小野先生
小野正弘 先生
国語学者。明治大学文学部教授。「三省堂現代新国語辞典 第六版」の編集主幹。専門は、日本語の歴史(語彙・文字・意味)。

表現は間接的、利用シーンは直接的

小野先生 : ありがとうの語源は「ありがたい」=「有難い」。「有ることが難しい」という意味です。
時代劇では、主君から褒美をもらった家臣が「有り難き幸せ」と、恭しく頭を下げるシーンが登場しますね。めったに受けられないことだと表明することで、わざわざ行ってくれる相手の厚意に、感謝の意を示しています。

筆者 : ふだんは、あまり意識しませんが、実はとても間接的な表現ですね。

小野先生 : はい。とはいえ、日本語で直接的に感謝を表明するのは、意外に難しいんです。「感謝します」と言えばよいのかもしれませんが、なんだか味気ないし、「感謝」は中国からの外来語(漢語)なので、日常に馴染みづらいところがあります。
日常会話には、「申し訳ない」「すみません」「悪い(ね)」と、謝罪と感謝を兼ねたことば、または本来謝罪のことばを感謝に転用したことばが、たくさんあります。

筆者 : 「恐れ入ります」「恐縮です」といった表現も聞きますね。謝罪か感謝か、よくわからないことも多々あります。

小野先生 : そんななかで「ありがとう」は、謝罪の意はなく、感謝「だけ」を表現できることば。利用シーンが限定され、他のことばと比べて曖昧さがないので、むしろ直接的な表現になります。
ちなみに、「ごめんなさい」には感謝の意がなく、謝罪限定で用いられます。ストレートな謝罪の表現になります。

国語学者流「ありがとう」の使用上の注意

小野先生 : 「ありがとう」は間接的なだけでなく、見方を変えると屈折した表現だとも受け取れます。
「めったにないことだ」とわざわざ口にすることで、「本来必要ない負担を、あなたにかけていることを、私は知っている」と伝えられます。さらに裏返せば、「相手にそんなことをさせた自分は特別な存在である」と得意な気持ちになる、なんてところまでいくかもしれませんね。

筆者 : いやぁ、そこまで屈折した気持ちで「ありがとう」が使われることは、なかなかないのではないしょうか?

小野先生 : そうかもしれません。しかし、背景としてのことばの意味は、理解しておいたほうがよいでしょう。
例えば、妻が夫のために食事をつくるのが当たり前だと考えられた時代がありました。
家族の間で「有ることが難しい」わけではないから、夫は特に何も言わず、妻の作った料理を食べます。夫にしてみれば、黙って食べていることが、美味しいという気持ちの表れであり、遠回しな感謝の表明でもあるわけです。
しかし、妻の側としては、何も言われないと夫の気持ちはわかりません。うれしいのか、不満なのか、感謝しているのか、何も思っていないのか……。

筆者 : 妻は腹立たしいですよね。感謝を口に出さなくても、気持ちは通じている、なんていう関係なら別ですが……。
いっぽう、毎日の食事に「ありがとう」を言うのは照れくさいだけでなく、屈折した意味を考えると多少嫌味があるのかもしれません。「〇〇ちゃんの料理は美味しいね!」くらいは、言ってよいとは思いますが……

小野先生 : はい。今は夫婦のあり方もさまざまですし、家族の間でも感謝のことばは必要でしょう。
その点、「ありがとう」は素敵なことばですが、やたらに使えばよいわけでもありません。「いつも美味しい料理をつくってくれて」「毎日部屋をきれいにしてくれて」と、具体的な理由をつけて、ここぞと言う時につかうと、より適切に感謝の気持ちが伝えられるかもしれません。

まとめ

「ありがとう」の語源は「有り難い」。めったにない厚意を受けたと表現することで、感謝の意を伝えます。

「申し訳ない」「すみません」「悪い(ね)」と感謝と謝罪を兼ねたことばが多い中で、「ありがとう」は感謝限定で用いられる。表現自体は間接的だが、用法は直接的で明確なことが多い。

小野先生によれば、「ありがとう」は屈折したことばでもある。「めったにないことだ」とわざわざ口にすることで、「本来必要ない負担を、あなたにかけていることを、私は知っている」と伝えられるからだ。「ありがとう」を素直に言うことは大切だが、特に身近な相手には、適切に使うことへの意識が大切。

取材・文=小越建典(ソルバ!)