小野先生
小野正弘 先生
国語学者。明治大学文学部教授。「三省堂現代新国語辞典 第六版」の編集主幹。専門は、日本語の歴史(語彙・文字・意味)。

「青春」の必須条件とは?

小野先生 : 青春とはまさに「人生の春」。奈良時代から用例がありますが、年齢が若く、人生の中でも活力に満ちた時期を指しました。
もともとは、世界は木・火・土・金・水の元素からなるという、中国の「五行思想」から来ていることばです。5つの元素には色と季節があり、最初の木には「青」と「春」が割り当てられていました。
かつて日本では今のようにひんぱんに使われることばではなく、流行し出したのは明治期のこと。夏目漱石の『三四郎』に「考えるには、青春の血が、あまりに暖かすぎる」という一節が登場したり、小栗風葉の小説『青春』がヒットしたり、といったことがきっかけでしょう。

筆者 : 「青春」というと年齢が若いだけでなく、不器用だけれど純粋な恋愛とか、夢に向かって打ち込む姿とか、そんなイメージがありますよね。

小野先生 : そうですね。はじまりは10代前半の思春期からでしょうが、終わりは年齢で規定するのは難しいですね。30〜40歳でも「青春」は続いているという人も、歳をとってから趣味に打ち込んで「青春」を取り戻す人もいるでしょう。
ただ、仕事や家庭を持つと「青春」が終わる、といった見方はあるかもしれません。恋愛でもスポーツでも、損得を抜きにして打ち込める何かを持っているのが「青春」。現実を前に、身分や生活が安定してしまったとき、「青春」は終わってしまうのです。

筆者 : 「不安定さ」は「青春」の条件なのかもしれません。挫折したり迷ったり、恥ずかしい思いを繰り返しながら、がむしゃらに何かに向かっていく――失敗があってこそ、「青春」なのだと思いました。

「アオハル」は「青春時代のことば」

小野先生 : 最近、「青春」を訓読みした「アオハル」という言い方がありますよね。2011年に連載開始した別冊マーガレットの漫画『アオハライド』(咲坂伊緒)が、若い世代に広く浸透するきっかけでしょう。
「セイシュン」より「アオハル」のほうが、今までみてきた「若くがむしゃらな季節」というニュアンスは強いと思いませんか?

筆者 : 確かに! 若くて未熟なことを「青い」と言いますが、「アオハル」は若さのニュアンスが、より直接的に表現される気がします。
それに「青春」はなんだか使い古されたことばに聴こえますね。

小野先生 : 長く使われて安定してしいることばより、できてから日が浅く不安定なことばのほうが、よりみずみずしいイメージとともに伝わることがあります。
「アオハル」は後者で、だからこそ強いインパクトを持つことばです。

筆者 : ことばに一生があるとすれば、「青春」は成熟した「大人のことば」。古い日本語のルールを壊してできたばかりの「アオハル」は、今まさに「青春」時代にあることばなんですね。

まとめ

「青春」の起源は中国の五行説にさかのぼる。日本でも古くからあることばだが、一般に使われるようになったのは明治期以降。夏目漱石の『三四郎』など文学作品に登場するなどして定着した。

「青春」がいつ終わるのかは難しいが、年齢は本質ではない。就職や結婚で立場が安定すると「青春」が終わる、というのが小野先生の見方だ。確かに、がむしゃらに何かに打ち込み、失敗できるのが「青春」の特権といえそう。

最近では「青春」にかわり「アオハル」ということばが登場。使い古されていない若いことばは、ときに強いインパクトを持っている。

取材・文=小越建典(ソルバ!)