着くぞ!
大河ドラマ『どうする家康』では大高城を厳重に包囲する織田軍を、激戦の末打ち破り、兵糧入れを成功させる姿が描かれておった。
今川家にとっては尾張侵攻の要として大切な城であったのだが、徳川殿はこの大高城を守っていたことで、桶狭間にての敗戦を免れることができたのだ。
もし桶狭間に参陣しておったら大きな打撃を受けることは必定、義元殿と同じく、討ち取られておったかも知れぬ。
故に徳川殿にとっては己を守ってくれた城であるとも言えよう!
今では公園として整備されておって本丸や二の丸、空堀の跡を見入ることができるぞ!
ここが本丸跡!
今は広場になっておるが、大高城の面影を感じることができるじゃろう!
して桶狭間の戦いが起こったのは、本丸から見て南東の方面じゃ。
大高城にて義元殿敗死の報せを聞いた徳川殿は何を感じ、何を思ったか、想像しながら城下の景色を眺めるのも、城の楽しみ方の一つじゃ。
桶狭間の戦いは徳川殿にとって、今川家の家臣から戦国大名へと変わる契機であった。
興味がある者は足を運び、徳川殿が感じた空気や見た景色を感じてほしい次第である!!
大高城のすぐ近く!鷲津砦跡
大高城から十分程歩くと鷲津砦跡がある!
ここは大高城を包囲するべく信長様が築きし砦で、桶狭間の戦いが起きた日の明朝に今川軍に攻められ陥落しておる。
徳川殿の家臣で天下無双と呼ばれし本多忠勝殿の初陣となる戦でもあるぞ!!
鷲津砦までは急勾配となっておるで足を運ぶ折には履き慣れた靴と動きやすい格好で挑むベしじゃ!
此度は大高城と鷲津砦を紹介致したが、他にも桶狭間古戦場、徳川殿が落とした丸根砦や鳴海城、有松絞りで有名な有松の街並みも見ることができる。
歴史を感じることができる街でゆるりと過ごすのも良いであろう。有松では事前に申し込めば染め物体験もできる!
是非とも一度は足を運んで欲しい場所であるぞ!
次回は面白き戦国小話を届けて参る予定じゃ!
楽しみにしておいてな。
此度の戦国がたりはこれにて終い、
さらばじゃ!!
取材・文・撮影=前田利家(名古屋おもてなし武将隊)