忍城おもてなし甲冑隊がご案内!

忍城おもてなし甲冑隊とは?

忍城が題材となった映画『のぼうの城』公開を前に戦国時代に忍城を守り抜いた武将、姫、足軽が舞い戻り、忍城がある行田市の魅力を広く伝えている行田市観光PR隊である。主な活動は忍城址での観光案内おもてなし、戦国演舞、まち歩きツアー等。

また市外県外国外へも出陣、SNS等も駆使して魅力発信をしている。2010年夏に結成されて後、多くの地域メディアにも出演し町を盛り上げているのだ。

詳しい活動は行田市観光naviで見られるよ。

左から足軽あお、正木丹波守(まさきたんばのかみ)、成田長親(なりたながちか)、柴崎和泉守(しばさきいずみのかみ)、酒巻靱負(さかまきゆきえ)。
左から足軽あお、正木丹波守(まさきたんばのかみ)、成田長親(なりたながちか)、柴崎和泉守(しばさきいずみのかみ)、酒巻靱負(さかまきゆきえ)。

そして今回の案内人は、忍城城代であり忍城成田軍総大将の私“のぼう”こと成田長親と、最近TikTokを始めた成田軍を支える足軽あおちゃんである。

私、成田長親(右)と足軽あおちゃん。
私、成田長親(右)と足軽あおちゃん。

ちなみにタイトルにもある「城代」とは城主の留守中に代わって城を管理する者のことをいう。

豊臣軍との戦い。忍城は落ちなかったのだ!

天正18年(1590年)。

豊臣秀吉は天下統一の総仕上げとして北条攻め(小田原征伐)を行っていたのだ。北条氏の支城であった忍城は、総大将・石田三成率いる豊臣方二万の大軍勢に包囲されてしまった。さらには大規模な水攻めまで仕掛けられたのだ。

主に忍城でやっている紙芝居『忍伝説』の一場面。2022年10月には舞台版『忍伝説』が上演されるよ。
主に忍城でやっている紙芝居『忍伝説』の一場面。2022年10月には舞台版『忍伝説』が上演されるよ。

しかし!

少数なれど勇猛果敢な坂東武者が揃う成田軍は徹底抗戦し、本城の小田原城が開城した後も戦い続けた。もともと忍城は沼地の中で自然の堤防や要害を利用して築かれた守りやすく攻めにくい城であり「水に浮く城」「浮き城」なんて言われてたのだ。そしてこの時の成田軍の総大将が、私!成田長親!

参ったか!!

 

では、話を現代に戻して本丸跡に再建された忍城御三階櫓を紹介しようかな。

忍城御三階櫓。きれいでしょ。
忍城御三階櫓。きれいでしょ。

行田市のシンボルと言ってもよい忍城御三階櫓は戦国時代ではなく実は江戸時代に造られていたものなのだ。もちろん当時は鉄筋造りなどではなかったよ。そして廃藩置県と廃城令でお城の大部分はなくなってしまう。今の忍城御三階櫓は昭和に再建されたものなのだ。

現代においては『行田市郷土博物館』を併設しており、中には忍城の模型も展示されている。見ると浮き城と呼ばれていた所以がよくわかると思うよ。また忍城は徳川家康さんとは縁深く、それらを表わす資料もたくさん展示されているのだ。どう縁深いかっていうと、われら成田軍が豊臣軍に城を明け渡したあと、関東に領地替えされてきた家康さんの息子さんが入城しているんだ。忍城には家康さんが褒めた道なんてのもあったのだよね~。

なんだったら『行田市郷土博物館』の向かい側には家康さんが祀られている東照宮もあるのだから。

『行田市郷土博物館』の前。
『行田市郷土博物館』の前。

再建だけでなく現存しているものもいくつかあり、その1つが土塁である。本丸西側を囲む土塁が残っており道を隔てて中学校があるのだが、そこは二の丸跡なのだ。当時、この道はお堀であり本丸と二の丸は橋でつながれていたのだよ。他にも本丸跡では忍城櫓に使用されていた石垣も間近に見ることもできるのである。

本丸土塁。現存してます。
本丸土塁。現存してます。
櫓に使われていた石垣。
櫓に使われていた石垣。

ちょっと歩くよ!史跡碑をみてみよう

成田御門跡はこちら!
成田御門跡はこちら!

三の丸の入口に位置する門であり現在は忍小学校の駐車場である。

このような史跡碑は市内各所で見られるのだ。

ちなみに、先に紹介した忍城御三階櫓は本丸にあった訳ではなく、本丸から見て成田御門より外に建っていたものだ。もちろん史跡碑も立っているよ。

三重櫓跡はこちら!
三重櫓跡はこちら!

『行田市郷土博物館』で手にいれられる忍城今昔地図を見ながら歩けば想像を掻き立てられるだろう。他にも現在は住宅街となっているところにお城の正面口といってもよい大手御門跡があるし、お城の防衛策となっていた桝形城門跡に行けばその造りが今でも十分に想像ができるのだよ。

このように忍城にあった十五の門を史跡碑で確認することができ、それぞれに役割やエピソード等がある。「忍城十五門」、なんて言われれることもあるね。

あ~城下をフラフラせずにはいられない。

まち歩きツアー等ではこれらをわかりやすく伝えられるようにとコースや仕掛けを色々考えているのだ。

丹波ちゃんは成田家一頼れる男なのだ。
丹波ちゃんは成田家一頼れる男なのだ。

忍城って結構広範囲なのです

こちらは水城公園!!
こちらは水城公園!!

忍城の情景を彷彿とさせる外堀跡は水城公園として整備され、市民の憩いの場となっているのだ。

カフェもあるし、毎月第一土曜日にはマルシェも開催されている。

暑い夏にはじゃぶじゃぶ池だってあるのだよ。

ここまで足早に忍城をめぐってきたのだが実は結構な距離を歩いているのだ。

正直疲れちゃうよね?

でも大丈夫!そんな人にはレンタサイクルがあるのだよ。

観光物産館『ぶらっと♪ぎょうだ』前。
観光物産館『ぶらっと♪ぎょうだ』前。

忍城バスターミナル観光案内所、JR行田駅観光案内所、観光物産館『ぶらっと♪ぎょうだ』の三カ所で貸し出しがあり、なんとどこで借りても三カ所どこかの場所で返せばよいのだ。

忍城城下のみならず行田市内全域はほとんど起伏がない土地であり自転車での移動がとても快適なのだよ。

そして実は軍略家である酒巻靱負ちゃんと、今考えているツアーがあるのだ。

レンタサイクルを活用して忍城の外周をまわり忍城の大きさを知ろうツアーみたいなのをやろう!ってね。

靱負ちゃんの知識量は凄くてココ前玉神社では猫の特別御朱印があり大人気とのこと。
靱負ちゃんの知識量は凄くてココ前玉神社では猫の特別御朱印があり大人気とのこと。

忍城って本当に凄いのだから。

豊臣秀吉が落とせなかった事だけが取り上げられがちだけども、上杉謙信が焼き払おうとしても落とせなかっただとか戦国時代に限らず逸話はいっぱいあるよ。水攻めされても火攻めされても耐え抜いた忍城はもっと注目されてもよいと思う。

その忍城で活躍した成田軍はもっともっと人気があってもいいかもしれない……。

どう?来たくなったのではなかろうか。

前編はこのあたりにしておいて、次回の後編では足軽あおちゃんにお城以外の魅力も伝えてもらおうと思う!

文・写真=成田長親(忍城おもてなし甲冑隊)

「行田の魅力を語るシリーズ、後編!」前編では我が居城である忍城について案内致しました、どうも成田長親です。埼玉県には凄い歴史があるってもっともっと知ってほしいね。令和の時代となった今も行田市にその面影が残っているので是非遊びに来て下さいよ。ただ、行田市の魅力ってそれだけではないのだよね~。