戦後間もなくの渋谷で、百貨店は夢のような場所だった

僕が子どものころ最初に出会った百貨店は、渋谷駅前の東横百貨店(のちの東急百貨店東横店)。

戦後まもなく、高層ビルなんかまだない時代だから、7階建ての東横百貨店は渋谷で一番高いビルだったと思う。楽しみだったのは屋上の遊園地。乗り物なんかの遊具があって、本館と別館(玉電ビル)を結ぶ「空中ケーブルカー・ひばり号」というロープウエイのアトラクションもあった。

当時の子どもにとって、屋上は今でいうディズニーランドみたいな夢のある場所だったのだ。大げさな話ではなく。

屋上で遊んだあとは、その下の階の食堂に行ってお子様ランチを食べるのが定番コース。それから買い物を楽しんだりして、百貨店は家族で一日遊べる娯楽施設だった。

でも、百貨店屋上の遊園地ってある時期から見かけなくなったよね。本格的なテーマパークとか、家族で遊びに行ける場所が百貨店以外にもたくさんできたこともあるし、消防法の改正、少子化など、ほかにも理由はいろいろありそうだ。

百貨店の屋上には思い出がたくさんある。十代の頃は百貨店の屋上でガールフレンドとすごしたこともあったし、スパイダース時代はイベントのライブステージに出演したこともあった。

思い出が詰まった、東急百貨店本店の屋上で

東急本店が営業終了する前にもう一度見ておきたくて、屋上に行ってみた。

東急百貨店本店の屋上にて。2022年11月撮影。
東急百貨店本店の屋上にて。2022年11月撮影。

屋上の園芸コーナー「ヴェルデステ」にはお世話になった。僕の家には同居人がたくさんいるから、彼らの「ご飯」を調達しに行かないといけない。

どんな同居人かって? ゴムの木のメアリーちゃん、竹のチクリン君、そして最近仲間入りしたオーストラリアンビーンズのジャッキー。僕を癒してくれる大事な仲間だから、いい土とか栄養剤とか、必要なものがいろいろあるのだ。

東急百貨店本店の屋上庭園。1971年4月撮影(写真提供:東急株式会社)。
東急百貨店本店の屋上庭園。1971年4月撮影(写真提供:東急株式会社)。

園芸コーナーの場所に昔は滝のように水が流れていたことを、この写真を見て思い出した。

1967年に営業を始めた東急本店の屋上には、もう遊園地はつくられなかったんだね。

渋谷駅直結のターミナルデパートで活気にあふれた東横店とはまた違って、本店はのんびり優雅にすごすことができる場所としてつくられたということなのかもしれない。

でも夏はビアガーデンですごくにぎわっていた記憶がある。予約せずに行ったら「予約でいっぱいです」と言われて入れなかったこともあった。

70~80年代、渋谷の街の進化

東急本店ができる前、この場所には渋谷区立大向小学校があった。僕が通ったのは違う小学校だから中に入ったことはなかったけれど、フェンスに囲まれた小学校の外観は覚えている。裏が消防署で、その先は普通の住宅街だったから、8階建ての大きな百貨店ができたときはかなりの存在感だったと思う。

東急百貨店本店と休日の歩行者天国。1970年8月撮影(写真提供:東急株式会社)。
東急百貨店本店と休日の歩行者天国。1970年8月撮影(写真提供:東急株式会社)。

開業当初、本店の前から渋谷駅につながる通りが休日は歩行者天国になっていた。ミニスカートが大流行していた時代だね。当時はこの通りが渋谷のメインストリートだったのかな。公園通りはまだなかったから。

1973年、何もなかった区役所通りにパルコがオープンして、それから区役所通りは公園通りと呼ばれるようになった。75年には東武ホテルができた。そのころからだと思う、公園通りがにぎわい始めたのは。

渋谷にはおしゃれな若者が集まるようになり、「ファッションの街」なんて言われるようになった。

渋谷は今も昔も「東急の街」というイメージがあるかもしれないけれど、80年代はパルコ、西武などの当時のセゾングループが渋谷を盛り上げた。東急ハンズに対抗してロフトができたりね。

一方、東急本店は1984年9月に「大人が楽しめる店」をコンセプトにリニューアルオープン。若者が集まる渋谷の街に、大人がゆったり買い物や食事を満喫できる場所を提供してくれた。

リニューアル後の東急百貨店本店。1985年5月撮影(写真提供:東急株式会社)。
リニューアル後の東急百貨店本店。1985年5月撮影(写真提供:東急株式会社)。

1990年代に入ると、今度は東急の109が若者向けのファッションビルにリニューアルして、ガングロギャルのような時代を象徴する流行を生み出した。

東急と当時のセゾングループには、お互いに切磋琢磨して新しい渋谷を作ろうっていう気概があったように思う。普通だったら競合他社は受け入れないみたいな感じになりそうだけど、閉鎖的にならずにライバル会社の雰囲気とかアイデアを感じ取ろうって考えた方がいらっしゃったのかなあ。そういう懐の深さがあったからこそ、渋谷が衰退せずに活性化してきたのかもしれないね。

変わり続ける渋谷で、変わらないもの

渋谷の街の底力って、そういう懐の深さだと思う。

道玄坂、宮益坂あたりで昔からお店をやっている友達、町内会や商店会の知り合いもたくさんいるけれど、自分たちの街に新しいものが入ってくることに対して文句を言うことはあまりない。「来るもの拒まず、去るもの追わず」「来るなら一緒にやっていこう」っていう空気がある。

中学時代の同級生、杉本君の家は電気屋。「安さでは量販店にかなわないから」と言ってアフターケアなんかに力を入れている。家電の調子が悪くなったときや電球のストックが少なくなってきたときなど、電話すればすぐに来てもらえる。ありがたい存在だ。電気屋だけに、電球ベリーマッチ!

もともと渋谷にいた人たちが自分たちの利益だけを守ろうとはせず、新しくやって来た人たちと共存共栄しながらやっていこうと頑張っている。それが二代目、三代目にも受け継がれているのがすごいことだと思う。そういう人たちが数多くいて、渋谷の街を牽引している。

渋谷の街はどんどん新しくなっていくけれど、来てくれる人に感謝というみんなの気持ちは変わらない。

そして僕は、渋谷に遊びに来る人、渋谷で働いている人、渋谷に住んでいる人、みんなにとって居心地のいい街であり続けてほしいなと思っている。

撮影=阿部了 構成=丹治亮子

渋谷生まれ渋谷育ち、渋谷在住。毎日のように渋谷の街を歩き、Twitterで渋谷の魅力を発信する「渋谷散歩の達人」井上順が、お気に入りスポットをご案内!今回訪れたのは、2023年1月31日をもって営業を終了する東急百貨店本店だ。文=井上順